作品
LA VIE EN ROSE
「ねぇ、いつまでそうやって繰り返していくつもり?」
血の色をした目に篭められた感情は怒りだったのか、憐れみだったのか。
「アンタが変えようとしなきゃ、いつになっても何も変わりはしない」
変えるつもりなどない。慣れている。
そう告げた言葉は低い笑いに押し潰された。
「嘘ばっかり」
見透かしたような笑いが酷く癇に障る。
「俺を殺したいと思ってるくせに。……大事な子どもを殺したんだもの。
『救世主』は。何度も何度も」
そうだ。殺さないのは玄冬が、優しいあの子がそれを望まないのを知っているから。
あの子は自分以外の何かが傷つくのを極端に嫌う子だから。
何度生まれてきてもそれは変わらない。
「憎くないわけないよね? 上手く隠してても、殺意くらいわかる」
わかる、ね。
お前などに何がわかるというのやら。
その言葉に自分の中の何かが切れた。
無言で腕を突き出し、その胸を貫く。
小さな石造りの部屋の中で、胸に赤い薔薇を咲かせた身体は二つに増えた。
それぞれに抱く感情は違っていても、血の臭いも死臭も誰のでも変わらない。
それがまた不愉快だった。
いや、不愉快に思ったのは、倒れて地に伏せた姿なのに、痛みを感じて無いかのように笑った所為だっただろうか。
「……たまには、変えてみなよ。ねぇ、黒鷹……サン」
最期の瞬間まで、笑みながら言い放った言葉。
それが彼の遺言になった。
彼は放っておいて、数刻前に冷たくなってしまった玄冬を腕に抱いて、乱れた髪を梳いてやりながら、先ほどの言葉を思い返す。
――俺を殺したいと思ってるくせに。
当たり前だろう?
君は、私がこの子に与えてやれないものを唯一与えられる者だから。
――大事な子どもを殺したんだもの。
そう、それが愛し子、自らの願いだとあっても。
また、私が誘惑に絡めとられた上で招いたことだとしても。
そうすることで、再び玄冬に逢い、共に過ごせていけるのだと解っていても、喪失感は拭えない。
ああ、そうだ。君の言ったとおりだ。
慣れてなんていない。
――たまには変えてみなよ。
変わるだろうか?
何度繰り返し生まれてきても、優しい玄冬。
……変わるだろうか?
今までの君と違った君に逢えるだろうか?
ああ、何か遠くで悲鳴が聞こえた。
白梟が何か言っている。
黙っているといい。
貴方も本当はわかっているのだろう?
変わらぬことの繰り返し。
こうしていても、あの方は戻ってなど来ないのだと。
抱いていた玄冬を床に寝かせ、白梟の方に向き直る。
真紅に染まった指先を白い首筋に当てても、その手に力を篭めても、片翼の表情は変わらなかった。
いや、寧ろ安堵しているかのようにさえ見えた。
そうか、貴方も疲れていたのか。
先の見えない繰り返しに。
「おやすみ、白梟」
微かに唇がそれに応えるかのように動いて。
翡翠色の瞳が閉ざされ、手を離すとあっけなく床に崩れ落ちた。
薄い胸に指を辿らせ、指先の血を擦り付け、赤い薔薇を咲かせる。
これで薔薇は三つ。
手向けの花だな、まるで。
花を掲げ、祈りを捧げる。
その魂に安らぎあれと。
何を戯言を、と言われるかな。
でも、偽り無き本心だ。
救世主にしたって、憎い感情を持ってはいても、その魂が『救世主』に選ばれたことはあれ自身の所為ではない。
ある意味、同情さえしているのだ。
じゃあ、始めようか。
この箱庭の終幕劇を。
どうせ、あの方は黙って見ているだけだろう。
……すまないね、玄冬。
もう私には約束は守れないよ。
***
――生きとし、生けるものは皆、自分が生きていくために他の命を殺す。
食い散らかされた、無残な獣の遺体を見下ろす黒鷹の目が何故か悲しい、と思ったことを覚えている。
――それが食物連鎖というものだ。生き物として当たり前のことなのだよ。
それでも、俺を見る目は何時だって優しく笑いかけていた。
いや目だけでなく、声も、口付けも、触れる指も何もかもが優しい。
――……それをしないのは人間だけだ。人間だけが憎しみなどの感情で命を奪う。
――己の生きる糧にするでなく。
俺に対してはどこまでも優しいのに。
黒鷹は他者に対してはいつも冷たかった。
――人は、傲慢で愚かな生き物だ。糧にしないのに命を奪う。
――あらゆる生命の中で、最も他の命について考えることが出来るくせに、それをしない。
じゃ、俺たちは? と問う。
『人』の姿をしている俺たちは?
