作品
昔話と思い出と
[Kuroto's Side]
――ねぇ、人魚姫はどうなってしまうの?
――ああ、そんな泣きそうな顔をするんじゃないよ。……人魚姫はね。
泡となって沈んだ人魚姫。俺がその結末を知ったのは随分と後の話だった。
***
「玄冬、ちょっといいかい。聞きたいことがあ……ああ、何だ。その本は君が持っていってたのか」
寝台に腰掛けて本を読んでいたところに、黒鷹が扉をノックしたのと同時に部屋に入ってきて、俺が手にしている本に視線を止めた。
「ん? ああ……もしかして、探していたか? 悪かった。
お前の部屋を掃除していたら、偶然見つけて、懐かしくなったんでつい、な」
開いていた本を閉じて、黒鷹に渡そうとしたが、そっと押し戻された。
「いや。所在がわかったならいいさ。確かに懐かしいね」
読んでいたのは、昔、黒鷹が寝物語に読んでくれた古い御伽噺を語ったもの。
あれは幾つ位までのことだっただろうか。
俺が寝る前に黒鷹が本を読んで聞かせてくれたり、子守唄を歌ってくれてたりしたのは。
今でも、時間が出来るとつい本を読みたくなるのは、きっとこの時の影響もあるんだろう。
黒鷹は話を読み聞かせるのが、多分上手かったんだと今なら思う。
毎晩、どんな話になるのかと、わくわくして待っていた思い出がある。
もっとも子守唄については、歌が下手なわけではないけれども、放って置くと延々と続いてしまうのに辟易して、止めてもらったという経緯はあるのだが。
ただ、本といえば。
自分1人で読めるようになってから、話して貰った物語を読み返してみると、幾つか気がついたことがあった。
機会がなかったので、ずっと聞きそびれてしまっていたのだけど、今なら丁度いいかも知れない。
本を読んでいて俯いていたからか、少しずり落ちていた眼鏡の位置を戻して、黒鷹に向き直った。
「黒鷹」
「うん?」
「……自分で本を読むようになってから気がついたんだけどな。
お前、俺に読んで聞かせてくれてた話、結構作っていただろう」
やけに「めでたし、めでたし」で終わるような、いわゆるハッピーエンドの類のものが多いとは、当時も思ってはいた。
だけど自分で改めて読んでみて知ったのだ。
聞かせてくれた話の半分くらいは、哀しい結末だった話もあったのに、聞いたときにはそうではなく、幸せな気分になる優しい結末で。
黒鷹が話してくれた話は物語の何処にも書かれてはいなかった。
あれらは黒鷹が自分で勝手に作った結末であり、物語だったのだ。
「……まぁね。そうだな、今ならもういいか。君も多分、覚えていないだろうし」
「うん?」
ごく僅かに苦笑を浮かべて、黒鷹が俺の隣に腰掛けた。
「最初はね、ちゃんと話の筋書き通りに、読み聞かせていたんだよ。
だけど、哀しい話だと君が泣くから。
おのずと避けるようになってしまってね」
「ちょっと待て。お前が泣いていたような記憶もあるぞ、俺は」
嘘や記憶違いなどではない。
黒鷹は感情移入をして読むからなのか、陽気な場面などでは、本当に愉快そうに語ると同時に、物哀しい場面では、時々声を詰まらせるようなことがあったはずだった。
「君だよ、泣いていたのは。私は君につられてしまって、つい泣けたんだ」
黒鷹の手がそっと俺の頭を撫でてくる。
まるで幼かった頃によくしてくれたように。
「例えばそうだな……丁度、その本に出ている『人魚姫』とかね。
王子を慕ったが故に、声も仲間も失って、足を手に入れることを選択し、地上に来たにも関わらず、報われない人魚姫が可哀想だと。
もう、王子に隣国の姫という婚約者が出てきた時点で、目が潤んでしまっていたものだから、これはまずいと思ってね」
「……奇跡が起きて、人魚姫が声を出せて、王子が助けられたときのことを思い出す……という話になったんだったな」
本当の話の流れを知ったのは随分と後だった。
確かに、人魚姫がどこまでも報われない、哀しい話だとは思う。
さすがにもうこの歳では泣くことはないけれど、ほんの少しだけ今でも胸が痛くなる話だ。
「よく覚えているね」
「そりゃあな」
黒鷹が意外そうな顔をしたかと思うと、何故か楽しそうに声を立てて笑った。
「ふふ。久しぶりに、君に何か本を読んであげようか。
ああ、いや。いっそのこと、君に読んで貰う方がいいかな。
うん、それで行こう」
「……は?」
言うや、否や。
黒鷹はさっさと俺の寝台の端に潜りこんで、横の空いたスペースをとんとんと叩いて、『入っておいで』というかのように誘った。
「ほらほら。こういうときの定番は、やっぱり枕元での読み聞かせだろう?
