作品
04:Impulse
『玄冬』でなくなる?
『黒の鳥』でなくなる?
本当に世界の終焉などに関わらず過ごしていけるのなら。
黒鷹と溶け合ってしまうことができるのなら。
離れたくない。
……可能性があるのだとしたら、俺はまだ……死にたくない。
***
――もしも。私達が溶け合ってしまって
「ふっ……あ……」
――一つの存在になってしまったのなら
ただ、込み上げる衝動を吐き出そうと、自分自身を擦りたてる。
物足りなさを感じながら。
――どうなるだろうね。この世界の法則は
「う……あっ……」
――『玄冬』でもなく『黒の鳥』でもない、存在は
快楽の頂きが見える。
なのに、どこかで冷めた感覚でそれを思う自分。
――世界を滅ぼさずに済むのだろうか
「く……ろ……っ!」
黒鷹の声を思い浮かべて。
触れる指や舌、唇の熱を思い浮かべて。
それでも黒鷹の指ではないもので、情欲を吐き出した。
指先に絡みつく粘液が冷え始めて、その感覚に吐息をついた。
自分自身で処理する方が違和感を感じているなんてどうかしている。
黒鷹に触れられている方が余程自然に思う。
ああ、そうか。もうダメだ。
自覚してしまった。
いくら、自分で幾度となく処理したところで、結局は昂ぶる熱を抑えられない事を。
黒鷹でなければダメなのだという事を。
「黒鷹……」
擦れる声が、優しい眼差しが、汗ばむ肌が欲しかった。
黒鷹に触れられたい。黒鷹に触れたい。
溶け落ちてしまいたい。
他の誰でもなく、あいつの体温が泣きたいほど恋しかった。
***
「どこに行ったんだ、あいつは……」
昨夜、ついに薬が切れて、朝、起きた時には黒鷹はもういなかった。
ただ、「出かけてくる」とのメモだけテーブルの上に残して。
珍しいことではない。
時々黒鷹がふらりとどこかに出かけていくこと自体は。
気紛れにあちこちを回るのが好きなんだと、2、3日家を空けるのはよくあることだ。
よくある、ことだったのに。
最近はそれがずっとなかった所為もあるだろうとは思う。
だけど、酷く落ちつかなかった。
黒鷹が近くにいないということが。
何かをする気にもなれず、ただ宙に浮いたような感覚を持て余して、ダイニングの椅子に座り、テーブルに突っ伏すような姿勢のまま、窓の外で静かに降り積もっていく雪を見ていた。
いつもよりも早い冬の訪れ。
この数日間一度たりとも止まない雪。
わかって……いた。
このままでいるのなら、もうこの雪は止まないのだと。
世界を白銀で埋め尽くすその時まで。
時間にはもう猶予がないことを。
――溶けてしまえないだろうかね……?
夢見るように呟いた黒鷹の言葉。
あの時に見えた黒鷹の心。
私にとっては世界は本当にどうでもいいのだけれど。
君によって、滅ぶことになってしまったのなら、君は哀しむだろう?
君はこの世界を愛しているのだから。
いや、そう育てたのは私だね。
最初の君が世界を愛していたから、ついそう育ててしまった。
今は少しばかり後悔している。
君を哀しませたくない。勿論死なせたくもない。
だけど、もし溶けてしまえたら、別の存在になれるのならば。
世界が滅ぶこともなく、君が死んでいくこともなく。
この箱庭の摂理から離れ、二人で過ごすことができるのだろうかね。
「……可能、なんだろうか」
そんなことが。
あの繋がった時の感覚はとても幻覚とは思えない。
いつも最後は離れて、身体は溶けてなんていないことを確認しても。
本当はあのままなら溶けてしまえるのではないだろうかと、思ってしまうほどに。
あの熱に、鼓動に、呼吸に、視線に。
今、この瞬間だって思う。
何かが欠けてるような感覚を埋められるのは、黒鷹だけで。
それならば、二人揃ってで一つの存在にもうなりつつあるんじゃないかと。
ただ、触れたい。
口付けを交わして、抱き合って、繋がって……。
――玄冬。
名前を呼んでくれる声が頭の中に響く。
優しいあの声が。
「どうかしてるな……本当に」
浮かんでくる考えに、苦く思う。
これではまるで、常に発情してるかのようだ。
いや、実際してるんだろう。
深いところで静かに疼く情熱は今も収まらない。
もし、今この瞬間に黒鷹が帰ってきて、抱きしめてくれたら。
それだけでもう求めてしまうだろう。
あいつが欲しくてたまらない。
「ん……? 何か音が」
黒鷹が戻ってきたのだろうか?