そうしたら、私も君も『人』ではないのだ、と。
黒鷹は微笑みながら呟いた。
――価値があると思うかい? ……そんな『人』に。
わからない。
――白い雪に包まれて、消え行く世界はきっと美しいよ。
その中に俺たちだけが在ると? 二人だけで?
――そう。……どうだい?
黒鷹がいるならそれでいい。
黒鷹の言葉は俺にとっては絶対だ。
そう答えると、一層顔を綻ばせた黒鷹に抱きしめられた。
――良い子だね。……君は本当に良い子だ。
顔のあちこちに落ちてくる口付けと囁き。
黒鷹がそういうのならそうなんだろう。
世界は雪に埋められる。白く美しく。
それがあるべき姿だと。
***
「また始まったよ」
部屋に入って直ぐそれだけを告げる。
部屋の中央にある椅子に腰掛け、本を読んでいた玄冬がその声に顔を上げた。
かつて『管理者の塔』と呼んでいたところが、今の私たちの住まいだ。
まるで王族のように豪奢な家具を誂え、そこで浮世の様子を見ては嘲笑う私たち。
世界を手玉に取る魔王に相応しく。
きっと、あの人あたりが見ていたのなら、
『悪趣味にもほどがありますね』とでも呆れられただろう。
何をするわけではない。
ただ、黙ってここに在るだけでいい。
時が訪れれば、何をせずともこの世界は白く埋められる。
喜びも悲しみも楽しみも嘆きも全てが冷たい雪の下だ。
玄冬が『俺が生まれるたびに殺してくれ』と、選んだあの時以来。
人の記憶からは『玄冬』のことが徐々に薄れていったけど、知らない人間ばかりではない。
戦なぞすれば滅びを早めるだけなのくらい、わかっている人間もいるだろう。
なのに。目先の欲に捕われ、命を奪い合う。
「戦か……愚かだな、人は」
そう呟いて、玄冬が苦笑した。
その表情が、自分が苦笑しているときとそっくりなのだと気がついたのは何時だっただろう。
今までの玄冬がしていた苦笑とは明らかに違う種類の笑み。
今の玄冬はある意味で、私に一番似ている。
「ああ、愚かだね。ちっとも変わらない」
椅子の肘掛の空いている部分に腰掛け、
玄冬の髪に指を絡め、口付ける。
……人は本当に愚かだ。
おかげで私は微塵の躊躇いもなく、玄冬を選べる。
救世主の子どもももういない。
生まれた直後に私が殺した。
二人目の玄冬が生まれてきた時に片翼がやったように、腹を割いて、臓物を引きずり出して。
泣き叫ぶ母親を冷たい目で見下ろしていた。
違っていたのは、傷が修復されていった玄冬と違って、桜色の赤子は二度と目を開かなかったこと。
案の定、あの方は、いやあの方の影は手出しをなさらなかった。
私は赤子の命の潰えた瞬間にきっと笑っていた。
もうあれで玄冬が死ななくなったのだから。
あの瞬間に私たちの勝ちが決まった。
「変わらないから、変えるんだな」
玄冬の指も私の髪に伸ばされた。
もうこの子は知っている。
このまま行けば世界が終焉を迎えることを。
自分が滅びの媒介となることを。
だが、それに嘆きもしない。
そうなるように育てたのは、他ならぬ私なのだから。
……まさか、こんなに上手くいくとは思っていなかったけどね。
やはり育て方一つで違うものだ。
今の玄冬は、ただ笑って納得しただけだった。
少なくとも表面上は。
いや、もし内心納得できてないのだとしても、他に採れる道もない。
「そう、変える。
愚かなままで変わらぬものに、一体何の価値を見出せると?」
指を滑らせ、眼鏡を外す。
相変わらず、深い海の色をした目は優しい印象を与える。
私にだけ。
私が玄冬にだけ優しい眼差しを向けているのと同様に、この子も私にだけ優しい。
私以外はどうでもよいとその態度が告げている。
そんな君が何て愛しいことだろう。
「お前の言うとおりだな。
醜悪と思わず、変えようともしない愚かさは罪だ」
玄冬の指が、私の首筋を滑り、そのまま胸元のリボンタイを解く。
「おや、誘っているのかい?」
「それはお前だろ……う……っ」
耳を甘噛みすると、玄冬の声が擦れた。
何度生まれ変わっても、感じる場所は笑えるほどに変わらない。
この子は間違いなく、私の玄冬だ。
愛しい私のたった一人の子。
「……私だとしても」
「……っは…………」
這わせた舌に声が震えている。
「君だってそのつもりで触れ返してきたのだろう?」
「ん……!」
襟を寛げ、現れた肌に唇を寄せて吸う。
相変わらず愛撫の跡が残らない肌。
ごく僅かな間だけ吸った跡が紅く染まり、また雪原のような白い肌に戻る。
