作品
春の日差しのように -Side A-(後編)
「……気がついたかい」
目を開けると、ごく間近で微笑んでいる黒鷹の視線とぶつかった。
「ん……!? っ……俺、どのくらい……」
「まだ、大した時間は経っていないよ」
「え、あ……そう、か」
まだ、黒鷹と繋がったままで、中にいる黒鷹自身が固さを残していることに気がついた。
確かにその様子を考えるとあまり時間は経っていないらしい。
……残念だけど、ずっとこうしているわけにはいかなかった。
「……もう、行かないと」
その言葉は寧ろ、自分に言い聞かせるように言った。
長く繋がっていれば、その分離れるのが辛くなる。
黒鷹も俺も。
「……そうだね。抜くよ?」
「ああ。……んっ……」
熱が俺から離れていく。
引き抜かれて、中で黒鷹が出した白濁も一緒に少し伝い落ちる。
その感覚が僅かに快感を引き出させて、つい声が零れた。
離れた体温が少し寂しい。
「……湯を浴びていくかい?」
お互いに酷く汗を掻いてるし、後始末もしていない。
情を交わした後が色濃く身体に残ったままだ。
だけど、俺のほうはもうそんなに時間は残っていない。
……それなら。
「いや。…………いい。このままで」
最期の瞬間まで、黒鷹を感じていたほうがずっといい。
触れた感触を噛み締めながら、逝くことが出来る。
「……そうか」
意図が伝わったのか、黒鷹の顔がごく僅かに苦笑の色を浮かべた。
着替えようとして、シャツに手を伸ばすと、黒鷹の方が俺より早く、それを掴んだ。
「……黒鷹?」
「私が着せるよ」
「服くらい自分で着れ……」
「私がやりたいんだよ。……ダメかね?」
ねだるような声に、拒否をする気にはなれなかった。
服を着させられるなんて、まるで子どもに対するみたいだと思ったが、どうせいつまで経っても俺は黒鷹の子どもだ。
今までも、これからも。
「……後で俺も同じようにやってもいいならな」
それでも何となく気恥ずかしくて、そう返すと黒鷹が嬉しそうに笑った。
「構わないさ。……腕、通してくれるかい?」
「ああ……」
シャツの袖に腕を通すように促されて、片方ずつ通すと、黒鷹が前に回って、釦をかけ始めた。
そういえば、外されるのはよくあるが、こういう風に釦をかけられたのは、小さい頃以来だ。
「……そういえば、君は小さい頃。
私が『そろそろ自分で着替えなさい』と言う前に、
自分から『もう、俺一人で服を着る練習するから』と言ったんだったっけね」
「そう、だったか?」
さすがにそんなことは覚えてなかった。
「ああ。しっかりしてるなと嬉しかった反面、ちょっとだけ寂しくなったのを覚えているよ」
「手がかからないのが寂しかったってことか?」
「ああ、そうだね。手はかからなかった。
聞きわけもいいし、手伝いは進んでやる。
滅多に我が儘も言わない。
……良い子に育てすぎてしまったと、少し後悔してるほどだ」
釦を一通りかけたところで、黒鷹が俺の頭を優しく撫でてきた。
子どもの頃によくしてくれたように。
「もっと我が儘に育てれば良かったよ。
自分のことしか考えないようにしてしまえば良かった」
「十分我が儘だと思うがな。
……今だって、自分のことしか考えていない」
本気でそう思う。
黒鷹がどんな気持ちでいるかを知りながら、選んだのだから。
それでも、黒鷹が拒否をしないだろうことだってわかっていた。
ずっと一緒にいたんだ。わからないわけなんてない。俺も狡い。
親不孝というんだろうな、これも。
「自覚がなさ過ぎるな、君は」
「そうか?」
「君を育ててきた親が言うんだから、間違いないよ」
「どうだか」
黒鷹のシャツを手に取って、促すとさっきの俺のように、袖に手を通す。
首元の釦をかけようとして、白い首筋に目がいく。
そういえば、今日はここに口付けをしないままだった。
跡を残していくくらいは良いだろう。
「玄冬?」
「……少し、じっとしてろ」
「ん……」
首筋に唇を当てて、その肌を今までに口付けをした時よりは強めに吸った。
出来るだけ長くその跡が残っているように。
後で黒鷹が見て、俺を思い出せるように。
触れた唇から少し肌の震えた感触が伝わる。
口を離すと鬱血した印が色濃く残った。
