作品
檻の中に眠る魂(玄冬Ver.)
「悪いね」
ちっとも悪そうだとは思っていない口調で、その男はそんなことを言った。
「試してみたいんだ」
低い笑いと得体の知れない雰囲気に呑まれて身動きできず。
気付いた時には胸に剣が刺さっていた。
「直ぐには死ねないよ」
「く……っ」
「恨むなら、あの鳥を恨めばいい。
ずっと幸せに育てられてきたんだから、最期くらい苦しめよ」
何故か泣き出しそうな表情で、そう言い放った男にふと何かが記憶の隅をよぎっていった。
――世界が続いて俺が生まれる限り、俺を殺し続けてくれ。
それは……誰に言った言葉だっただろうか。
――君は、本当にこの世界に価値を感じているのかい?
ああ、そうだ。黒鷹だ。
他の相手に頼めることじゃなかった。
黒鷹だけにしか言えなかった。
それがあいつにとっては何よりも残酷な言葉だと知りながらも。
それでも黒鷹は約束を守ってくれている。
……そうだ、思い出した。
もう、何度もこうやって、生まれてきて。
時が来たら救世主に殺される。
それを望んだのは俺で、黒鷹は生まれる都度に愛して、育ててくれる。
遠のいた意識の中で、黒鷹の苦笑が脳裏に表れた。
***
「っ……」
酷く寒気がして目を覚ました。
が、身体を動かそうとした途端に、胸に激痛が走る。
ああ、そういえば剣で刺されたんだったな。
剣を振るった当の相手の気配は既にない。
ここにいるのは俺一人、か。
――最期くらい苦しめよ。
そうだな。
そのくらいの罰は受けるべきかも知れない。
あの約束を交わしてからは、黒鷹は何時だって俺に何も言わない。
きっと俺が何も気に病むことはないようにとのことからだろう。
甘いな、あいつも。
だけど、俺はそれを知っているから、あの時に頼んだ。
それを思えば、一人で最期を迎えるのは当然の罰かもしれない。
黒鷹が俺の最期に傍にいたことがないのは、辛いからだろう。
逆の立場だったら、きっと俺だって辛い。
だけど。
望む資格も俺にはないけど、本当は逢いたい。
最期は黒鷹の傍で迎えたい。
「……ろた……か」
聞こえるはずもないとわかっている。
だけど、それでも呼んでみる。
勿論、返事は来ない。
あと、どのくらいこうしていれば、死ぬのだろうか。
目を閉じても、意識は遠のかない。
酷い寒気と痛みに邪魔をされる。
ふと、その時。
部屋の外から、足音が聞こえた。
まさかと思った。聞こえていないと思った。
だけど、これは黒鷹の足音だ。
続いて扉が開いて、近くに人の寄る気配。
「玄冬?」
間違いない。本当に聞こえたのか?
「……ろ……た……っ…………ごっ……が……!」
それでも、目を開けると間違いなくいたのは黒鷹で。
名前を呼ぼうとしたけど、苦しくて声にならない。
黒鷹の腕が身体の下に入って、抱き起こされる。
ほんの少し、呼吸が楽になった。
伝わる体温が心地よい。
だけど、俺は血塗れだから、黒鷹が汚れてしまう。
「……カ……おま……が……汚…………っ! ……がふ」
こみ上げて来る血の臭いに咽る。
話したいのに、まともに言葉にならないのが辛い。
「喋ろうとしなくていい。辛いだろう?
唇の動きでわかるから声を出そうとするのは、よしなさい。
汚れることなら、気にしなくていいから」
そう言って黒鷹が髪を撫でてくれる。
優しい言葉と仕草に安心する。
それが嬉しいけど、同時に凄く申し訳ない気分にもなる。
きっとこんな形になるのは、こいつにとっては不本意だっただろう。
(黒鷹)
「うん?」
(……すまない)
「……何に対してだね」
(色々……だな。嫌な思いばかり……させている。いつも)
感謝も謝罪も、いくらしても足りないほどに。
「……玄冬?」
視界が霞んでくる。もう、黒鷹の顔が見えない。
「まさか、覚えて……?」
伝わる黒鷹の鼓動が少し早くなったのが感じられた。
(……最期の時に、傍にいてくれたのは初めて……だな。)
答えの代わりにそう告げた。
見えなくなった分、せめて触れたいとろくに動かない手を彷徨わせると、黒鷹が手を取って、自分の頬に押し当ててくれる。
伝わる温かさが泣きたくなりそうなほどに愛しい。
「……いつ、思い出したんだい」
(ちょっと前、だな。意識が時々霞んだ時に、ふいに。)
「まいったね」
呟きは苦笑交じりだ。
(お前は不本意かも知れないがな。)
「うん?」
(こうして逝けるのなら、幸せだと俺は思う。最期の瞬間までお前を感じられるから。)
酷だろうと思っていた。
でもそれでも。
傍にいてくれたらと、幾度か思った。
叶わぬ願いだと思っていたのに。
「……だから、私は傍にいたくなかったんだけどね」
声がほんの僅かに沈む。
「……まだ、満足だといえるかい?」
(ああ)
「もう世界のほとんどは、君の存在を知らないよ。
御伽噺にでさえ、なっていないんだ。それでも?」
それこそが望みだった。
大多数の人間が、何も世界の理を知らずに済み。
滅びを気にせず、過ごしていける世界。
それに。
(でも、お前は覚えている)
何時になっても。
生まれた俺を見つけて、育ててくれる。
愛してくれる。
「…………」
(だから、それでいい)
それ以上の望みなんてない。
黒鷹さえ、俺を忘れずにいてくれるなら。
「私は……よくないんだけどね」
(俺……は……けふ……っ!)
