作品
01:Curiosity
最初のきっかけは、ほんの偶然。
いや、後から考えれば必然だったのかも知れない。
一見、唯の薬の小瓶でしかなかったあれが、この箱庭の摂理さえ狂わせてしまう、全ての始まりになったのだ。
***
『黒の鳥』の身体は不死ではないが、不老のものだ。
この箱庭で何百、何千年と過ごすようなことになったとしても、私の外観は一切変わることがない。
よって、買い物をしたり、外食するような場合には、いわゆる行きつけの店というのは作らないようにしている。
店には幾度か出入りしたとしても数年。
以降はその周辺を彷徨うことをしばらく避ける。
外観が変わらないことについて、余計な詮索をされない為に。
少なくとも、滅びの時が訪れるまでは、私が人ならざるものだと悟られてしまっては色々とやり辛い。
故にここ数年、時折通っていたバーにも、そろそろ来るのを控えようかと思っていたそんなある日。
偶々、他に客はおらず店主とごくありふれた世間話をしていたのだが、不意に店主が振った話題が少々興味深いものだった。
「人っていうのは、元は二人で一つの存在だったから、その片割れを求めて愛し合うっていうらしいな。
『神様』とやらがそういう風に作っているから、満たされたくてその相手を探し、交わるのだと」
「ほう? それはこの地方に伝わる神話や伝承の類かね?」
そうは返したものの、正真正銘、この箱庭の創世を知っている私はほんの少し苦笑いしてしまったかも知れない。
人の世が長く続くと、伝えられる話に幾許かの歪みが生じる。
記憶というのは意外にいい加減なものだからだ。
長年伝えられている話と真実が異なるケースは何度も体験してきている。
だから、その話題もそういったものの一つかと思うと、時の流れを噛み締めると共にどこか可笑しかった。
「ああ。問題はとある変人の科学者が、それが本当ならその対の二人は一人にも戻れるんじゃないかと仮定して、そのための薬を作ったってところにある」
「作った?」
「他者と感覚を共有させるっていうことでな。
溶け合って究極の悦楽と幸福を手に出来るという触れ込みだ。これなんだが」
まさか、今の話の流れで実物が出てくるとは思わなかったから、少々面食らった。
コトリ、とバーカウンターに置かれたのは、何の変哲もない小瓶。
「何故、持っているのかと聞いても?」
「その変人の科学者ってのは俺の幼馴染みでな。……要は実験台にされたんだ」
「ふむ……媚薬の一種になるのかね? 幻覚で溶け合うように感じられるとかいう」
他者と感覚を共有させ溶け合う、というのが実際に起こるとは考えにくい。
そっと小瓶を持ち上げて、中の液体を覗いてみたが特に何か変わった様子もない。
「どうなんだろうなぁ」
「使ってみたんじゃないのかい?」
「いや、女房と確かに使ってはみたが、俺たちにはあんまり効かなかったようだ。
しかし、それを言ったら他のサンプルを探してこいと」
「ははは」
「というわけで、よかったら持って行かないか?」
「私が、かね?」
「ああ。あんたモテそうだしな。いるんだろ? ナニする相手の一人や二人は」
「……まぁ、否定はしないが。
しかし、サンプルということは使った効果を言わなければならないんじゃないのかい?」
それは流石に少々面倒くさい。
そもそも、この店には今回を最後に来ないようにしようと思い始めていたところなのに。
「いやー、正直なところ、あの馬鹿がいくつもこれ置いていきやがったから邪魔なんだよな。
結果は適当に報告してもいいし、人助けと思って一瓶持って行ってくれると助かる。
勿論、これのお代はいらねぇよ」
「そういうことか。ならば、有り難く頂いておこうかね」
「助かるぜ! こっちこそ有り難い」
「で、この薬。名前はあるのかい?」
「ああ。『蕩果』っていうんだ」
そうして、その『蕩果』を貰い受けた。
多少なりとも、媚薬として使えそうなら悪くはない。
普段、玄冬と情を交わす際にあまり薬や道具の類は使わないが、偶にならばあの子も嫌とは言わないだろう。
早速、家に帰ったら試してみようと浮かれた気分でいたのは否定しない。
だが、さほど効果については期待していなかったのも確かだった。
***
「という流れで、これを貰ってきたというわけさ」
「……何でそんな怪しげなものをあっさりと貰ってくるんだ、お前は」
予想はしていたが、玄冬は呆れたように溜息を吐く。
「ただでくれるというし、それならちょっとくらいは試してみてもという気になるじゃないか」
「ただより高いものはない、とも言うだろう。……大丈夫なのか、その薬?」
「くれた相手はあまり効かなかったとは言ってたがね。
まぁ、私達の場合、君も私も治癒能力が備わっていることだし、身の危険はないんじゃないかな」
「あっても困る。……しかし、胡散臭いな」
「ははは。でも、さして効かなくても損をした気分にもならないだろう?
