作品
第7話:記憶を馳せる
「……ん…………」
「目が覚めたか」
声のした方に顔を向けると、銀朱がマグカップを片手にソファで本を読んでいた。
カーテンから零れ落ちる光で朝になっているのを知る。
あのまま、眠ってしまったのか。
「気分はどうだ? ……その、身体の方は」
「ああ、平気だ。悪くない。
……あんた、まさか寝てないとか言わないだろうな?」
「ちゃんと寝ている。俺も目覚めてから、そんなには経っていない」
「そうか……ならいいが。あ、服……」
何時の間にやら、寝巻きを着ているのに気付くと、銀朱が少し照れたように顔を背けた。
「……後始末なら、寝ている間にやらせてもらった。
……そのままにするには……その……」
「ああ。有り難う」
「いや、そのっ! ……礼を言われるほどのことじゃ……ない…………」
消え入りそうな声が無性に可笑しくて、つい笑ったら睨まれた。
……これで可愛いとか言ったら、凄く怒るんだろうな。
「飲むか。茶だが」
「ああ」
寝台から降りて、銀朱の隣に腰掛ける。
お茶はほどよい温度で喉を潤した。
しばらく、静かな空間の中で、二人でお茶を味わっていたが、ふいに銀朱が口を開いた。
「夢で……」
「うん?」
「……黒の鳥に会った」
「……! …………あいつはなんて、言っていた?」
なんとなく、見当が付きつつもそう尋ねてみる。
「散々可愛い息子だろうと、自慢された上に……悲しませたら許さないと」
「あいつらしいな。割と冷ややかだっただろう」
「む……」
沈黙にやっぱり。と思う。……おせっかいめ。
「あいつは基本的には他者に対しては冷たいからな。甘いのは俺に対してぐらいだ」
「ノロケか、それは」
「どうだろうな」
「なっ……え、あ! おいっ!」
横にある肩に頭を預けると慌てたような声が返るが、無視してそのままにする。
「……俺のとこにもあいつが来た」
「え……」
「自分を責めるのはもう止せと。……大切にしてくれる人間がいるのだから、自分を大切にしろと」
「……なるほど。お前には甘いんだな。えらい違いだ」
憮然とした声の響きに笑みが零れた。
本当にこいつはわかりやすい。
「銀朱」
「……何だ」
「次の休みに、少し付き合ってもらいたい場所がある」
「……? 構わんが、どこだ?」
「その時になったら言うさ。……あんたの体温は心地良いな……」
「あ! おい! 寝るな! もう朝なんだぞ!!」
「……まだ、余裕があるだろう。……もう少しでいいから……このまま……」
眠気に逆らえず、瞼を閉じると小さく溜息が聞こえた。
「……本当に少しの間だけだぞ」
「…………ん……」
そっと躊躇うように、髪を撫でてきた手が……確かに愛しいと思った。
――玄冬。
優しい、懐かしい声が頭の中に響く。
――幸せになりなさい。
夢で最後に聞こえた言葉。
どこまでも穏やかで、包み込むような温かい響き。
……有り難う。誰より何より愛しかった、俺の鳥。
お前が俺の鳥で本当に良かった。
***
「ここは……」
休みの日。朝から、空間転移装置とやらで、玄冬に連れてこられた場所は
人里から離れたところにある家。
「俺が黒鷹と住んでいた家だ」
「あ……」
なんと言っていいのか解らずに言葉を詰まらせると、玄冬は少し笑って家の中に促し……誘われるままに家に入った。
見渡す限り、きちんと整頓された室内は玄冬の性格が表れている。
この場所で22年。あの黒の鳥と過ごしていたのか。
「……片付いているな」
「この辺はな。……黒鷹の部屋はそうでもない。ほら」
「…………なるほど」
玄冬が黒鷹の部屋だと言って開けた扉の向こうは、確かに所狭しと本が床に積まれていたり、キャンバスや絵の具、絵筆などが散らばっていた。
床とそこに散らかってる物と、どちらの面積が多いだろう。
「あいつは本を読むのが好きなんだが、その本を大切に扱うという概念がイマイチなくてな。
よく、床に積んだり、その辺に置いてあったりなんかしていて、平気で埃を被せていた。
すぐに読まないなら棚にしまっておけと言うと、『後でまた読むから置いてあるんだ』なんて、答えて。
……そんなことを毎日の日課のように言っていたな」
本を拾い上げて、玄冬が懐かしそうな表情でそれを見つめる。
その様子にほんの僅か、心が痛む。
黒の鳥への想いごと受け止めようと思うのは、嘘偽りではないが、嫉妬心がないかと言えばそれはまた別問題だ。
「……ここに来たのは、何か持っていくものでもあるからか?」
「いや。……最後にもう一度見ておきたかったんだ。
人の住まない家はどうしても荒れる。ここを焼こうと思ってな」
「なっ……!」
「残しておくのも、返って忍びない。
誰か別の人間に住まれてしまうのも、正直嫌だしな。それなら……」
「馬鹿な真似はよせ! わざわざ、形の残ってるものを失くす事はない!」
「……銀朱?」
戸惑う視線を正面から見返す。
「住まないと荒れるというなら、時々こうしてここにくればいい。
……大事な場所なんだろうが。他の人間に踏み込まれるのも嫌なくらいの。
そんな所をどうして、あえて失くそうとする」
「……あんたは……残しておくのを嫌がるかと思っていた」
「嫌じゃない、とは言わん。……だがな」
どうしたって、自分では敵わないものがあるということを思い知らされる場所ではあるけれど。
「遠い日の思い出に馳せる事を、止めさせようとも思わない。
過去に戻ることは出来はしないが……過去あっての今だろう。
意識はしていないのかも知れないがな、ここを失くしたら、お前は自分を追い詰めるだけだ。
それなら、このままにしておけ。……それに……悪くはない」
「……うん?」
「お前の一面が垣間見えるからな。ここは」
知らなかった玄冬を知ることが出来る。
そういう意味では貴重な場所だ。
「あんた…………」
「……あ?」
「……本当に馬鹿だな…………」
しみじみと言った様子で呟くのはどうしてだ!?