それでもこの肌は私しか触れたことがないのを十分に知っているから、一応満足はしている。
跡を残せる相手も存在しないのだからね。
「さて、ベッドに行くかい? それとも、ここでそのままするかね?」
自分の手袋を外しながら問いかけると、既に潤み始めた目がそれでも気丈に私を睨みつけた。
まぁ、狙っているだろう効果はないけれどもね。
答えを促すように僅かに開いた唇に指を辿らせる。
「ベッドに、しろ……」
唇に当てた指先を舌がなぞる。
淫靡な光景に自分の口元が緩むのがわかった。
君は本当に良い子だね。玄冬。
「……君の意のままに。魔王陛下」
恭しく手を取り、手袋を外して、その指先に口付けた。
敬意と愛しさと嘲笑をこめて。
***
「冷えてきたと思ったら……」
「ああ。……そろそろ始まったか?」
行為の後、身体の熱が収まり始めた頃に空気がいつもより冷たいことに気がつき、シーツに二人で包まって、窓辺から外を眺めたら、雪が降り始めていた。
季節的にはいつもの冬の訪れよりもほんの少し早い。
地面が薄っすらと白く染められていく。
いずれ、大地は全て雪に覆われるだろう。
「始まった、かも知れないね」
なんとなくそう思うだけだが、これでも『黒の鳥』だ。
多分、この直感は間違ってはいない。
「黒鷹」
「うん?」
「……綺麗だな、雪は」
「ああ、綺麗だね」
雪を綺麗だという。
かつての君ならば決して口にしなかった言葉を
……出来なかった言葉を、今の君は言う。
「これに全てが埋め尽くされていくのか」
「そうだよ」
「もしも……」
「……もしも?」
「……いや、いい」
「そうか」
伏せられた目。
何を言いかけたか、なんとなく想像がついたから、あえて追及はしなかった。
きっと、言おうとしたのは、私の望まない言葉だ。
望まない、それでいて本当は望んでいたかも知れない言葉。
でもそれを聞いてはきっと足元から何かが崩れてしまう。
……お互いに。
やっぱりね、今の君は私に一番似ているよ。
君も私も、どこかで自分を騙しているんだろうね。
二人で共に在る幸福は確かなものではあるけれど、望んでいたものとほんの少し違う。
私は哀しくなるほどに優しい君が好きだった。
全てを慈しみ、守りたいと思い、世界を愛する君が好きだった。
そして、君は。
きっとこうして育てられながらも、どこかで葛藤してただろう。
優しくありたいと。
私だけにでなく全てに。
生まれてくるたびに記憶は消え失せる。
でも、魂は同じものだ。
思わないわけはない。
それが『玄冬』なのだから。
解っていながら、私はそれでも育ててみたかった。
世界を優先しない君を。
殺してくれと言わない君を。
もう、どうにもならないことではあるけれど。
皮肉なものだな、最後の最後でそんなことを自覚してしまうなんて。
だが、全ては手遅れだ。
もう、私たちにはお互いしかいない。
「玄冬」
「……うん?」
「好きだよ」
本当の言葉でもあり、偽りの言葉でもある。
「……ああ、俺もだ」
そして、やっぱり君も。
望んでいる言葉でもあり、望んでいない言葉でもある返事をする。
「全ての命が途絶えたら、ここを出よう。
でないと、私はいずれ君を一人にしてしまうからね」
「置いていくなよ」
「わかっているさ」
唇を重ね、言葉を紡ぐ。
真実でいて、真実でない言葉を。
「もう、私たちにはお互いしかいないのだからね」
そうして、永遠の時間の中で過ごしていこう。
偽りを秘めて。
私の愛しい子、そして最愛の共犯者。
もう一蓮托生だ。
逃がしはしないよ。手離さない。
***
――さぁ、終幕だ。
――悲劇だったのか、喜劇だったのか。
――それは主のみぞ知る、かな? ねぇ、玄冬。
――約束なんて、するものじゃないよ。
――誘惑にも欲望にも勝てはしないのだから。
――だって、結局私は私で、君は君。……そうだろう?
2005/06/12 up
魔王玄冬アンソロ『月華輪廻』に寄稿した小説の微妙リメイク。
up時にリメイクしたものから、ほとんど変更なしです。
魔王玄冬話を書いたのはこの時が初めて。
これはそれまでのうちの黒玄と基本タイプが違う
(根底は一緒だけれども)感じでやってました。
普段と違う系統だからか、書いた本人も気に入っている話だし、好きだと言ってくださる方も割りといて嬉しかった覚えがあります。
タイトルは皮肉によるもの。
途中で約束を守らないことを選択した春告げの鳥もありってことで。
- 2008/01/01 (火) 00:03
- 黒玄