作品
第3話:戸惑う感情は
「ん…………」
欠伸を噛み殺して、再び書類に向き直る。
どうにも調子は思わしくない。
霞んだ目を擦ったら、溜息交じりの呆れた声が頭上から降って来た。
「少しは休んだらどうだ。だから、ほどほどにしておけと」
「……五月蝿い。このくらいなんでもない」
一瞬、誰のせいだと言おうとして、辛うじて抑えた。
昨夜の玄冬の声が頭から離れなかったから、眠れなかったとは言えるわけもない。
仕事をしていたのは確かだが、眠れなかったから、その時間を仕事に費やしただけの話だ。
通常なら、多少の睡眠不足は大したことはないはずだが、さすがに傷の完全に癒えてない身体には堪えたらしい。
「そうでなくても、動けるようになってから、働き詰めなんだ、あんたは。
1日、2日休んだところで、今なら仕事の進行にそう差し障りは出ないと思うが」
「働き詰めなのは、貴様とて同じことだろう」
元々は慣れていない仕事のはずだ。
なのに文句一つ言わずにこなしている。
この1ヶ月の間ずっと。
「それでも、俺は傷を負ってるわけじゃないからな。まだ平気だ。
仕事の負担だって、あんたほどじゃないし、無理をしてるつもりはない」
「……無理というのは別に身体に関してのことだけではないだろうが」
どうにも、一方的に言われてるような気がするのが癪だったので、ついそう言ってしまったのだが。
その言葉に玄冬の顔色が明らかに変わった。
なるほど、自覚ぐらいはしてるということか。
まぁ……そうだろうな。
一月前のあれに関しては、こいつから何かをいうことはない。
言葉に出来ないということは、ふっきれていないということだ。
人の事を言えた義理ではないのだろうがな。俺としても。
「……何が言いたい」
「……別に。言葉どおりの意味だ。
思い当たる節があるなら、無理はするなということだ」
「あんたに言われるのは心外だな」
「こっちの台詞だ、それは!
日中は平気な顔をしてるくせに、無理をしてるのはど……」
言いかけて、しまったと思ったが遅かった。
玄冬に胸倉をつかまれ、ぐいと立たされる。
突然の衝撃のせいか、ぐらりと視界が奇妙に歪んだ。
「言って良いことと、悪いことがあるだろう……隊長。
あんた……何を知っている?」
「ふん、怒るのは本当のことだから……か?」
睨みつけている玄冬の目は本気で怒っていた。
……なんだ、そんな顔もできるんだな。
「自分一人でなんでも抱え込むのが悪い。
……どうして、何も……言って」
「……おい!? ちょ……隊長!?」
どうしてか、玄冬の声が急に小さくなった気がした。
視界が狭くなったのは何故だ?
微かに額に手が当てられた感触は解ったが……意識が遠のく。
「! あんた、熱が……!」
熱? ……ああ、どうも体調が冴えなかったのはそのせいか。
自己管理をしくじったな、と微かに意識の隅で思ったのを最後。
視界が完全に暗くなった。
***
――『玄冬』というのはね、人が人を殺し過ぎた時に生まれてくるんだ。
なんだろう。これは。
……いや、この声には覚えがある。確か……黒の鳥。
――生まれてきて……どうなるんだ?
子どもの声がそれに応じる。
その口調には誰かを思い出させる。
――世界を滅ぼすことになるね。……命の器が満たされた時に、雪は止まなくなる。
そうだ。
それで冬が終わらなかったのが……滅びが始まったのがつい先日のことだった。
――止まない雪は……世界を埋め尽くすのか?
子どもの声は酷く悲しい響きが含まれている。
――そうだ。白い雪に全て覆われて、全ての命が途絶えて、世界が終わる。
だから、それを止めなければと思った。
かつて、俺の先祖が止めたように。
――どうしたら……世界を終わらせずに済む? 俺が死ねば……この世界は助かるのか?
そうか、これはかつての玄冬か。
そんな小さい頃に、自分の立場を知らされたのか。
望んでなったわけではないだろうに。
――理屈ではそうなんだけどね。……君は死ねない。『救世主』以外の手によってはね。
そう、今の世界でそれができたのは、あの桜色の髪と目をした少年だけだった。
――『救世主』が俺を殺せば、世界は助かるんだな。
どうして……安堵した口調になるんだ?