君の声での話が聞いてみたい。
そのまま物語に忠実に話してくれてもいいし、昔、私がやったように、話を作ってくれても構わないから」
「……定番って、お前な」
呆れながらも、こう言い出したら後に引かないだろうこともわかっている。
半ば諦めつつ、本を持って自分も黒鷹の横に潜り込んだ。
***
「そして、人魚姫は王子の寝台に近寄り、ナイフを振り上げましたが……黒鷹?」
静かになった気配に横を向いてみれば、何時の間にか黒鷹が眠りに落ちていた。
本当に眠ってしまう気だったのか。
てっきり、そのままいつものように行為になだれ込むつもりで、寝台に入りこんできたのかと思っていた。
少しだけ肩すかしをくらった気分だが……まぁ、たまにはこんなのも悪くない。
本を閉じて傍らのチェストに置くと、そっと眠ってる黒鷹に顔を寄せた。
口付けようとした瞬間、かしゃりと眼鏡が黒鷹にあたる。
ごく僅かに、黒鷹の眉がぴくりと動いたが、幸いにも目が覚めたりはしなかった。
うっかりしていた。
大体こいつから口付けてくれるときには、自然な動作で外してくれるから、つい眼鏡の存在を忘れてしまう。
キスするときには、ちょっと邪魔なんだなと今更ながらに知った。
改めて眼鏡を外して、本の上に置いて。
軽く掠める程度に唇を重ねた。
……大丈夫だ、起こしてはいない。
「……おやすみ、黒鷹」
小さく呟いた後上掛けを肩まで上げて、少し黒鷹の方に身体を寄せると、腕が伸びてきて身体が引き寄せられた。
鳥としての習性から来るものなのかはわからないが、黒鷹は一緒に寝ていると無意識に抱きしめてくる癖がある。
俺が子どもの時からそうだ。
言いはしないけれども、このぬくもりに包まれていると守られているみたいで安心する。
布地越しに伝わる優しい体温に目を閉じる。
明日の朝はゆっくり過ごせないかも知れない。
きっと何もせずに寝てしまったことを朝になって勿体無いとか言い出しそうだから。
容易に想像がついてどことなくおかしい、けれど満たされた気分で、意識を覆い始めた眠気に身を任せた。
[Kurotaka's Side]
「……そこで、王子は人魚姫に言いました。
『あの姫が、私の命を救ってくれた人なのだ』と。
『貴女は私の妹のような存在だから、どうか、彼女とも仲良くして欲しい。
貴女も彼女も私には大切な人だから』
……違うのに。
貴方をあの嵐の夜に助けたのは私なのに、と人魚姫は思いましたが出せない声でどうしてそれを、王子に伝えられるでしょうか」
玄冬が穏やかな口調で話を綴る。
結局、特に捻る事もなく、普通に物語の道筋に沿わせて話すことにしたようだ。
まぁ、君らしいね。
――ねぇ、人魚姫はどうなってしまうの?
