作品
春色の小悪魔が残すもの
「そういえばさ、この前の休みの日に逢ってみたよ。彼女と」
俺が書類を処理している傍でそんな声が聞こえ、一瞬だけペンが止まりそうになったが、そのまま聞こえないフリでやり過ごす。
「ああ、うちのところにいる栗色の髪の彼女ですか。どうでした?」
「んー、可愛いんだけどさ。
緊張してたのか、ドコ連れて行っても、何がしたいって聞いても、『救世主様のお望みのままに』ばっかり繰り返してたんだよね。
もうちょっと自己主張する子の方が俺は好みかな」
「それは……相手が救世主様だと緊張もすると思いますよ。
普段はよく話す子ですし、特に自分を抑え込むようなことも無いはずなんですけどねぇ」
話題の女性を文官はよく知っているらしく、話し相手に対し、首を傾げていた。
「そっか。じゃ、もう二、三回デートしたらまた変わるかな?」
「おや、気にいられたんですか?」
……いらつきを覚えたのは、こいつが会話の最中、ずっと机に腰掛けて、話す傍らで俺の髪を弄り続けているからだ。
断じて、会話の内容が腹立たしいからではない。
「うん、まぁそれなりに。そういう事なら、また約束取り付けにいってみよう」
大体、いつまでこいつは俺の髪を触っているつもりだ。
忙しい最中に一々言うのも馬鹿馬鹿しかったから、ずっと口を閉ざしていたが、いい加減我慢も限界だ。
「……おい」
「ね、アンタ彼女の好きそうなもの知ってる? 知ってたら教えてくれない?」
一瞬だけ、こっちに向けた視線はすぐさま元に戻される。黙殺する気らしい。
逆に挑発するように俺の髪を引っ張るのを、文官が戸惑いながら窺っているのが解った。
「はぁ……構いませんが。あの、救世主様」
「うん?」
「そろそろ……机から降りられた方がよろしいかと思うのですが」
恐らく、髪について言わなかったのはこいつなりの気遣いの結果だろう。
「えー、大丈夫でしょ。ちょっと行儀が悪いかも知れないけど、このくらいヘーキ、ヘーキ」
何を根拠に平気と言い切れるのか。
「だって、隊長、俺を愛しちゃってるもん。このくらいのおふざけ、どうってことないよ」
その言葉にぶちん、と何かが切れた気がした。ペンを置いて、椅子から勢い良く立ち上がると、髪を触っていた手を跳ね除けた。
「いい加減にしろ、貴様! 黙っていれば、何でもやっていいと思うな!」
机を叩き、声を荒げても、ほんの一瞬表情を変えただけで、相変わらず愉快そうな笑みを浮かべている。
「とりあえず! 執務室の机は座るものではない! そこから降りろ!」
「はいはいっと。そんな大きい声出さなくても、降りますって」
「あー、何かお邪魔そうなので、また後で参りますね。あ、隊長。渡した書類の確認お願いします」
まるで逃げるかのようにその場を去ろうとした文官を、机から降りた救世主が眉を顰めて眺める。
「ずっるー。俺も行……」
「貴様には話がある。ここにいろ」
すかさず肩を掴み、足を踏み出しかけたところを引き止めた。
「あれ、捕まっちゃった」
「では、失礼いたします。後ほど」
文官が一礼して部屋を出て行くと、再び椅子に腰を下ろし、溜息を吐いた。
「まったく……貴様はどうしてそう、いつも不真面目なんだ。毎日ふらふらと仕事もせずに」
「仕事って言ったって、この世界だと俺の本来の仕事はないしなぁ。
救世主が必要になる事態が出来たとしても花白だっているしさ。
だから、俺の今の仕事はとりあえずタイチョー弄りかなって」
「貴様……」
救世主たちの無邪気な笑いは性質が悪い。
こいつに対して悪魔の子、と言ったらしい黒の鳥の肩を持つ訳でもないが、この笑みは確かに悪魔の笑みと言えるだろう。
何だってそんな部分ばっかり無駄に三人揃って似ているんだ、こいつらは。
「そーんな怖い顔しないでってば。だって、隊長の髪何か触り心地いいんだもん。
つい、遊びに来て触りたくなるんだよね、俺。
気にすんなよ! 減るもんじゃないんだからさ。
かといって、お前じゃなくて女の子の髪触りまくったらセクハラじゃん?