……いや、雰囲気が違う。あいつじゃない。
これは……もしかして。
「玄冬、久し振り。元気だった?」
「……花白」
玄関の扉を開けるとそこにいたのは雪まみれになった花白。
この天気だ。
慣れた人間でもこの状況では歩くのが大変だというのに。
まさか来るとは思っていなかった。
「お前、こんな時にどうして……いや、いい。
とにかく家の中に入れ」
「ごめん、そんな時間はないんだ」
「時間が無いって……そんな雪まみれのままじゃ、風邪をひくぞ、お前」
身体をずらして、家に入れるようにしたが、花白はただ室内を見渡すだけだった。
「……黒鷹はいないね?」
「……何?」
確認をするかのように問いかける声。
心の奥で何かが警鐘を鳴らしている。
忘れていた。
いや、忘れるふりをしていた。
花白は……。
「突然の事になってしまって、本当に悪いと思うけど……僕と一緒に逃げて欲しい」
「逃げる? ……俺を、殺しに来た訳じゃ……ないのか」
『玄冬』と対をなす『救世主』だ。
俺を殺すことが出来るのは花白しか世界にいない。
不穏な雰囲気、こんな時期の来訪。
てっきり殺すつもりで来たのかと思った。
「まさか。
……もうここに来ている理由を、あの人に誤魔化し切れなくなっちゃってさ」
「……白の、鳥か」
俺には『黒の鳥』である黒鷹がいるように、花白には『白の鳥』……白梟という守護の鳥がいる。
黒鷹の片翼。
直接会った事はないが、黒鷹の心に触れたときに垣間見得た透き通る硬質なクリスタルのようなイメージの女。
花白の、『救世主』の育て親。
「いつまでも先延ばしに出来ると、高を括っていた僕が悪いんだけど。
……もう、待てないと言われたよ。すぐに……」
どくり、と響く胸の鼓動がやけに強い。
「君を殺せって……」
想像していた言葉だったが、一瞬心臓の奥が冷えたような気がした。
「だから……逃げよう。僕と一緒に。君を……殺したくなんかない」
「逃げて……その先はどうなる?」
世界のどこにいようとも、このままでは何も変わらない。
世界は雪に包まれ滅びる。
俺が『玄冬』として生きる限り。
「っ……! だって、ここにいたら!
そのうちあの人は彩の兵も使ってくる。
どんどん逃げ場なんてなくなるんだ……!」
「……まだ、死ぬつもりはない。だけど、俺は行けない」
「玄冬!?」
逃げたところで、どうなるものでない。
もとより逃げ場などあるわけもないからだ。
花白が俺を殺さない限り、この世界に春は来ない。
……だけど。
もし黒鷹と溶け合えてしまうなら。
別の存在になってしまうのなら。
『玄冬』としての存在の意味をなさない、別のモノになれるのなら。
それに縋りたい。
少なくとも今逃げて……黒鷹と共にいられなくなることには耐えられない。
「……っ! どうして!!」
「……くっ!?」
花白が俺の腕を掴んだ途端、強い衝撃が来た。
どうして! どうして! どうして!
君を死なせたくないだけなのに! 君が好きなのに!
一緒にいたいだけなのに! 君は僕を選んでくれないの!?
言葉にならない叫び。
俺の心に入りこんでくるそれが気持ち悪い。
黒鷹のように、静かに染み渡って馴染んでくるのとは違って、弾丸のように鋭く貫く強い衝撃は吐き気さえ覚える。
まるで身体の中を掻き回されているみたいでぞっとした。
……よせ、俺の中に入ってくるな……! 煩い!
感覚に耐えきれずに花白を強く払いのけて、離れる。
「え、玄……冬……!?」
「……帰って、くれ」
「ちょ……どうしたの!? 顔色が悪……」
「帰れ!」
俺がお前に酷い言葉を叩きつけないうちに!
「ほっとけないよ! ねぇ、いったいどうし……」
「帰り給え。ちびっこ。……玄冬に触らないで貰えるかい」
馴染んだ声に顔を上げると、何時の間にか黒鷹がそこに立っていた。
「……っ……トリ……」
「玄冬には私がいる。今日のところは引き取り給え」
口調はきついわけではない。
でも、そこにあるのは他者の介入を許さない、絶対の響き。
正直、酷くそれに安心できた。
今の俺に花白の意識は邪魔なだけだ。
多分、黒鷹にとっても。
お互い以外のものは全てが異物になる。
他に何もいらない。
いるのは。俺が欲しいのは……。
「……なんで……だよ……っ!」
泣き出しそうに顔を歪めて、それでも涙は零さずに花白が勢いよく、外に飛び出した。
花白が出て行くのにつられるように、足が黒鷹の方に向かって歩く。
そして、ただ黒鷹に縋りついた。
腕を強く掴むと、俺の腕にも痛みが走る。
その繋がってる感覚に気が緩んだのか、身体が震え出す。
抑えていた衝動が一気に巡り出す。
一人にして悪かったね、もう抑えずともいいよと声が聞こえる。
「玄冬」
「……ろ鷹……っ!」
ダイテホシイ。コワシテクレ。ソンザイヲ。トカシテホシイ。オマエノナカニ。
ナニモワカラナクナルホドニ。モトメテクレ。ツナガッテシマオウ。フタリキリデ。
黒鷹以外には何もいらない。
知っているよ、私も君以外には何も求めない。
交じり合う感情の渦が心地良い。
先ほど感じた吐き気が嘘の様だ。
ああ、黒鷹でなければならない。
玄冬でなければダメなんだよ。
覗きこんだ琥珀色の瞳の奥にちらつく炎に胸が焦がされる。
潤んだ深い海の底の色をした目に心がざわめく。
触れて。抱きたい。
感じて。貫きたい。何よりも求めている。
私の。俺の。愛しい半身……!
「……とりあえず、行こうか。誰にも邪魔されない場所に。
ここでは誰が来ないとも限らないからね」
「ああ……」
抱きしめられて、空間を飛ぶ感覚にただ目を閉じた。
――ずっと一緒に。抱き合い続けて溶けてしまいたかった。永遠に。
- 2013/09/08 (日) 23:30
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