作品
Noir
初めて、遠目に見た桜色の髪。
転移装置で黒鷹に連れ去られて姿が見えなくなる瞬間まで、それは眼に焼きついていた。
――直接、面と向かって会えば直ぐに解るんだよ。
――危なかった。まさか、あそこで彼が出てこようとはね。
あいつはそう言った。
危なかった、という言葉にはどうにも実感が湧かなかったが。
――君たちの繋がりは特殊なものだから。
確かに、本能はどこかで危険を察知していた。
『救世主』。
『玄冬』と対の存在であり、世界で唯一人『玄冬』を。
……世界を滅ぼすことが出来る俺を殺せる者。
――だからうかつに近づくんじゃないよ。特に私が君の傍に居ない時にはね。
手遅れだ。真紅の瞳は俺をしかと捕らえていた。
そして、俺も思ってしまっていたのだから。
こいつにだったら。任せてしまえる。
きっと悪いようにはならない。
……殺されてしまっても構わない、と。
***
「悪い。俺さ、あんたとどっかで会った事あったっけ?」
「……いや、初対面のはずだが」
初めて見かけて以来、存在を意識しつつも実際に言葉を交わしたのは今日が初めてだ。
レジスタンスと部族集の和平会議の後、『救世主』が俺に話しかけてきた。
やはり何か感じるものがあったんだろう。
俺が正に今そう思っているように。
「そっか。……今、時間ある?
俺、あんたとちょっと話してみたいんだけど」
「ああ、構わない」
「そう。じゃあ少し外に出よう。
年寄り連中は年寄り連中で積もる話もあるらしいし」
精々四十代から五十代のあたりだろう彼らを、年寄りと括ってしまうのもどうかとは思ったが、それは恐らく彼なりの親しみを籠めた言い回しなんだろう。
悪意や嫌味ではなく、寧ろ清々しささえ感じる。
きっとそれを歯に衣着せぬ言い方だと疎ましく思うものもいるかもしれないが、率直な態度と好意的に取るものの方が多そうだ。
彼自身により興味をひかれたし、話すことにも異存はない。
何かがあったとしても、さすがに今この場で殺されるということもないだろう。
だから、彼の言う言葉にそのまま頷いて、後に続いた。
――うかつに近づくんじゃないよ。
黒鷹の言葉が一瞬脳裏にちらついたが、結局はそれを振り払った。
今夜は俺の周辺には近寄るなと言ってあるから、きっと今頃どこかで苦笑しているに違いないだろう図を想像して、少し可笑しかった。
***
「あんたの話は聞いてるよ」
館の庭を歩きながら、『救世主』が話というよりは独り言を呟くような感じで言葉を紡いだ。
「お堅い年寄り連中やあんたの異母兄弟たちを説き伏せて、レジスタンスと和平を結んで、連合軍に共に対抗しようって言い出したのはあんたなんだってね。
事を運ぶには弊害も多かったろうに、大した貢献だ」
「……俺も話は聞いていた。鬼神の如き強さでレジスタンスを率いて、連合軍に幾度も辛酸を味わわせたとな。
まさにレジスタンスの『救世主』なのだと」
「そう、レジスタンスの、ね。……本当にそれだけならよかったけど」
くるり、と振り返ったかと思うと何時の間に鞘から抜いていたのか、剣が喉元に当てられる。
だが、殺意は微塵も感じられなかったから、そのまま身動きもしないし、何も言わない。
「抵抗しないの」
「殺すつもりなんて初めからないんだろう」
「……可愛くないな。眉の一つくらい潜めてもいいのに」
真紅の瞳を細めて笑う。
「何度も白の鳥から聞いても、全然ぴんとこなかった。ずっと。
『玄冬』を殺さないと世界は滅びる。
そして、俺がその『玄冬』を唯一殺せる『救世主』なんだと言われてもね。
……だけど、直接会って何か納得した。あんたがその『玄冬』なんだね」
「……そうらしいな」
俺も同じだ。
黒鷹から『玄冬』なんだと、世界を滅びに向かわせる媒介になるものだと言われても、実感は湧かなかったし、ずっと半信半疑の部分が残っていた。
だが。直接顔を付き合わせると疑いは霧散した。
そう、もう確信している。
こいつは自分にとって『特別』な存在なのだと。
理屈などではなく、直感が間違いないと告げている。
「殺すか?」
「レジスタンスと部族集を取り纏めた最大の貢献者を? 殺せって?」
相手は小さく笑った後、あっさりと剣を引いて鞘に収める。
カシャンという音が小気味よく響いた。
「冗談。今そんなことをしたら部族集との対立は避けられない」
「そうだな」
「会ったばかり、と言えばそれまでだけどさ。
俺、あんたがわからない。……一体何を考えている?」
「何のことだ」
わからない、という割には何かを察知しているのか。
目に戸惑いの色が浮かぶ。
「含むところがあるように聞こえた。
まさかそのうち死にたい、とでも言うつもり?」
「……そうか、いや生憎だが『今』は死ぬつもりはない」
「へぇ、でもやっぱり『今』はなんだ。
……あんた理不尽だとか思わないわけ?」
「うん?」
「だって、あんた世界を滅ぼす気ないんだろう?