「な! なんで、そうなる!
……大体お前は、何で人をそう馬鹿だ馬鹿だと……!」
「褒めてるんだがな。これでも」
「どう解釈したら、そうなる! ……玄冬?」
背中に縋るように頭を預けられて。
…………泣いているのだろうかと不安になった。だが。
「……有り難う」
穏やかな落ち着いた声に安堵した。
馬鹿と呼ばれるのも悪くはないかも知れないと、思う自分に呆れながら。
***
「銀朱」
「何だ」
帰り道。
少し家の周りを歩きたいとの言葉に付き合って、並んで歩いていると、不意に玄冬が真面目な響きの篭もった声で呼んだ。
「もしも……俺よりも先に逝かないで欲しいと言ったら、あんたはどうする」
「…………っ」
――私も甘いのだろうけどね。
大事な人間に先立たれる悲しみを、これ以上はあの子に味あわせたくないんだよ。
……辛い思いも悲しい思いもさせたくない。
黒の鳥がそういった言葉が蘇える。
それにもう一つ。何時だったか、玄冬の言った言葉も。
――あんたは殺しても死ななさそうだからな。
壊れてしまうだろうか?
もしも、俺が先に逝ってしまったとしたら。
今度こそ、こいつは壊れてしまうだろうか?
……想像したくはなかった。
それならば……辛くとも看取った方がまだましだ。
「……銀朱」
「いいだろう。……ただし。逝くのだとしたら」
何故、こんな話を今しなければと思う反面、今でなければいけない、とも思った。
「俺の目の届くところにいろ。最期まで見届けてやる。
それが出来ないなら、約束は出来ん」
「銀……」
「知らないところでなんぞ死ぬな。そんなのは……認めない」
「……いいのか」
「それでも! かなり先の話なんだからな。
生き残ったもの同士、ずぶとく生き延びる。……そう言ったろう」
「ああ。…………有り難う」
「礼を言われる筋合いはない。
俺がその方がいいと思うから、そう言っただけだ」
「銀朱」
「あ?」
玄冬の顔が綻ぶ。
「あんたのそういうところが、俺は結構好きだ」
「な……なななっ!」
いきなり、何を言い出すんだ、こいつは!!??
「すすす、好きとかそう言う言葉をあっさりと!」
まずい。顔が火照ってくるのを自覚してしまう。
「そんなに反応するほどの言葉か?」
「五月蝿いっ!」
「……好きでなければ、出来ないことだってしただろうに」
「っ……貴様が黒の鳥と親子だというのが今、よくわかった……!」
『好きでなければ、出来ないこと』の言葉の裏の意味を読み取って、益々、いたたまれなくなる。
嫌なくらいにそっくりだ。
躊躇いもなく『愛しい子』だの『可愛い』だの言っていた、あの黒の鳥と。
「……そう、か」
「ああ! ……おい、何を笑っている?」
「いや。何でもない」
「妙な奴だ」
「そうかもな」
「……待て。肯定するところか、それは」
***
――似てないな。
――うん?
――お前と俺だ。行動パターンとかが逆だろう。
まぁ、お前がやらないからやる。というようにしてたらそうなったんだが。
――うーん、逆というのはある意味では似てるということなんだけどね。
――……どういうことだ?
――ふふ……わからないなら、それでいいよ。……それにね。
――……それに?
――自分たちでは解らない部分で似ているのかも知れないよ。案外ね。
――……どうだろうな。
――おや。似ているとしたら嫌かね?
――色んな意味で複雑かも知れないな。
――つれないねぇ。血が繋がっていなくてもたった一人の息子なのに。
今なら思う。やっぱり似てるんだろうなと。
逆だからこそ似てるというのも。
……それを言われることが嬉しいと思う。
黒鷹の面影が自分の中にあることの証明だから。
似てると言ってくれるのも、もう一人しかいないけれど。
「銀朱」
「……何だ」
「あんたが生きていてよかったと思う」
「……ふん。お互い様だ」
まだ、顔を赤く染めたままの銀朱に……確かに『幸福』を感じていた。
――幸せになりなさい。
……黒鷹。俺は不幸だと思ったことはない。
前はずっとお前がいたし、今は銀朱がいる。
――俺の目の届くところにいろ。最期まで見届けてやる。
『絶対』の約束なんてないのは、知っている。
そう、言ってくれるだけで十分だ。
可能な限り、共にいてくれると。
そういうことなのだから。
もう、失くしたりしない。
だから、感謝をしよう。
育ててくれた俺の鳥と、共に過ごす……相棒に。
この命が尽きる、その時まで。
***
ずっと笑わなかった君を見て、あの選択をしたのは間違いだったかと心が軋んだ。
でも、今は。
やっぱりあれで良かったと思うよ。……嫉妬しないわけじゃないけどね。
だけど、もう私には見守ることしか出来ないから。
君が微笑って過ごしていけるなら、それでいい。
縛られることのない、一度きりの生を謳歌したまえよ。
そうして、終焉の時が訪れたら、君を迎えに行こう。
もう私は必要ないと言われるかも知れないが、それならもう一度、君を振り向かせるまでの話だ。
あの若輩君に負けはしないよ。
それまでは、しばしのお別れだ。
私の愛し子よ。
……君の人生にどうか幸多からんことを。
- 2008/01/01 (火) 00:10
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