作品
10:Pity
『私達』は結局、元々住んでいた家へと戻った。
巡り始めた季節に、もうあの家にいても問題ないと判断したから。
実際、もう『私達』は『玄冬』でも『黒の鳥』でもなかったし、長年過ごした家にはやはり執着もあった。
『私達』の沢山の思い出の詰まっている場所。
最初は人形のような玄冬の抜け殻と過ごすのは違和感があった。
玄冬なんて、
「自分がここにいるのだから、放って置いていいんじゃないか」とまで言っていたけどね。
身体だけだと言ったって、ずっと私が育ててきたものを無下に扱えるわけもない。
そのうち慣れてきた。
手をひいたら、もしくは身体のどこかで触れてさえいれば、玄冬だったものはある程度はこちらの意のままに動いてくれたから。
幸せだと思っていたんだよ。
望みどおりに溶けてしまえて、別の存在になれて。
溶け合った玄冬と会話を交わしながら、穏やかに過ごす。
ずっと、そんな日々が続くとね。
ある日を境に玄冬の声が……私の中で聞こえなくなってしまうまでは。
「どうしたというのだろうね……」
今日もあの子の声が聞こえない。
ずっとずっと、呼びかけているのに、返事は返らない。
ここにある玄冬の抜け殻は相変わらず、表情こそほとんど変わらないけど、触れたら動いてくれる。
それこそが、玄冬の意思が私の中にあるという証拠のはずなのに。
記憶も玄冬のものだったはずのそれを私は覚えている。
何もかもが玄冬と私が共にある証拠なのに。
ただ、あの子の声だけが聞こえてこない。
溶けているはずなのに、私達は一つなのに。
無性に不安になる。
「玄冬」
玄冬だったものに、そっと触れると閉ざされていた目が開く。
私が手を引くと、身体を起こすからそれをそのまま抱きしめる。
ぬくもりは以前と変わらない。
でも、玄冬の心はここにはないから、その表情は変わらない。
私の名を呼ぶこともない。
「どうして、何も言ってくれない?」
抱いている玄冬の身体に語りかけても無駄なのはわかっている。
それでも、今、自分の中の玄冬の声が聞こえない以上、つい、これに言い聞かせるようになってしまうのは仕方のないことだと思う。
例え、反応が返らなくても、これは確かに玄冬だったものだから。
「……いい加減になさったらどうですか」
「……これは、これは。もう会うことはないと思っていたよ。白梟」
部屋の気配が微かに変わったと思ったら、私達の目の前に現れたのはかつての片翼。
鳥でなくなった私に貴方の方から会いに来るなんて思っていなかったよ。
「しばらくぶりだね。
……にしても、久々の再会が人の家の中に踏み込んでというのは、些か、感心しないものがあると思うけどね、私としては」
「貴方がろくに外にもでないからでしょう。……ここ数日ずっと」
「そうだったかな」
言われて初めて気がついた。
そうだ、玄冬の声が聞こえなくなってから、何日経っていただろうか?
そして、私はその間、何をしていたのだったっけ。
……ああ、そうだ。
玄冬に語りかけては答えのない返事をただ待っていた。
「もう、貴方の中にあれはいないということですか」
「……いるよ。何を言っているんだい。
私達は溶けて一つになっているのだから」
「そうでしょうか」
「何が言いたいんだね」
「私には、力こそ失われているものの、今話しているのはかつての『黒の鳥』である黒鷹だけだという印象を持つのですけどね」
「……私の中に『玄冬』はいないと?」
心のどこかが警鐘を鳴らしている。
これ以上の会話はやめた方がいいと。
「貴方は今『私』と言った」
「それが?」
「『私達』でなく『私』。複数でなく単数。
貴方の中に『玄冬』を感じない証拠」
「違う。そんな……わけでは」
「何を否定するのですか? ……望みどおりなのでしょう?」
「何だって?」
「『溶けてしまいたい』と願ったのでしょう?