それくらいはわかる。
ってことはあんたが死なないとならない。
今すぐじゃなくてもいずれ。
せっかく、レジスタンスと部族集を纏めて、世界をいい方向に向かわせようとしているのに、それを持続するにはあんたが死ななきゃいけない。
どう考えても理不尽じゃないか。
なのに、それを抵抗無く受け入れてるように俺には見える。
……何故?」
「俺は俺に出来ることをするだけだ。
そして、あんたはあんたに出来ることをすればいい」
そう、世界が滅ぶのを止める手立てが唯一つしかないのなら。
そして、それが俺にしか出来ないことなら。
きっと人はそれぞれの役割を抱いて生まれてくる。
俺のすべきことが偶然にもそんな役割だった。
それだけのことだろう。
こいつに会わなければ、そうは思わなかったのかも知れない。
ただ、自分に関わる話とも思えずに黒鷹の言うことは聞き流していただろう。
実際、初めて会った頃はそうだったのだから。
それでも今は。全てが納得できる。
「……俺さぁ、そういう考え方大っ嫌いなんだけど。
自己犠牲ってヤツ?」
目を伏せて、剣の柄を俺の肩に乗せる。
「本当に気に食わない。大っ嫌い。
……だから、殺す。その時になったら。
俺だって、折角の情勢が無駄になることは避けたい。
あんたの為じゃないのだけは言っておくよ」
救世主がこいつで良かった。
だけど、それを言うのも憚られて。
ただ微笑った。言えない礼の代わりに。
***
「……ここまでしなくても、と思うけどな。
あんたがあそこまでやれるとは意外だったよ」
うち捨てられた遺体を前につい呟く。
まるで人が変わったかのように見事な程の豹変ぶりだった。
もっと不器用そうに思えたのに、こいつは他の誰にもとばっちりが行かないようにしっかりと仕組んだ上で演じた。
世界を滅ぼす魔王を。遺恨を残すこともないように。
本当に誰一人として、彼を弁護するものも庇うものもいなかった。
俺にしたって、前にちらりと話した言葉と死に際の一瞬だけ浮かべた笑みを見なかったら、やはり人が変わったとしか思えなかっただろう。
……でも本当は何も変わっていなかった。
「それには全く同意見だね。
私も彼がここまでやれるとは想像もしていなかったよ」
「……っ!?」
不意に聞こえた声に見上げると、大きな木の枝先に鷹が止まっていた。
黄金の眼をした、黒い鷹。まさか、これが……。
「……そうか、あんたがこいつの守護にあたる『黒の鳥』か」
「ああ。初めまして、救世主殿」
ばさりと大きな音がし、次の瞬間には目の前に一人の男がまるで玄冬を庇うように現れた。
「あんたが守護の鳥なら、どうしてこいつを助けなかった?」
死んで、何もかもが終わった今になって、現れたことに何故か腹立たしさを覚える。……俺こそ。
「……彼を殺めた君がそれを言うのかね」
ああ、そうだ。
どうして俺はそんなことを口にするのだろう。
わかっているのに。
選択肢もなかったことくらい。俺に言う資格はないというのに。
なのに、このいらついた感情の正体がわからない。
「私は彼と約束を交わしたからね。
……確かに私は玄冬を守るものだが、玄冬の人生は玄冬のものだ。
望む道があるならそれに協力するまでさ」
「こんな無残な結果でもか」
「ああ。全てわかっていて、それでも彼は選んだのだからね」
まるでボロ雑巾のような玄冬の亡骸を抱きかかえて、黒の鳥が笑った。
「だから、君も気に病まなければいいさ。
こんなところを誰かに見つかったら、君の立場も危ういだろう。
さっさと帰るといい。そして忘れることだ」
「……忘れろ!? それこそ無理な話を……!」
最期のあの一瞬だけの笑顔が。
今もなお、脳裏に焼きついて離れない。
「……なら、好きにするといい。私には君の感情に興味もないしな。
だが、何を思っても今更だというのも覚えておきたまえ。
少なくとも『今』はね」
「っ…………!」
「今回の結末はこんな形になったが『次』は同じようにはさせない。
しばしの別れだ。……ごきげんよう、救世主殿」
「待……!」
眩い光に目がくらんで、気がついたときには黒の鳥も玄冬ももういなかった。
そこには所々が血で赤く染まった雪があるだけ。
それでも、今の数分が夢でなかったのは、一片の黒い羽が証明していた。
「…………次……」
次があるのだとしたら。今の生を終えて、再び廻りあったその時は。
もっと違う形で彼と出逢えるだろうか。
こんな無残な形で死なせたりせずに済むだろうか。
「……玄冬」
名を呼んだところで言葉が返るはずもない。だが。
「…………次は」
***
「さて、次はどんな道を選ぶかね。……玄冬」
彼の墓標代わりとなった、まだ成長を始めたばかりの若木。
土の下で眠る玄冬に聞こえるはずもないが、小さく呟いてみる。
「私としては、こんな形で君を死なせるのだけはもうごめんだ、とだけ言っておこうか」
若木が大木となり、数え切れぬ季節を廻り、いつか朽ちる頃にはまた生まれてくるのだろう。
「あの方は渋るかも知れないが……願ってみようか」
この箱庭を存続させ、無に返すことのないように。そして何よりも。
もう一度君に会うために。
恐らく彼が君との別の形での出会いを望むように、私もまた、別の形で君と出会いたいから。
……ねぇ、玄冬。
――お前もこの世界で……。
ああ、約束したからね。過ごしてみるよ。
君の愛した世界をこの目で確認し、ここで生きていこう。
再び君に会えるその日まで。
2006/05/16 up ※初出は2005/08/20の初代アンソロ【華謳】
上記にあるように初代'sアンソロジーこと【華謳】に寄稿した話に加筆修正したものになります。
初代救玄←黒鷹。
アンソロ分はスランプ時の執筆で色々落ち込んだので、持ってる方は読み飛ばして欲しいくらいです、はい。
書き直し後もモヤモヤして、今回もJunk行きにするか迷ったものなのですが、数少ない初代話なので、こっちに。
初代話はどうも個人的に鬼門っぽいです。
書き直したら、鷹が妙に目立つようになった気がしますが、まぁその方がうちの作品らしいよねということでw
- 2009/01/01 (木) 00:10
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