作品
第5話:零れ落ちた心
「お兄様。玄冬さんと喧嘩なさったの?」
「……似たようなものだ」
疑惑の目を向ける妹の言葉に、つい憮然とした感じになって応じてしまう。
あの翌日から。
奴はごく必要最小限しか、俺と言葉を交わさない。
用が済んだら、そそくさと別の用を口実にし、ろくに会話らしい会話もしない。
明らかに避けられていた。
話をしようと部屋を訪ねても、大抵居やしないのだ。
さすがに、その状態が半月以上も続けば、妹たちから見ても不審に思うんだろう。
だが、話もできなければ俺もどうしようもない。
「もう、お兄様ったら。ダメじゃない。
何が原因かわかりませんけど、早く元通りになって下さいな。
お兄様と玄冬さんがそんなでは、私たちも居心地が悪いですわ」
「そうか……すまんな」
自分たちだけでなく、周りの人間にまで悟られる段階まで来てればもう限界だ。
そういえば、文官にも仕事の時にそれとなく似たようなことを言われた。
話をしなければいけない。
このままではお互いがダメになる。
***
「話がある」
「……俺はもう休むんだが」
「時間はとらせない」
運がいいというか、なんというか。
丁度部屋に入ろうとしていた玄冬とばったりと会った。
腕を掴んで、逃さないようにする。
ここで、また明日にと言っても、明日は明日で避けられるのが目に見えている。
やっと来た機会だ。
はぐらかされてたまるか。
奴の方でもそれを悟ったのか、溜め息を一つ吐くと、部屋の中に促した。
そう、もう目を背けさせはしない。
扉が閉まる音に一層気持ちを引き締めた。
「それで……話というのは何だ」
困惑したような、身構えたような口調。
……警戒されている。
無理も無いかも知れんが。
「……黒の鳥の話を聞きたい」
「…………何?」
予想外の言葉だったのか、玄冬の表情が呆然としたものに変わる。
「貴様、以前に言ったな。『俺たちのことなどろくに知らない』と」
「ああ……」
「確かにそうだ。……幼い頃から、白梟殿に色々聞かされはしたがな。
『黒の鳥』と『玄冬』については。
……だが、それは全て第三者から見た部分での話に過ぎん。
実際、俺は接してみて聞いた話での印象とは随分と違う、と思った。
だから、第三者でなく当事者だったものからの話を聞きたい」
「聞いて……どうするつもりだ?」
「どうもしない。『知りたい』だけだ」
こいつが、黒の鳥と共に一体どんな人生を歩んできたのか。
「……知りたい?」
「興味があるから。というのでは答えにはならないか?
いや、不愉快な言い方に聞こえたらすまん。
だが、俺は知りたい。もっと貴様のことを」
「それは……『特別』な意味での興味なのか?」
「そうだ。
前の口付けのことを言っているのなら、謝るつもりはない。
俺とて伊達や酔狂でやったわけではない」
後悔なぞしていない。
一時の衝動でしたわけじゃない。
寧ろ、このろくに話さなかった半月で自覚した。
確かにこいつに惹かれている自分を。
「……俺にそんな風に想って貰える価値はない」
「知るかそんなもの」
「……あ?」
「価値があるかどうかを決めるのは、貴様じゃない。俺だ」
たわけが。
価値なんていうのは自分で決めるものじゃない。
相手があって初めて意味を成すものだ。
「あんたにとっては……気分のいい話じゃないかも知れない。
それでもいいのか?」
「構わん。聞きたいと言ったのは俺だ」
「……座れ。少し長くなりそうだ」
寝台に腰掛けるように促されて、それに従うと玄冬も少し離れた横に腰掛けた。
「あいつは……黒鷹は俺のたった一人の……『家族』だった」
僅かな間を置いて、玄冬が静かな口調で話し始めた。
「物心ついたときには、もういたし、傍にいるのが当たり前だった。
5つくらいのときか。
初めて、黒鷹に連れられて村に行き、『親』というものを知ったんだったな。
……疑問だった。
本来、親は男と女と揃っているらしいというのを知ってな。
そもそも、黒鷹以外の人間にはそれまで、会った事もなかったし。
だから、聞いたんだ。俺の親は?と。
……あいつ、俺に何て言ったと思う?」
「……正直に……死んだとでも告げたのか?」
確か母親は玄冬と一緒に捕らえられ、発狂して命を落としたと聞いている。
父親は……何処かに行方をくらませたと。
「いや。よりにもよって、熊が親だとか言ったんだ」
「……まさか、信じたのか?」
「……黒鷹が俺の世界の全てだったからな。あの時は疑いもしなかった」
玄冬が目を細めて、苦笑を浮かべる。
「勿論、そんなわけもないんだが。
その『親』を探しに森へ行った。が、熊に襲われかけてな。
当然だな。
熊にしてみれば、外敵としか俺は判断されなかったんだから。
