作品
黒親子宅の飲酒事情
「玄冬、玄冬。今夜はこれを飲んでみないかい?」
外から帰ってきたばかりの黒鷹が、マントを脱ぎながら、ダイニングテーブルの上に一本の瓶を置いた。
微かに漂ったアルコール臭でそれが酒だと解り、つい俺の口からは溜息が零れる。
「……お前、また新しい酒を買ってきたのか。
先週、出掛けた時にも買ってきていただろう。無駄遣いも大概にしろ」
十六歳になったばかりの俺に、黒鷹がそろそろ酒に付き合い給えと、飲ませ始めたのは半年程前の話だ。
こいつとしては、俺が酔う様が見られる事を物凄く期待していたらしい。
が、生まれ持った体質なのか、それとも『玄冬』としての特性からなのかはよく解らないが、幾ら飲んでも酒は水のようにしか感じられず、酔うという感覚がさっぱり理解出来なかった。
それが余程悔しかったのか、以来、黒鷹は遠出する度に土産と称し、以前にも増して様々な酒を買ってくるようになった。
そろそろ酒に金をどれ位費やしたのかを問い質さなければならないだろう。
「ま、ま、そう言わずに。これは茨の国でも強くて美味いと評判の酒でね。
ただ材料が少々貴重だとかで、入手が難しかったんだ。
先々月注文してやっと届い……」
「ちょっと待て。今、材料が貴重だと言ったな。
…………一体幾らしたんだ、それ」
嫌な予感がする。
案の定、黒鷹は俺から目を逸らして、口元を軽く引き攣らせた。
「えーと…………うーん、そうだな。
君は値段を聞かない方が、精神衛生上は穏やかじゃないかなぁ……と」
「黒鷹!」
思わずテーブルをバンと勢いよく叩くと、流石に後ろめたさがあったのか、黒鷹が肩を竦め、一歩後ろに下がった。
「そう怒らないでくれたまえ!
いいじゃないか、美味い酒、そして美味い肉は人生の潤いだよ!
別に我が家は生活に困窮しているわけでもないんだし、少し贅沢するくらいはそう目くじら立てなくても」
「いーや、今日こそはもう勘弁ならん。
酒に金を注ぎ込むのもいい加減にしろ。
酒というのはあくまでも嗜好品だ。
栄養のある肉ならともかく、生活に困っていないからといって、嗜好品如きに毎回金を費やされてたまるか。
まして、俺は酔わないという事をお前は良く知っているはずだよな?」
「だから、何とかして一度は酔わせてみたいと、色々試してるんじゃないか!」
「そろそろ、それが無駄な行為だと気付け。諦めろ。
大体、試すと言う割には人を酔わせる以前に、お前がいつも一人でさっさと酔い潰れているのはどういうことだ?」
「…………ぐ」
こいつが他人の前で飲んでも酔えないのを知っているから、つい対応が甘くなっていたが、何事にも限度というものはある。
「毎度、酔ったお前を介抱しなきゃならないのは誰の所為だと思ってるんだ。
こっちの身にもなれ。
それに俺を酔わせたいというのは、お前が色々な酒を飲みたい口実にしているだけじゃないのか」
「うっ……それは…………」
図星だったらしい。返す言葉もないと言ったところか。
再び吐いてしまった溜息に、黒鷹が俺の様子を恐る恐るといったように窺ってくる。
「……まさかとは思うが、禁酒しろとか言わないだろうね!?
それは御免だよ!
そんな事された日には、夜毎、君の部屋の片隅で膝を抱えて泣き続けるよ!」
何処までも酒が飲めるかどうかの心配が先立つらしい。
酒飲み全てがこうだという訳ではないのだろうが、呆れ返る他にない。
子どもの我が侭より性質が悪い。
いっそ泣き続けてみろと一瞬だけ言いそうになったが、実際そんな事態にでもなったら、介抱する以上に面倒な事になるのが目に見えている。
だから、俺は打開策として一冊の本を取り出し、テーブルの上に置いた。
「安心しろ。飲むなとは言わん。
が、今のままでは健康面でも、経済面でも良い状況だとは言えない。
そこでだ。今後、お前が飲む酒は俺が作る。
勝手に買ってくるのは禁止だ。摂取量も制限させて貰う」
「……何だって?」
『果実酒の作り方』というタイトルまんまの内容の本は、元々黒鷹の部屋にあったものだ。
多分、表紙に見覚えくらいはあったんだろう。
俺と本を見比べて目を見開いている。
「果実を色々採取すれば、酒のバリエーションも増える。
早々飽きることはないだろう。いや、飽きさせないようにしてやる。
それで量を抑えるようにしろ」
「よく、こんな本を見つけ出してきたね。
……ふむ、料理であれだけの腕前を見せる君の事だ。
これはこれで楽しみが増えたな。……玄冬」
「ん?」
妙に機嫌が良さそうに、黒鷹が俺の頭を撫でて来た。
「君は本当に可愛い事をしてくれるね」
「? 何がだ」
「いや、いいよ。解らないのなら、それで。
ふふふ、そうか、そうか。今後は君のお手製の酒が飲めるんだな。
そう思えば、多少量が減るくらいどうという事はない」
相手の表情が一気に満面の笑みになった辺り、もしかしてこの対応も甘いものだったのかも知れないが、そこはあえて気付かないふりをする。
とりあえず、今日買ってきた酒は半分は果実酒作りに回すというのを理由に、必要以上は飲ませないようにしようと決意した。
2007/10/07発行
COMIC CITY SPARK2での花帰葬プチオンリー、箱庭謝肉祭でのパンフレット(プチアンソロジー企画)に寄稿したものです。
- 2008/01/01 (火) 00:10
- 黒玄