作品
第1話:Blue
「見合い……ですか? 俺が」
それはある日の夕食時。
銀朱の父親である灰名が不意に話題を持ち出したことから始まった。
「ああ。第三兵団の隊長職も大分貫禄がついたと、城下では専らの評判になっているしね。
頃合かなと思うんだ。そろそろ身を固めることを考えても……」
「ちょ……父上! まだ自分は若輩に過ぎません、そのような状態で身を固めるなどと……」
「何を言っているんだい。
私がお前の歳の頃にはお前が生まれようとしていたというのに。ねぇ」
「そういえばそうですわね。……大きくなったものですわ。
銀朱は赤ちゃんの頃は人見知りする子でしたわね」
「そうそう。君か私でないとあまり長く抱けないとよく周りにぼやかれたね。……可愛かったけど」
「ええ、可愛かったですね。
髪の色も貴方と一緒ですけど、触り心地も一緒でこんなところも似るものかと思うと、何やら微笑ましい気分になりましたわ」
「………………」
和やかに銀朱の両親が当時のことを語っている一方で、銀朱が所在無さげな表情で押し黙る。
まぁ、覚えていない頃のことを親に色々言われる気恥ずかしさもあるんだろうな。
俺も黒鷹にその手のことを言われると何も言えなくなってたし。
俺はあまり世間一般の夫婦を知らないが、銀朱の両親はかなり仲睦まじいのではないかと思う。
家柄の都合による政略結婚だったと聞いたが、二人を纏う空気はその言葉にそぐわないほど柔らかくて温かい。
「……ゴホン。ですが、父上。自分にはまだ早……」
「早すぎるということはないはずだよ?
……銀朱。お前だって我が家の彩における立場を十分にわかっているはずだ。
そろそろ、跡取りがいてもいいと思うけれどもね。
まぁ、お前は私と違って身体も丈夫だから、その点はあまり心配してはいないけど。
……ねぇ、玄冬。君もそう思わないかい?」
急にこちらに話が振られる。
「え、ああ……そうだな。確かに早すぎるとまでは……」
その言葉に銀朱が『余計なことを言うな』と言わんばかりの視線を投げかけてきた。
仕方ないだろう。
実際、灰名の言うことは一々理に適っている。
そもそも、館に世話になっているとはいっても、血縁者でもない俺に何か口が挟めるわけだってないのだから。
「ほら。……いいね、銀朱。これは家長命令だよ。
何も今回で決めろとは言わない。
でも、いい加減腹を括っておきなさい。
それで、今回の話のお相手だけどね……」
灰名が見合い相手について述べていくのを、
どこか一枚隔てた世界で他人事のように聞いていた。
***
「……どういうつもりだ」
「……どういう、とは?」
夕食後、自室に戻ろうとした途端に、銀朱に腕を掴まれて、そのまま銀朱の部屋まで連れて来られ、部屋に入るなり厳しい口調でそう問われた。
「……さっきの見合いの件だ」
「ああ。あれが何か?」
「何かじゃない! ……お前は平気なのか」
「銀朱」
「……見合いして、婚姻を結ぶということは! お前以外の相手と……その……」
…………ああ、なるほど。そういう意味か。
「……あんたの立場はわかっているつもりなんだがな、これでも」
「…………っ……」
「この家は初代救世主直系の家系だ。
彩において……いや、他国にも影響を及ぼせる屈指の名家だし、跡継ぎが必要だというあんたの父上の意見は当然の話だ。
……最近、また伏せることが多いんだろう?
なら、元気なうちに跡継ぎを作って安心させてやったらどうだ」
「玄……冬」
傷ついたような顔に気が咎める。
だが、誰よりも銀朱本人がこのままではダメなんだと、分かっていたはずなんだ。
「あんただって、このまま婚姻をせずにやり過ごせると思ってはいなかっただろう。
俺はともかくとしても、あんたの立場でそれは通用しない。……わかっていたはずだ」
「……わかって、いる……だが!」
「俺の存在が枷になるなら、この家を出て行く。
大分この地にも慣れた。一人でやって行けないわけじゃない。
どうせ、仕事場では顔を合わせる事にもなるのだし……」
「そういうことじゃない! ……誰が……枷になっているなどと!
出て行けなどと言った! くそ……っ!」
「……っ……ん! …………ちょ……銀朱!」
胸倉をいきなり掴まれ、強引に口付けをされるとそのままの勢いで寝台に押し付けられる。
だが、見下ろしてくる顔はそれ以上、何をするでもなく。
やがて唇を噛み締めると、銀朱は俺の肩口に顔を埋めてきた。
「……思っていたさ」
ややあって、紡がれた言葉はさっきの剣幕とはうって変わって静かなものだった。
「いずれは両親のように。
家の立場を考え、しかるべき相手と政略結婚をすることにはなるだろうと。
それで構わないと思っていた。
政略結婚とはいえ、父上と母上は何時になっても仲睦まじく、自慢で……俺の理想だった。
俺も二人のように家庭を築くのだと……」
「築けばいい。俺のことなら気にせず……」
「口を挟むな。……暫く黙って聞いていろ。
先に言っておくがな。俺はお前を手放す気は毛頭ない。
仕事でも、それ以外でもだ」
「………………」
「わかっている。
今仮に断ったとしても、いずれは確実に見合い相手の誰かと結ばれることになるのぐらいは。
……だが、それは。お前にも、相手の女性にも不誠実になる。
そのことが俺には耐えられん」
「……俺は少なくとも不誠実だとは思わないがな」
肩口にある頭をそっと撫でる。
「そうやって、悩むこと自体があんたが誠実な証だろう。
……それに、あんたが不誠実だというなら、俺の方こそ、だ。
俺は未だに黒鷹の影を消し去ることは出来ない」
いつだって思い出す。
何かの拍子にあいつのことを。
こうしてる今でさえ。
肩口に顔を埋めるのは顔を見られたくない時に黒鷹がよくしていたな、と。
……忘れることなんて、出来やしない。
「……俺はそれでいいと言ったはずだ」
「じゃあ、同じことを言ってやる。俺もそれでいい」
「玄冬」
「相手の女性に言うも言わないも、あんたにまかせる。
俺に傍に居てほしいというのであれば、出て行ったりもしない」
「……お前はそれでいいのか」
「ああ」
「言葉そのものは凄く有り難いんだがな」
銀朱が軽く息を吐いて顔を上げる。
……ほんの少し苦笑を浮かべて。
「少しくらいは不平を言ったり、妬いたりして貰いたかったぞ、俺としては」
「……何も思うところがないわけじゃない。
だが、俺が言えた事じゃないとそう思っただけだ」
「生真面目だな」
「あんたに言われるのは心外だ」
お互いに目だけで笑って、寄せられた唇を重ね合わせる。
「……このままいいか」
「ああ」
求める言葉に拒む理由はない。首筋に落ちた唇。
その場所から疼きが波紋のように広がっていく感覚に身を任せた。
- 2008/01/01 (火) 00:12
- 続編:Perpetual ring
タグ:[続編:Perpetual ring]