その時、黒鷹が来て、熊の気を逸らそうと鳥の姿で、熊に襲いかかったんだ。
……結果、あいつの左腕には大きい傷が残った」
何かを堪えるように、玄冬のこぶしが強く握り締められた。
「放って……おいてよかったはずなんだ。本当は」
「!……どうして……」
「『玄冬』は救世主以外によって傷つけられはしない。
いや、傷をつけてもすぐに治癒するようにできている」
「あ……」
そうだ。
『救世主』以外には『玄冬』を殺すことは出来なかった。
それはつまり……。
「あのまま、熊に襲われたところで命を落とすことはなかった。
極端な話、そもそも俺を育てる必要だってありはしなかった。
救世主から遠ざけられさえすれば、他は何があろうと死ぬことはない。
……だけど、あいつは『護る役目のついで』と言いつつ、育ててくれた」
そういうことなのだ。
救世主からだけ守れれば、守護の鳥としての役目は果たしている。
だが、それだけで終わらせなかったのは、黒の鳥本人がそうすることを選んだからだ。
「親として頼りがいがあったかといえば、正直どうかとは思うが。
部屋は散らかす、食事は肉しか食べようとしない、家畜と本気で喧嘩をする。
どっちが子どもなんだかわからない。
それでも。あいつがいたから。
俺は自分が世界を滅ぼす存在だと知っても、笑うことができた。
何があっても傍にいてくれたから。
……愛して、くれたから。
存在の全てをかけて」
「存在の……全て」
呟いた俺の言葉に、低い笑いが零れた。
「おそらく……あんたの想像してる通りだ。
黒鷹とは数え切れないほど抱き合った。
救世主の手によって以外に死なないことを除けば、他の人間と身体の機能に違いはない。
……それでも、精通が訪れたときは違和感があった。
世界を滅ぼすものに、子どもを……命を作れる機能が備わっているということに」
「玄……」
「……そうしたら、あいつは言った。
人の性行為には生殖の意味だけでなく、コミュニケーションの意味もあるのだと。
全て曝け出して、全て受け止めて。
相手への愛しさを確認するのだと……あいつが全てをかけて教えてくれた」
「…………」
「どれほど、愛してくれたか。慈しんでくれたか。
……知っているから、出来なかった。
あいつを失うことになる選択を。
でも……それが結局は花白も救ってやれない結果に繋がった。
黒鷹に、やらせてはいけなかったのに……!」
震えた声。
まるで迷子の子どものような、心細げな印象。
ただ、抱きしめてやりたいと思った。
だから……その思いのままに、そっと玄冬の身体を引き寄せて抱いた。
一瞬、腕の中で玄冬が硬直したものの、次いで、力を抜いてその身を預けてきた。
「……すまなかったな」
「……うん?」
「忘れることも……ふっきることも出来ずにいるくせにと、前に言った。
……出来るはずもないのにな」
存在の全てに浸透しているような相手だ。
切り離すことなんてできないほどに。
嫉妬に絡んだ感情がないかといえば嘘にはなる。
だけど。
黒の鳥なくして今の玄冬はありえない。
それならば……一緒に受け止めようと思う。
その黒の鳥への想いごと。
代わりになろうとか、そんなおこがましいことは思わない。
だがせめて。
こいつが一人で抱えずに済むように。
少しでも拠り所になれるように。
「……あんたはそれでいいのか」
「いいのか……とは?」
「…………あんたもにぶいな、隊長」
「あ?」
微かに笑ったような気配に戸惑う。何のことだ。
「俺は嫌ではないということだ。
こうして抱きしめられているのも。口付けをされるのも。
……それ以上のことも、多分」
「……っ! なっ!」
「だけど、黒鷹を忘れることは出来ないと思う。
それでも……あんたの傍にいていいのか?」
「……当たり前だ。馬鹿が。今更、他のどこに行くつもりだ」
顔を上げた玄冬の顎を捉えて、口付ける。
前のように唇を重ねるだけでなく、舌を絡ませて、口の中の熱を確かめる。
唇を離すと、そのままの勢いで寝台に玄冬を押し倒した。
微かに潤んだ瞳に、確実に心がざわめいていくのがわかる。
「……すまん。その……あまり経験はない、から……辛い思いをさせるかも知れん」
自分で押し倒しておいて、言うのも何だが。
「……お互い様だ。俺だって、黒鷹以外は知らない」
それでも、そいつとは数え切れないほど抱き合ったんだろうが、と言う言葉は自分があまりに情けないので飲み込んだ。
代わりに、上着の釦に手をかけて、白い首筋に口付けを落とした。
内心の動揺を悟られなければいい、と思いながら。
- 2008/01/01 (火) 00:06
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