語られている場面のせいか、不意に少し昔のことを思いだす。
泣きそうな目でそんなことを聞いてきたんだったな。
その様子に、つい話を良い方向に持っていってしまったのだったっけ。
君の泣き顔を見たくなかったというのも事実ではある。
だけど、本当は自分が少し辛かったからかも知れない。
人魚姫に君をつい重ねてしまったんだよ。
きっと、君も彼女と同じ状況になったら、自分が泡になって消えてしまうことを選んでしまうのだろうとね。
いや……違うな。実際にこの子は選んでしまったんだ。
――お前に頼みたいことがある。
眼鏡の奥で強い意志を秘めた、深い海の色の瞳。
何より愛しい色に浮かんだ強い意志。
あれを言った時の君の眼を、私は未だに忘れられない。
この先もずっと忘れることは出来ないだろう。
――次に俺が生まれたら、必ず殺してくれ。
世界の他の全ての為に。他者を生かすことを選んで、自分は誰にそれを知られることもなく、ひっそりと生きて、時が来たら、死んでいく。
それをずっと気の遠くなる時の中で繰り返していくことを。
本当は今でも思う。
こうやって共に過ごせる時間は、この上なく幸福だけれど、それでも君が笑って逝ってしまう都度、願ってしまう。
次の君こそ、私を殺してはくれないだろうか、とね。
何も自分からは告げてやることも出来ないくせに、それに気づいてくれたらと思ってしまうんだ。
殺してくれ、と玄冬が告げたときから随分時は経った。
今のこの子も何人目だったかさえ、私は覚えていない。
もう、この世界のほとんどの人間が『玄冬』と『救世主』を知らなくなって久しい。
御伽話にでさえ、何時からだったかならなくなってしまっていた。
知っているのは各国で上の立場にある人間たち、そして、私たち鳥と……救世主。
玄冬は何も知らない。
私が何も告げないから、何一つ教えはしないから。
……ねぇ、さすがに堪えたんだよ。
優しい声で残酷な願いを告げられるのは。
自分を犠牲にする方法を選んで欲しくはなかった。
その癖、私は幾度も君に逢えるという、その誘惑を何時まで経っても撥ね退けられない。
穏やかに屈託なく笑いかけて、私の名を優しく呼んで、潤んだ瞳で存在を求めて。
どうしてそれを失おうと思える?
それがあるから、私も長い時を過ごしていけるというのに。
だから、幾度も繰り返していく。
それで君も満足なんだろう?
また、笑って逝くといい。
そうして、早く生まれておいで。
いつものように、愛して育ててあげるから。
ずっとこの腕で抱きしめてあげるから。
もう君は哀しい想いなんて知らなくていいんだよ。
だってもう十分過ぎるほどあの時に知ったんだからね。
……ああ、意識がまどろみ始めてしまった。
君の声でその話の続きを聞くのを、どこかで拒否してしまっているんだろうか。
抱くつもりで寝台に入ったんだけどな。
まぁ、いいか。明日もあるからね。
明日の朝、どう君に触れようかと考えながら目を閉じた。
今回の滅びの兆候を迎えるその時まで、まだ時間はある。
だから、今は唯。
優しい穏やかな二人きりのこの時に身を委ねよう。
――黒鷹
――うん?
――俺、黒鷹の話を聞くのが、大好きだよ
――そうか。……有り難う
愛しい君に優しい記憶をだけを抱かせて、安らかに眠らせる為に。
泡となり人知れず消えゆく人魚姫。
彼女のように辛い思いをしながら逝かせはしないから。
(多分)2004/12/29 発行
眼鏡玄冬アンソロジーこと『眼鏡MANIAX』に寄稿した原稿のリメイク版。
日常ほのぼのかと思いきや、既に春告げの鳥ループ中、な話。
眼鏡がキスで邪魔になるというのが書けて満足w
- 2008/01/01 (火) 00:08
- 黒玄