作品
11:Gratitude
玄冬の声が聞こえなくなってから、気がついたら1年近くが経っていた。
認めてしまうことなど……諦めなど、つくはずもなく。
それでも他にどうしようもなくて、ただ、毎日玄冬に語りかけた。
時に古い思い出話を。
また時には幼い頃のように御伽話を。
あるいは他愛もない日常を。
夜毎、睦みあった愛しい時間を。
それでも、返事は返ることなく日々が過ぎて。
ある日、窓を開けて、桜の花びらが家の中に入ってきたことで、初めて春が来たのを知った。
「もう……そんな季節だったんだね」
今日も、私は玄冬に語りかける。
桜の花びらを手に。
「そういえば、君はこの花が好きだったね」
毎年、咲く都度。
二人で花見にいったね。
最後に行ったのは二年前。
あの日々が既に遠いものに感じるのは何故だろうか?
「久しぶりに行って見ようか。二人で花見に」
玄冬の手を取って口付ける。
やっぱり返らない言葉に寂しく思いつつ、支度をした。
玄冬が作らない代わりに、自分で弁当を作って、酒を持って。
玄冬の手をひいて、毎年花見をしていた場所に向かう。
幸せな思い出だけが残るあの場所に。
***
「綺麗だね。ここは相変わらず、人は入って来れないんだろうね」
桜の大木の下。
私達がいつも来ていた場所は、森の奥まったところにあるから、人の足は向かない。
私達二人だけの場所だった。
いや、まれに狐とかはまぎれこんだっけ。
座り込んで、膝の間に玄冬を抱きかかえるようにして、風に舞う花びらを眺める。
二年前と変わらない景色。
違うのは、玄冬の声が聞こえないところだけ。
――ああ、もう! またお前飲みすぎただろう!
こっそり酒瓶を余計に持ってきたな!?
――ふふふ、ばれてしまっては仕方がないね。
いいじゃないか、酔える時には酔っておくのが一番だよ!
――まったく……毎度介抱するほうの身にもなれ。
――君も酔えたら良かったのにねぇ。
ホント、ザルなんだから……。勿体無いなぁ。
――お前だって、本当に酔うのは俺の前でだけだろう。
……他人がいると酔えないくせに。
「君はお見通しだったよね。
私が他の人の前では酔ったフリしかできないことを」
胸に抱きすくめている玄冬の頭を撫でて、呟く。
そう、私が君のことを知っているように、君も私のことを知っていた。
お互いしか知らないことは沢山あった。
ずっとずっと、長いときを一緒に過ごしてきたのだから。
この先も過ごしていくのだと、信じて疑わなかった時が懐かしい。
「……声が聞きたいよ、玄冬」
贅沢なんていわない。
ただ、一言。
名前を呼ぶ声が聞きたい。
暖かい日差しに、眠気を誘われて、そっと目を閉じた。
仄かな花の香りと日の匂いは、懐かしい幸福を呼び起こす。
夢の中でなら。
君と話ができるだろうかね? 玄冬……。
***
「黒鷹」
「……ん……何だい、玄冬」
「……黒鷹!」
「ああ……久しぶりに君の声を聞いた気がするね。
やっぱりこの場所で見る夢は違うな」
「起きろ、バカ! 夢じゃ……ない……!」
「…………玄……冬?」
目を開けてみると、すぐ正面に玄冬の顔。
ずっと見てきた、あの焦点の合わない、感情のない目でなく。
ずっと、願ってやまなかった、温かい眼差し。
……夢の続き? それとも……。
「本当に……君……なのかい?」
信じられずに玄冬の頬に手を伸ばす。
そっと触れると私の手の上に、玄冬の手が重ねられる。
「黒鷹」
玄冬の唇が私の名の形をとって、言葉を紡ぐ。
懐かしい、優しい声が、私の名を呼ぶ。
「玄冬……もう一度」
それでも信じられなくて。
もう一度名前を呼んでくれることを請う。
……ああ、自分の声が震えてる。
「黒鷹」
「……っ!!」
溢れる感情を堪え切れずに、ひたすら強く。
玄冬を抱きしめた。
ぬくもりは私に応じて、やはり強く抱き返してきて。
ようやく、夢ではないのだと。
現実なんだと……玄冬が『帰ってきた』。
泣けそうになるのを必死で抑えた。
「黒鷹……」
「会いたかった……君に。どんなに会いたいと……!」
「ああ……俺もずっと会いたかった、話したかった……っ」
何が起きたのかはわからない。
でも、それもどうでもいいと思った。
目の前にいる玄冬のぬくもりは現実のもので。
願ってやまなかった声が聞けて。
それだけで、十分だった。
久しぶりに交わした口付けは、涙の味がした。
――何にかは、わからない。どう言っていいのかわからない。
――それでもただ。無性に。
――世界の全てに感謝したいと思った。
- 2013/09/14 (土) 01:17
- 本編
タグ:[本編]