作品
06:Reverie
甘い、蕩けるような夢を見た。
黒鷹と俺が意識だけでなく、全てで交じり合っていて。
ああ、一つになれたのか。と二人で笑いあった。
そんな、夢を。
***
「ん…………」
微温湯に浸るような心地良い気配は、徐々に意識を覚醒させていく。
それが馴染んだ感覚の黒鷹の肌だというのに、気付く時間はそうかからなかった。
眠っていたいような、起きたいような。
そんなどこか優しい気だるさに後ろ髪を引かれつつ目を開けると、予想していたよりも至近距離に黒鷹の顔があった。
ああ、そうか……昨夜はあのまま眠ったんだった。
二人繋がったままで。
お互いにこのまま溶けてはしまえないだろうかと願いながら。
「起こしてしまったかね? おはよう、玄冬」
「おはよう。……溶けては、いないんだな」
いつものように肌が溶け合ってるような感触や、互いの心を自分のもののように感じ取れるような、あの一体感はあるけれど。
一つの存在にはなってはいなかった。
以前ならとてもじゃないが、眠れるわけもなかった体勢で熟睡さえしてたのに。
「そのようだね。……残念ながら」
ちくりと胸を刺した軽い失望感は、黒鷹のものだろうか。
俺のものだろうか。いや、両方か。
黒鷹が苦笑しながら顔を寄せてきたのに合わせて、目を閉じ口付けを交わす。
触れて溶けるような柔らかい感触が心地よい。
……どうして、溶けてしまえなかったんだろう。
少し考えたのだけどね、玄冬。
……ん? 何を……?
蕩果を改めて使って見るのはどうだね?
今は蕩果を使ってない状態でこうなのだから、飲んでみたらまた何か変わるかも知れないと、私はそう思ったのだが。
でも、あれもう切れただろう?
だから、買いに行くのだよ。
唇が離れて、心で交わした会話を確認するかのように黒鷹が問いかける。
「どうだい?」
「……俺はここにいたほうがいいのか?」
ここだと黒鷹の力が一層強く働く。
二人でいると目立ちもするだろう。
この場所にいたほうが安全なのだろうとわかってはいるのだが。
「本当はその方がいいんだろうとは思うんだけどね」
離したくないんだよ。
離れているのが嫌なんだ。君と。
僅かな時間でも傍にいられないのが辛い。
良かった。同じ事を思っていてくれて。
さすがに、この状態で人前には出られないがね。……名残惜しいが。
自然と揃って繋がった場所に視線が落ちる。
ああ、仕方ないだろう。
仕方ない、と思いながらも、どうして離れなければ、という思いもある。
が、それを振り切るようにずるりと中から黒鷹が抜けていく。
離れる熱が寂しい。
「……ん……っ」
交わした熱の証……昨夜の名残が中から零れ落ちて、シーツを汚した。
「まずは湯を浴びようか。
まだ、中に残ってるだろうから掻き出してあげよう」
「……っ……それは、自分でやるからいい……」
何度も繰り返してきたことではある。
それでも、正直なところ後始末は未だに恥ずかしくてたまらないのだ。
「今更だろうに」
優しく微笑まれて背を抱かれる。
また溶け合う体温に安らいで。
つい思ってしまうのは、離れたく無いということ。
本当にこのまま溶けてしまえばいいのに。
一緒になれればいい。
そうだね、でもまずはその為にも試して見なければ。
湯を浴びて、腹ごしらえをして出かけよう。
ここには食料があるのか?
ん? あるよ? まぁ、しょっちゅう来るわけではないから、保存食ばかりだけどね。
干し肉とか干し肉とか干し肉とか……。
聞いた俺が馬鹿だった。行くついでだ。野菜とかも買うぞ。
……ええ~。
文句を言うな! お前の考えは筒抜けなんだからな!
嫌だなんて言わせないぞ!