別の存在になりたいと。だから、そうなった」
「……よしなさい」
「『玄冬』だった存在の意識は溶けた。貴方の中に跡形もなく。
そして、立場も望みどおりに。
貴方は『黒の鳥』ではなくなり、『玄冬』だったものは既にない」
「っ……! 白梟! よさないか!!」
自分の中で恐れていたことを言葉にされて、血が頭に上るのを感じた。
そう。確かに私達は願った。
『溶けてしまえればいい』と。
『別の存在になれればいい』と。
だけど、どちらかがなくなってしまえばいいとは思ってなかった。
玄冬の意識が完全に溶け込んでしまうなんて、誰が予想した?
「望んだのは、貴方でしょう。
……自分の立場も忘れ、玄冬を護るのではなく、共に逃げようとした」
「逃げ、だって……?」
「貴方は……この箱庭が出来たときに、みずから望んで『黒の鳥』になったはずでしょう?
その『黒の鳥』の立場を自ら捨てようとした、その結果がこれです」
「私……は……」
言葉が出なかった。
そうだ。箱庭が出来たときに自分で主に申し出た。
楔の鳥の片翼を。黒の鳥を。
私がその役目を担うと。
『玄冬』を守護する黒の鳥。
守護していたつもりだった。
初代の玄冬を死なせて、再び玄冬が生まれて。
この手で育てて、慈しんで、愛して。
世界より、何より、失いたくなかった。
ただ、共にいられるのなら、それでいいと。
……だから二人で願ったのだ。
一縷の望みに。
『溶けられたら』
『別の存在になれたら』
『世界を滅ぼさずに』
『ただ、二人でいられるだろうか』
と。それだけを。
黒の鳥としてなど何も考えなかった。
やり場のない、何ともいえない感情を玄冬の身体を強く抱きしめることで抑える。
「貴方たちの望みは摂理の範疇を超えたものだった。
……そういうことでしょう」
「っ……」
「気付いていなかったとでも?
……どうして叶ってしまったのか、それは私には知るすべはありませんが……貴方たちは望んではいけないものを望んだ」
白梟の衣擦れの音がやけに大きく耳に響いた。
「放って置くと、永遠に貴方は同じ日々の繰り返しになりそうでしたからね。
……かつて片翼だったものへのせめてもの忠告ですよ。
願ったのなら、認めてしまいなさい。
望んだものからも逃げようとなどしないことですよ」
その言葉を残して、白梟の気配が消えた。
「……なんとも残酷だね。貴方という人は」
知りたくないことを。
本当はどこかで気付いていて認めたくなかったことを、突きつけていくなんて。
「玄冬……」
名前を呼んで。抱きしめた身体に口付ける。
名前を呼び返してくれも、口付け返してもくれない。
それでも。
胸元の釦を外して、肌に唇を這わせる。
やはり声は返らない。
かつて、私の名を呼び、切なく甘い声で私を求めた唇は微かに吐息を漏らすだけ。
――願ったのなら、認めてしまいなさい。
認めたくなんてない。
――望んだものからも逃げようとしないことですよ。
……望んだのはこんなものではない!
ただ、二人でいたいと願っただけなのに!
――ずっと一緒に。抱き合って。溶けてしまいたかった。永遠に。
「その結果が……これなのか!?」
哀しいと思う。辛いと思う。
この子が私を呼んでくれない。求めてくれない。
ただ、声が聞きたかった。
私の名を呼んで、「片付けろ」と諫めて、他愛ない日常に笑って、時に怒るけど、愛しく求めてくれるその声が。
二度と聞けないなんて思いたくない!
「玄冬……」
どうして。
「呼んでくれないんだい…………?」
目の前の玄冬は変わらず、焦点の合わない、感情のない目。
――いっそ、壊れてしまえばいい。世界なんて。
――この子のいない世界に価値なんてない。
――違う。
――価値のないのは……私だ。
- 2013/09/14 (土) 01:03
- 本編
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