作品
08:Fusion
「だから、言ったのですよ。
あれをすぐにでも殺しなさいと。
私は少々貴方を甘やかしてしまっていましたね。……可哀想に、花白」
穏やかだが、感情の起伏のほとんど見られない声は、どこか遠くで言っているようだった。
「もう、およしなさい。
貴方が心を痛めることなどないのですよ。終わりにしてしまいなさい」
終わり。
終わりにしたら、君とはもう会えない。
だけど終わりにしたら、君は僕のものになる?
「行きましょう。あれを殺しに。……ね?」
その言葉に想像した。
君をトリから引き離して、その身に僕の剣を埋める瞬間を。
飛び散る血はきっと赤い花のように綺麗だろうね。
赤い花と君を僕は一緒に抱きしめる。
そう、これは僕にしかできないこと。
君をトリから奪うただ一つの方法。
ああ、そういえば。
桜の木の下には死体が埋まっていると言っていたのは誰だったろう。
血を、命を吸い取るからあれほど、美しく儚く咲き誇るのだと。
君の血はきっと、美しい桜を咲かせてくれるね。
君を殺して訪れる春の桜を思い浮かべて、ただ思う。
……殺してあげるよ。楽にしてあげる。
ね? 玄冬。
だから、なってよ。僕のモノに。
***
「っ……何だ……私の力が押されている……?」
この塔に張り巡らせている結界に違和感を感じて、意識が覚醒した。
これに関しては、間違いなく私の力が勝っていたはずだったのに。
破られるような力が掛かることがあるなんて。
「花白、だ……」
ぽつりと身体の下から声が聞こえた。
そうか、力の流れを君も感じるからか。
あの、ちびっこめ。
とうとうその気になってしまったかね?
だが、向こうが二人分の力を掛けようとしているなら、こちらも同じことをすればいい。
条件が等しいなら、私たちの方が力を凌ぐことができる。
「お前の力に同調させればいいんだな」
「ああ。……わかるかね?」
「これでいいだろう?」
ふわりと力の広がりを感じて、浸入しようとしてきた力を押し戻す。
ああ、大丈夫だ。
これなら容易く破ることはできるまい。
「……黒鷹」
「うん?」
「何か、無性に眠い……」
「……そうだね」
私も目が開けられないでいた。
深い闇に引きずられるような感覚に抗えなくて。
再び霞んでいく意識の中で、玄冬が呟く声が聞こえた。
「……このまま溶けるんだろうか」
「そうかも……知れないね」
「一つになったら……今までの記憶とかはどうなるんだろう」
玄冬が生まれた時、始めて言葉を話した時、歩き出した時、玄冬であることを告げた時、 料理をし始めたとき、君に身長を追い越されたとき、そして、初めて肌を重ねた時。
いくらでも思い出せる。
君と過ごした時を。
全てが愛しい記憶だ。
無くしたくはない。
だけど。
「……目が覚めてから考えようか」
もう眠りの誘惑の前に思考が進まない。
「そうだ……な」
玄冬も限界なんだろう、声のトーンが落ちたのを感じた。
後から思えば。
私達は気がつかなかったのだ。
身体に全く違和感を感じていなかったことに。
肌が触れてる感触でもなく、溶けるようなあの感触でもなく。
ただ、一人であるかのような感覚に。
でも、この時はもうそんなことを思う余裕もなく、闇の中に落ちていった。
***
「やられましたね、あれが邪魔をしてくるなんて」
「玄冬……」
「ですが…………何か妙ですね」
「妙?」
力というか、気配の流れがおかしい。
二人分の増幅した力だからとかではなく、 寧ろ、これは……流れが弱まり始めている……?
「一体何が……っ!? ……これは……!?
いや、そんな……はず……!」
「どうし……あ……?……え!?」
有り得ない……そんなことは!
救世主たる花白がここにいるのに。
あれを殺せるものなど他に存在などしないのに。
……あれの、玄冬の気配と黒鷹の気配が同時に消えるなんて!
「嘘……! どうして!? そんなはず……そんなはずないのにっ!」
ええ、そんなはずはない。有り得ないはずなのです。
ああ、だけど。
間違えようの無い片翼の喪失感は明らかで。
……確かめに行かなければ。
あれらの元に行かなければ!
***
「ん……」
目が覚めて。
まず感じたのは正体のわからない違和感。
右目にかかる髪を払い、目を擦ろうとして上げた左腕に視線が止まった。
手の甲から、ひじ近くにかけての大きな古い傷跡。
俺の身体にはそんなものはなかった。
そもそも傷なんてつかないから。
いや、傷自体は知っている。
度々目にしていたものなのだから。
でも、これは……!
意識が融合しているのかね?
頭で響く声に、唐突に今日のやりとりを思い出す。
身体に感じるぬくもり。
跳ね起きて下を見てみると……そこにいたのは『俺』。
身体は確かにそこにあるのに。
意識だけが、黒鷹に溶けた……? 本当に!?
「意識だけじゃないようだよ」
ほら、外を見てみようじゃないか。
雪が止んでいる。
いや、止んでいるだけでない。心なしか暖かくなってきてる。
力も何も感じないだろう?
こういうのが「普通の人」というのかね?
本当になれたのか……!
別の存在に!
しかし……君の身体の方は抜け殻とはいえ、生きてはいるのだね。
どうにも。不思議な気分なことこの上ないよ。
それは俺の方こそだ。
自分に触れるなんて。
身体の下にある、『俺』だった身体をそっと撫でて見る。
薬の時のように、あの身体の方での繋がった感覚はもうない。
それどころかあれほど激しかった触れたいという衝動ももうなかった。
寧ろ、満ち足りている。
何も欲しないほどに。
繋がってしまったからだろうね。
気分は悪くないかい?
奇妙な感じはするが、悪くない。
聞くまでもないだろうに。
俺の感覚は、そのままお前の感覚なんだから。
そうだね。この記憶も。
台所の棚のどこに何が入っているなんていうのは私は知らなかったが、今はごく普通に覚えている。
うん、知ったという感覚じゃない。
『覚えている』だ。
……さて。とりあえず身支度を整えて出迎えようか。
招かざる客が来るだろうから。
この異変に彼らが気付かないわけはないからね。
驚くだろうな。
俺達だって驚いているんだから。
しかし、どう言っていいものだろうね?
正直に身体を繋げていたら、溶けたと?
いいんじゃないのか。他に言い様もないだろう。事実だし。
……君がそんな風に思うなんてね。
きっとお前の意識に影響されてるんだ。
そうなんだろうね。
私も以前のように肉だけでなく、野菜も食べなければと思っているのだから。
ううむ……本当に不思議だ。
それは、できれば前から思っていて欲しかったがな。
もう一緒じゃないか。過去のことに振り返ってはいけないよ。
不思議だな。お前の意識に違和感もなく、納得するなんて。
そうだね。
これが、『溶けて、別の存在になる』ということなのだろうね。
――本当に薬の力なのか、それとも強く願いをかけた故か。箱庭の摂理から離れた私達。
――……だけど。この時はそれを哀しく思う瞬間が来ようとは。
――僅かばかりも考えはしなかった。満たされた想いでいられる蜜月は短いのだと。
――この時の私達は本当に、予想もできなかったのだ。
- 2013/09/14 (土) 00:30
- 本編
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