***
「……なぁ、黒鷹。……本当にこれ着なきゃダメか」
「選択肢が他にないのぐらい、君だってわかってるだろうに。
往生際が悪いよ?」
「う……」
湯を二人で浴びた後。
服を着ようという段階で、俺の着てた服は汚してたり、釦が引き千切れていたりで、まともに着られたものじゃないというのに気がついた。
ここには黒鷹の着替えは沢山あるし、サイズとしてもそう困るわけではない。
が、つまりは二人揃って丸っきり同じ格好になってしまうということで。
並んで歩いた日には、さぞや目立つだろう光景を思い浮かべて眩暈がする。
「マントを羽織ってる分には、まだ目立たないと思うんだけどねぇ」
「そのマントからして、そもそも同じものだろうが」
「でも、着なければさすがに寒いよ?
雪も降っているから、帽子だってあったほうがいいしね」
「ぐ……」
「いいじゃないか。今回限りだと思えば人の目なんてそう気にせずとも」
「……心なしか、お前が楽しそうに見えるのは気のせいか?」
さっさと着替えてしまった黒鷹はずっと愉快そうな視線で俺の方を見ている。
「そりゃあ、楽しいさ!
まさかこの歳になって君とペアルックが出来るとは思ってなかったからね」
「ペアルックとか言うな。恥ずかしい」
「寂しいなぁ。そんなこと言わないでくれ給えよ。
昔は私の帽子と同じ物を欲しがっていたじゃないか」
「それこそ本当に小さい頃の話だろう。今は……」
「玄冬。タイが曲がっているよ」
「え? ……あ」
黒鷹が俺の胸元に手を伸ばして、タイを一度解いてから、結びなおしてくれる。
そのまま抱き寄せられて、胸がとくりと高鳴った。
触れてしまいたい。そんな衝動が起きる。
あれだけ抱き合ってるのにまだ足りない。
黒鷹のぬくもりが欲しい。
きっとこれはずっと続く感覚なんだろう。
溶けて一緒になってしまわない限りは。
だけど……。
「……わかっているよ。出かけられなくなってしまうからね。
ただ、少しの間こうしていたい」
「ああ」
同じ思いを込めて、俺も黒鷹の背に腕を回した。
安定剤というべきか、麻薬というべきか。
確かなのは、二人でいなければきっと狂うだろうと。
そんな確信だけはあった。
***
「……はぁ」
「ため息をつくのはよし給え。
私だってここまで着目されるとは思ってなかったのだから」
「いや、わかってる。覚悟してたつもり……なんだが」
黒尽くめの同じ格好をした大の男が二人。
揃って歩くのは、どうやら予想以上に注目を集めてしまっているようで、頻繁に送られる視線にどうにも居心地の悪さを覚える。
……まぁ、並んで歩いているだけでなく、手まで繋いでいれば当然か。
大抵の視線は一旦俺達の格好を見比べてから、繋がれてる手に気付いて凝視している。
わかって、いるのに。
極力目立たない方がいいことくらい。
それでも、繋いでいる手を離してしまうのは自制が利かなくなりそうで怖かった。
「……離さないよ」
手袋越しだからか、黒鷹の意思の伝わり方は直接肌を触れてるときよりも弱い。
だけど、大まかには伝わったらしく黒鷹はそんな言葉を呟いた。
「離したら、おかしくなりそうなのは私も一緒だ」
「……そうか」
「安心したかい?」
「そうだな。でも何処かでそうだろうという気もしてた」
「やっぱりか」
一層、繋いだ手にぎゅっと力を籠める。
黒鷹の方も同じように力を入れた。
人目も憚らずに寄り添ってしまいたい衝動を、そうすることで押し込めるように。
「なるべく用事を終わらせて、さっさと帰る事にしよう。
他にも気になることもあるしね」
「他?」
「わからないかい?
身のこなしからして軍人階級だと思われる人間がいやに多く行き交っている」
「……まさか」
潜めた声に微かに緊張感が混じっている。
目的は俺たち……いや、『玄冬』である俺か。
――そのうちあの人は兵も使ってくる。どんどん逃げ場なんてなくなるんだ……!
花白の言っていた言葉を思い出す。
仮に俺達の住んでいた家が、既に無人だと把握されていれば、確かに探しもするだろう。
本当に時間はないのだと思い知らされる。
「大丈夫だよ」
「……黒鷹」
「きっと上手くいく。……そう思おう」
「ああ」
そんな一縷の望みに、俺たちは縋るしかなかった。
溶けて別の存在になれることに。
***
「ほお。あんたには効いたのか、あれ」
「ふふふふ、そりゃあもう! だから、ぜひともまた欲しいと思ってね」
「……っ」
黒鷹が薬を貰ったと言う酒屋。
黒鷹と店の主との間で交わされる会話は聞いていていたたまれない。
黙ってさえいれば、俺との行為で使っているのだとはわかるはずもないが、自分の方で色々と思い出してしまうからだ。
肌が沈むように溶けこむあの感覚を。
「使いかけでよけりゃ、あるぜ?