「残ったかい?」
「結構、な」
指でその場所に触れると、黒鷹の目元が優しい形を取る。
「……これで君にも、跡を残せたら良かったんだけどね」
口付けの跡さえ、俺の身体には傷と数えられる所為か、俺の身体にはこんな形で跡は残らない。
行為の後にいつも黒鷹が残念そうに残せたら良いのに、とよく呟いていたのを思い出した。
「……形で残っていなくても」
「うん?」
「俺の中には……お前が残したものは沢山ある」
黒鷹と切り離せないものばかりだ。
一時でもそれを忘れてしまっていたなんて。
その間、黒鷹はどんな気持ちでいたのか。
自分のことを忘れられて、良い気分がしていた訳がない。
……そう考えると、少し胸が痛かった。
「それは、私も一緒だよ。私も君に本当に沢山のものを貰ったのだから」
「じゃあ、お互いさまっていうことか」
「そういうことだね」
そういって、微笑んだ黒鷹のシャツの釦を全てかけた。
リボンタイを結ぼうとして、勝手がよくわからず、いびつな形になると、黒鷹が器用な君でもそんなことがあるんだね、と笑った。
そんな他愛もない会話を交わしながら、お互いでお互いの服を着せあって、すっかり身支度のほうが整ってしまった。
どうしてか、手袋だけは嵌める気にならず、素手のままでいたら、黒鷹も手袋は手にしていなかった。
……そうだな、これでいい。
「おいで」
「ああ」
黒鷹が差し出した手に手を重ねて、身体を引き寄せられ、抱き合う形になる。
黒鷹の首筋に顔を埋めると、黒鷹からは黒鷹本人だけでなく、俺のも混じった匂いがした。
混じった体臭がさっきまでの行為を思い出させる。
確かに繋がっていた証拠。
衣服越しの温もりに激しさはなく、柔らかいのだけど、今はそれがとても心地良い。
「……同じ匂いがするね。温かくて気持ち良い」
「……そうだな」
やっぱり同じことを考えていたらしい。
俺の身体も黒鷹と俺の匂いが交じり合っているんだろう。
「行こうか」
「……頼む」
だけど、それ以上を言葉にすることもなく、そのまま空間転移をした。
感じる体温にお互いを確認しながら。
***
「ちびっこはあっちだね」
「ああ」
遠目に花白の桜色の髪が映る。
終わらせなければならない。滅びへの道を。
「さぁ、行き給え。説得するのは大変だろうけどね」
「……きっと無理やり、終わりにすることになるだろうな」
花白にも悪いことをした。
あいつも俺を死なせたくはなかったのだろうに。
守ろうとしてくれたのにな。
「黒鷹。……俺は……」
言いかけた言葉は、手で押しとどめられた。
「……もう、何も言うんじゃないよ。
これ以上の言葉を聞いてしまっては、私は君を行かせられなくなる」
「……っ……黒鷹……」
「玄冬。……行きなさい」
どこまでも穏やかな、優しい声。
制止された言葉の代わりに、最後にもう一度キスを交わして、強く抱きしめて。
温もりに後ろ髪を引かれる思いの中で離れた。
背に投げかけられた視線には振り返らず、まっすぐに花白の元を目指して。
――玄冬。
どうして、自分が『玄冬』なんだろうかと、一度ならず思った。
だけど、『玄冬』でなかったのなら、黒鷹に会うこともなかった。
だから、今なら思う。
俺が『玄冬』で良かったと。
『黒の鳥』がお前で良かったと。
慈しんで育てて、愛してくれた。
優しい声で呼んで、抱きしめてくれて。
だから俺は、この世界の何も呪わず、厭わずに逝ける。
もう、最期のその瞬間まで忘れたりはしない。黒鷹を。
眼差しも、声も、匂いも、温もりも。何があっても。
――愛しているよ、私の子。
俺もだ。たった一人の俺の鳥。
誰より、何よりお前が愛しい。
きっとこの先、何度生まれてきても。
例え、今の記憶が失われてしまうのだとしても。
……俺はお前を。
***
茫然自失といった風情の救世主の子どもの横をすり抜け。
血に塗れた遺体の傍に跪いて、言葉を紡がなくなった唇に口付けを落とした。
数刻前まで全身で感じていた温もりは既に失われている。
微かに笑みを浮かべた顔が救われたようでもあり、哀しくもあった。
最期の瞬間、君は何を思って逝ったのだろう。
世界のことを? 救世主の子どものことを?