それはそれで、お前怒るでしょ? 陛下のお膝元で何をしてるんだ、なんだって」
「俺は女の代わりか」
無茶苦茶な理屈に呆れる以外に何が出来るというのか。そもそも、人の髪なんぞ触って何が楽しい。
「……もしかして、気になる? 隊長」
「何がだ」
「さっき、文官と俺で話してた女の子」
「何でそうなる」
「えー、嫉妬してくれないの?」
「誰が誰に」
どうして、そんな流れになったのか理解出来ん、と呟いたら、相手の顔から愉快そうな笑みが消えた。
「つまんないのー。もうちょっと反応してくれるかと思ったのに。目論見失敗かな」
「ちょっと待て。まさか、貴様それが目的だったとか言うつもりか?」
俺の反応を見るだけ、というようなふざけた理由で女と逢っただと?
「……そうだって言ったらどうするの?」
「軽い気持ちで女と付き合うな!」
「大丈夫だよ。一回や二回のデートなんて、付き合うなんて言わない。
向こうだってそう思ってるよ。お試しみたいなもんだって。
大体、俺が一番愛しているのってタイチョーだし」
「戯言を」
もう、付き合ってられん。
仕事の邪魔だ、行け。とばかりに手で追い払い、再び、ペンを持って書類に向き合ったが、相手の気配は相変わらずそこにあり、立ち去る様子も無い。
「……本気だったら受け入れてくれる?」
「何?」
思いの他近くに感じた声に、ふと顔を上げたら、相手の顔がぶつかりそうなほどの至近距離にあった。
驚いて軽く身を引いたが、こいつも俺に合わせて、離れた分また近づく。
俺の視界のほとんどを覆う顔。滅多に他人とこんな距離まで顔を近づける事なんてない。
まるで――口付けでもするかのような距離だ、と妙な考えが浮かんだ事に、自分でも戸惑う。
「ね、教えてよ。本気だったら隊長は俺を受け入れてくれるわけ?」
細められた目からは一切の感情が窺えず、本気なのか冗談なのかも読み取れない。
本気な訳が無い。
常日頃から、浮かれたように女は可愛いと口にし、機会あらば紹介して、などと言うような相手が本気であるはずが無い。
しかし。万が一、いや億が一にも本気の部分が含まれていたとしたら?
有り得ない、とは思うが、そうだったとしたのなら。どう言ったらいいんだ?
思考は堂々巡りだ。
どうしたものだろうかと、結論はさっぱり出て来ない。
一体、どれほどの時間、そうやって互いに相手をただ見つめるだけだっただろうか。
不意に、救世主の口元が歪み――。
「く……くく…………あは……あはははは!」
「……おい……?」
唐突に大笑いを始めた。堪え切れない、と言わんばかりに弾ける様な笑い。
目を丸くする以外に俺はどうすればいいというんだ。
「ジョーダン! ジョーダンだって。そんな困ったように固まらないでよ。ホント、お前って可愛いよな、そういう所」
「なっ……可愛いとは何……」
抗議の声を上げた所で、救世主が顔を少しずらし、耳元に低い囁きが落ちる。
「……自覚無いってさ、性質悪いと思わない?」
「…………っ!」
水音が大きく響いて、耳を舐められた、と気付いた時には相手は俺から離れ、執務室を出ようとしていたところだった。
「待て、貴様。何を……!」
「別に何も? ……なんて、ね。いいよ、今日はこれで勘弁してやるから」
「何が勘弁、なんだ」
理性の何処かが、それ以上問い掛けない方がいいと警鐘を鳴らしているようにも思うのに、問い質さずにはいられない。
今日は、というのはどういう意味だ。
「さぁ、何だろうね? ま、適度に暇潰しも出来た所で、俺そろそろ行くよ。じゃーね、隊長」
「暇潰……っ…………二度と来るな! この馬鹿者がっ!」
「あっははは!」
思わず、手近にあった本を相手に向かって投げつけたが、相手は素早く閉じられた扉の向こうで、微かな笑い声を残して去ったようだった。
本は空しく扉に当たり、派手な音を立て、床に落ちるのみ。
「本当に……仕事を邪魔するだけ、邪魔していきおって……くそっ」
耳に残ったままの、生温かい濡れた感触が落ち着かない。
指で軽く拭っても、感覚が元通りにはならなかった。
どうしてくれるんだ。
二度と来るな、とは言ったが、絶対にまた明日辺り、懲りずにここに来るだろう。
今日のうちに終わらせられる仕事は終わらせて、明日は盛大にあいつに説教をしてやろうと決意し、俺は再び書類に目を通し始めた。
2007年発行、救銀アンソロジー『救銀宴』に寄稿したものです。
今のところ、唯一の救銀作品。
うちだと黒玄前提銀玄があるので、銀朱の攻め属性が比較的高そうだからどうなるかなぁと思いつつ書いたら、救世主はさらに攻め属性が高くて意外に問題なしだったという思い出がw
(黒玄前提救鷹とか救こくとかもあるからでしょうが)
攻めでも受けでも、うろたえる隊長を書くのは楽しいということを再認識しました。
- 2013/10/29 (火) 00:04
- その他