使いかけって言っても一度しか使ってないし」
「おお、それは貰っていっても構わないかね?」
「酒さえ買ってくれりゃな。
どうせ、俺はもう使わんだろうから……はいよ。
持っていくといい。
しかし、連れの人は無口だな。調子でも悪いのか?」
「ああ、いや。息子は元々無口な性質なんでね。気にしないでくれたまえ」
「……息子? あんたの?」
「そうさ。可愛いだろう? 自慢の息子だよ」
「ちょ……く……っ! 止めろ、そういうことを言うのは!」
危うく名前を呼びかけて慌てて飲み込んだ。
今、俺たちの名前を出すのは危険だから。
……にしても、こいつはどうしてそう、臆面もなく恥ずかしいことを言えるのか。
「……そうか、親子か」
「血は繋がってないがね。それがどうか?」
「あ…………いや、何でもないさ。酒も買っていくな?」
「……ああ、それを2瓶貰えるかね」
「はいよ」
何か違和感がある。
先ほどまでは親しみを感じさせた空間がぎこちない。
気配が変わった……?
「ありがとう。じゃあ、失礼させてもらおう。……行こう」
「え? ……あ、ああ……」
黒鷹が俺の手を引いて、半ば強引ともいえる勢いで店を出る。
外にでるときに振りかえって頭を軽く下げたが、返って来た視線は冷たさを感じた。
「なぁ……」
「……しくじったな。つい息子と言ってしまったのがまずかったか。
気付かれたよ。多分」
「…………!」
世界を滅ぼす『玄冬』、それを守護する黒の鳥……伝説の『黒鷹』。
その二人の組み合わせだと気付かれた?
「長居は無用だ。手配書が出回っている可能性があるし、
何よりさっきの店の主が通報しないとは限らない。
人目のないところまで行ったら飛ぶよ」
面倒なことにならないうちにね。
他のものはもう仕方ないだろう。
黒鷹の考えが、繋いだままでいる手から伝わってきた。
「わかった」
「やはり、この近辺に来たのはまずかったか……が、あれは他でどう入手できるかわか……」
「玄冬……!? ……どうして……!? 」
「……っ!」
名前を呼ぶ甲高い叫びに近い声に思わず振りかえると、そこにいたのは花白。
どうして、お前がここに……!?
そして、その声に周囲が急にざわつき始めた。
少し遠くで「花白様!?」と兵らしき人間が叫ぶのが聞こえる。
拙い。
「まったく。この状況で名前を大声で呼んでくれるとはね」
黒鷹の苦い呟きに、辺りの空気が緊張し始める。
黒鷹に視線を向けると、少し強張った表情が頷いた。
「飛ぶよ。玄冬。
もう、手段を選んではいられない……私に捕まりなさい」
「ああ」
「待ってよ! 玄冬! ねぇ!!」
寄るんじゃないよ、ちびっこ。
私たちの間に入らないでくれ給え。
心の深いところに落ちてきた、ぞっとしかけたほど低い呟き。
明らかに敵意を含んだ意思。
花白が俺たちのところに走り寄ってくるが、その手がマントを掴もうとした瞬間に俺たちは飛んだ。
そして、飛んでいる間にずっと聞こえていた黒鷹の言葉。
……こんなにも焦げそうなほどに熱く染み入るその言葉に、ただ俺は呆然としていた。
黒鷹の中に、そんな激しい感情を……怒りに近いそれを見たのは初めてだったから。
――忌々しい。寄らないでくれ。触らないでくれ。お前などに渡しはしない。救世主。
――お前ががこの子をどれだけ大事に思っていても、私はそれ以上だよ。
――この子は私のものだ。誰より愛しい私の子。
――間になんて入れさせてたまるものか。私たちは溶けて一緒になるのだから!
- 2013/09/11 (水) 12:11
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