「……っ!」
またこみ上げる血で苦しくて、言葉が続かなくなる。
すかさず黒鷹が口付けて、俺の口の中から血を吸い出し、飲み込む。
汚れた血を。
そんなことさえ、こいつは微塵も躊躇わない。
(黒……鷹……)
「いい。……もういいから、そのまま、じっとしていたまえ」
何かを堪えるような様子の伺える言葉。
(……すまない)
「謝らなくていいよ。
……どうせ、それでも約束を反故にしていいとは言ってはくれないんだろう?」
仕方のない子だね、とでもいうように。
最初から諦めの入っている言葉がおかしくて、嬉しい。
ちゃんと、わかってくれている。
(ああ。……なぁ、もう一度……)
「うん? ああ」
口付けをして欲しいと、含めた言葉を直ぐに理解してくれて、唇が重ねられた。
温かくて柔らかい感触。
きっと今の俺には最後になる。
もう、聞こえる声も大分遠くなってきた。
「黒鷹」
やっと、ちゃんと名前を呼べた。
「有り……難う」
消えゆく意識と感覚の中でやっとそれだけを告げた。
***
「へぇ、思ったよりはもったんだ。加減、上手くいったかな」
なんとなく、気配から玄冬が死んだことを悟って、部屋に行ってみると黒の鳥が玄冬を抱きかかえていた。
なんとまぁ、仲の良いことで。
「……何の用だい」
おそらく、玄冬に出す声とは雲泥の差があるだろう。
刺々しい感情を隠しもしない。
「別れの挨拶できたでしょ? たまにはいいんじゃな……」
言葉を言い終わる前に、喉元が締め上げられた。
黄金色の瞳が激しい怒りを湛えている。
本当にあの子は愛されてるんだね。
「黙りたまえ。このまま喉を掻き切られたくなければね」
「すれば、いいじゃ……んっ。役目、終わったし……さっ……」
本心だった。特に生きる目的も何もない。
『役目』だって終わったのだから、あの人ももうどうでもいいと思うだろうし。
「……できるものならね」
いかにも仕方なくというように手が離れた。
急激な開放に呼吸がついていかず、咳き込んだ。
「……そんなに大事なんだ」
苦しませて死なせるなって言ってたっけね。
「この子より優先させるものは私にはないよ」
冷たくそう言い放つと、黒の鳥は俺に背を向けて、玄冬をまた抱えた。
ちらりと見えた横顔が優しい。
本当に玄冬が羨ましいよ。
愛されて育ったっていうのがよくわかる。
――時が来たら、あれを殺してしまいなさい。
――そうすることにより、世界が救われるのですから。
他のことには興味もないというように、あの人はその言葉ばかりを繰り返した。
俺が救世主でも何でもなかったなら、きっとどうでもいいんだろうって感じで。
でも、きっとこの二人は、立場が違うものでも関係は変わらないのかもしれない。
そんな相手が俺も欲しかったけどね。
「じゃあ。またいずれ」
「……それ、どうするの」
物のような言い方が気に入らなかったのか、視線が鋭くなった。
「弔うに決まっているさ」
「……いいね、玄冬は」
「どういう意味だい」
「多分、あの人は俺が死んでも、そんな風に心を傾けてくれない」
「……そう思うなら、それをあの人に言えばいいだろう。私には関係のないことだ」
「…………そうだね」
しごく、もっともな意見だ。
この人に言ったって仕方ない。
この人は玄冬しか見えてないんだから。
もう返事さえせず、黒の鳥は玄冬を抱いてどこかに消えた。
血溜まりの中に足を踏み入れて、唾を吐く。
遠い昔。
『花白』という名前の救世主だった頃に、玄冬を好きだった、という記憶が微かにある。
だけど、俺と花白は別人だし、記憶があっても感情は引きずられない。
なのに、彼らに関しては勝手が違うらしい。
「……何時までつきあわなきゃならないんだろうね」
やってられない。二人の絆を見せ付けられるだけだ。
「まぁ、そろそろ変化が欲しいところかな」
待ってみようか。その時を。
それまで、あの人に色々と言ってみるのも良いかもしれない。
聞いてもらえたら、の話だけどね。
2005/01/16 発行
個人誌『Ad una stella』より。
黒鷹Ver.は黒玄祭出展作でした。こっちは玄冬+救世主視点。
白梟にしても、繰り返される流れに後ろめたさも感じていたりして、そのために救世主に対して、そっけなくなったりしているのですが、救世主視点だとそれを上手く書けない……とは途中で気付きましたw
そのうち書けることがあれば、書きたいかも。
- 2008/01/01 (火) 00:05
- 黒玄