それは自分が死ぬことを指しているんだぞ?
――死なせたりしないよ。……私が君を護るからね。「黒の鳥」は玄冬を守護するものだ。
揺るがない、強い意志を秘めた言葉。
絶対の慈愛を思わせる響き。
――どうして……俺は生きていないほうがいいのに。……それが、お前の仕事だからか?
わからないと戸惑う子どもの声。
どうして、運命を素直に受け入れるのか。
……貴様の方こそ俺にはわからん。
――仕事でも確かにあるけどね。……君は私の子だよ。子どもを死なせたい親なんていない。
例えようもなく愛しいのだと。
そんな言葉さえ聞こえるようだ。
――……っ……黒……鷹……っ
血の繋がりの有無など、関係ない……絶対の親子の絆。
愛されて、いたんだな。
入る隙間などない。
……入る?
どうして、入らなければと思うんだ、俺は?
――玄冬……
名前を呼ぶ声に秘められた響きはどこまでも優しい。
――黒鷹……っ……あっ……
そして、それに応じて名前を呼び返す方も。
艶を含んだ中に籠められた愛情を示す声。
――渡さない。……あの子にも、世界にも。君は……私のものだよ。
他の何も望んでいない。
望みは玄冬に生きていて欲しいと。
幸せになって欲しいと。……そう、か。
――……っ……あ……く……ろっ……!
失くしたくない。
誰より愛しい鳥を。
このぬくもりを失くすくらいなら、自分がなくなってしまえば……いい?
……そう思うことが、どれほど相手を傷つけているのか、貴様は気付いていないのか?
――……本当に、あんたが救世主なら良かったのに。
そうだ、言っていたな。
玄冬を殺したくなんかないと。……自分には殺せないと。
――もう……しょうがないね。
なぜ、救世主の力が発動しないんだ、と思ったときに微笑っていたな、そういえば。……悲しげに。
――お前で我慢してやるよ。
俺は、玄冬の代わりだった。
……自分ではもう止められなかったんだな、花白よ。
――これは、俺の所為だ……っ。
それは、確かに本当のことかも知れない。
だが、元を辿れば貴様が『玄冬』だったのは、貴様の所為ではない。
責められる資格は本当は誰にも無かった。
――俺は、あんたに礼を言わねばならん。
言われる筋合いなんぞない。
本当は……お互いに何もできなかったのだからな。
自分で世界の中枢の紐を引き千切れなかったという貴様も、望んでいたものをあいつに与えてやれなかった俺も。
――あんたは殺しても死ななさそうだからな。
今はその言葉に安心さえする。
少なくとも、黒の鳥や花白のようにならない。なるつもりはない。
せめて、今、この時。
傍にいてやることはできる。
……できる? いや、違うな。
傍にいたいと思うんだ。俺が。
あいつが全て抱えてしまおうとするから。自分の中に。
奴らのせめてもの代わりはできないかと。
ずっと……気になっていたんだ、本当は。
興味深いと思っていた。
世界を滅ぼす『玄冬』でありながら、その正体は普通の人間となんら、変わりもなく。
いや、優し過ぎさえすると思った。
望んだのは世界の滅びではなく、自分を殺してくれるもの。
世界の存続の為に。
理不尽さを感じなかったわけでもないだろう。
自分で望んだ立場ではない。
それでも、世界を救いたいと思ったのは……おそらく、大事なものたちを死なせたくなかったからだ。
花白。
そして……黒の鳥たる、黒鷹。
この上なく愛されて、育ったから。
自分の身を嘆くよりも、それを与えてくれた相手を助けたかったのだろう。
……敵わない。その思いが胸を刺した。
ああ、そうか。ようやくわかった。
興味深い、というだけのことではない。
これは『恋情』なのか。
あいつの傍にいてやりたい。
ともすれば崩れてしまいそうなのを抱きしめてやりたい。
――誰より愛しい。……私の可愛い息子。
割り込めるだろうか?
その深い想いの間に。
強い絆の中に……。
- 2008/01/01 (火) 00:04
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