ほんの少しは、私のことも思っていてくれただろうか。
乱れた髪を軽く梳いてやってから、玄冬の身体を抱きかかえる。
一切の力の抜けた身体は予想以上に重い。
それでも、私はこの子を抱いていく。
これは罪の重さだから。
誘惑に負けてしまったことへの。
もう一つの方法を告げてやることは、きっとこの先も私には出来ない。
「……どこに……連れて行くんだよ……」
初めて、赤い瞳が私の方に向いた。
血の色をした目が涙に濡れている。
忌々しいね。
お前に嘆く資格などない。
あんな形で、玄冬とお前が出会わなければ良かったのに。
なんて皮肉な運命の悪戯だったんだろうか。
「勿論、弔うのさ。このままになんてしておけないからね」
「……嫌だ! 玄冬を連れていかな……っ」
睨みつけると、子どもの表情が一気に蒼褪めた。
きっと、今の自分の表情はさぞ怯えさせるのに十分だったのだろう。
「……いい加減にしたまえ。お前は、まだ私から奪う気なのかい」
最期の瞬間をその手にしながら……決して、私がこの子に与えてやることの出来ないものを与えておきながら、お前はまだ何を望む?
数年前に出会い、同じ時を過ごし、玄冬の命を手にかけた。
なのに、まだ足りないと?
殺してしまいたい衝動を必死に抑えた。
あの子は絶対にそれを望まない。
「この子は私のものだよ」
この子に死をあげられるのがお前だけだとしても、最期の瞬間はお前のものになってしまうのだとしても。
他の時間まで渡しはしない、救世主よ。
玄冬は私のものだ。願いをきいたのは私だ。
「帰るといい。あの人の元に。もう『今』の君に会うこともないだろう。
その命が終わるときまで、せいぜい健やかに過ごしたまえ」
「待っ……」
言葉の終わらぬうちに、転移装置を起動させて、その場から去った。
もう、今は顔も見たくはない。
どうせそのうち、輪廻が回れば、嫌でもまた見ることになる。
玄冬が生まれてから、ずっと二人で過ごした家に戻り、ベッドに玄冬を寝かせ、数刻前まで抱いて、睦言を聞かせたその耳に、口を寄せてそっと呟く。
もう音を拾わないとわかってはいるけれども。
「守ってあげようじゃないか」
また、君に会うために。
長い長いその時間を待つことにしよう。
何より優しくて、何より残酷なその約束を。
誰より大切な君のために。
「それでも、もう……二度と言わせない」
――俺を殺してくれ
もう、あの言葉を君の口から聞かされるのはごめんだ。
……もしも、君が自分が『玄冬』であることを知らずにいたら、あの子どもと出会うことがなかったなら。
ねぇ、君はそんな言葉を吐かずにいただろうかね?
もう、今思っても詮無いことだけれど。
それでも、この先ならば。
『次』以降に出会う君ならば。
何も教えず、何も知らせず、時の来るまではただ穏やかに日々を過ごさせてやれるかね。
「玄冬」
黒鷹、と。
時に優しく、時には困ったように。
またある時は艶めいて。
そう私を呼び返してくれる声はもう無い。
今更ながらに、そのことが酷く哀しかった。
「愛しているよ、私の……たった一人の子」
髪を撫でて、額に口付けを落とした。
そうだな、小高い丘の上がいい。
君の好きだった、あの花の木の根元に埋めてあげよう。
花が何度咲いたら、また君に逢えるのだろう。
どうか、早く生まれておいで。
その瞬間を楽しみにしているよ。
また一緒に君と過ごせる日々を。
春の日差しのような、優しい微笑みを見せてくれる時を。
(多分)2005/01/16 発行
『白露』という、裏アンソロとか汁アンソロとか言われていたアンソロジーに寄稿した話です。
遠慮もなく、がっつり12P書きましたのでこの長さです。
アレコレ詰め込めたので、本人的にも気に入ってる話の一つ。
『白露』特設ページの逆視点はこちら。
- 2008/01/01 (火) 00:12
- 黒玄