何せ貰い物なのだから。眉唾もあるだろうとは私も思っているよ」
瓶の蓋を開け、香りを嗅いでみる。
が、全くの無臭だった。
媚薬の類なら、香りで催淫効果を煽るものかと思っていたが、そういうものでもないらしい。
嗅ぐだけでは何ともならないようだ。
玄冬も私の傍に来て、香りを確認して首を傾げる。
「何ともなさそう、だな」
「少なくとも嗅いだだけではそうみたいだね。
ならば、ちょっと味も確認してみるとしようか」
手袋を外し、瓶を少しだけ傾け、指先に中身を少量だけつけた。
そのまま舐めとってみたが、味は香り同様ほとんど感じられない。
微かな甘さが舌に乗ったくらいだ。
しかし、それで特に興奮するようなこともない。
しばらく待ってみても、特に様子は変わらない。
「黒鷹。何ともないか?」
「うーむ、残念ながら。君も試して見るかね?」
「ああ」
再度、指先に蕩果をつけ、それを玄冬の口元に持っていき、舐め取らせてみる。
変化が起こったのはその時だった。
「!? ……これ、は」
「……っ…………!」
私の指先が玄冬の舌に溶け込んだように見えた。
いや、見えただけじゃない。
実際に溶けたような感触がしたのだ。
慌てて指を引いてみたが、離れてみると特にいつもと変わりはない。
しかし、今のは一体?
「何だ……今……の」
「……君もか」
玄冬が口元に指を滑らせながら、私の顔と指を交互に見比べている。
二人で揃って使うことで、初めて効果が現れるのだろうか、これは。
「玄冬。手を」
もう一度確認の為に。
手を重ねて合わせてみようと玄冬に手を差し出す。
「ああ」
応えた玄冬が、自分の手袋を外してから手を合わせてきて。
今度こそ目を見張った。
玄冬の指が私の手のひらに触れた刹那、沈むように溶けこんできたのだ。
単純に身体の一部分が溶けたというだけでなく、そこから正体不明の熱が漣のように広がって全身に馴染んでいく。
私が玄冬に溶け込むように、玄冬が私に溶け込むように。
体感としては、セックスで性器を繋げ、身体が相手に馴染み始めたときのあの感覚に近い。
が、今は触れた部分だけでなく、全ての箇所で感覚が繋がったような……そんな気さえする。
――他者と感覚を共有させる……
まさか、と思いながらも、試しに繋がっていない方の手で自分の首筋を軽く引っかいてみると、玄冬が軽く顔を顰めて首筋を押さえた。
まさか、本当に?
互いの感覚を今共有していると?
だが、そう思った瞬間に先程までの感覚が消え失せた。
溶けていたように思えた手は、普通に手を重ね合わせているだけ。
効果が消えたのか、いつもと何も変わらない。
だが、しかしこれは……。
「……黒鷹」
「……ああ、まさかね。これが一体感というやつか」
言葉に出した途端、どくりと胸を打つ衝動。
もし、さっきの状態で抱き合ったのだとしたら、身体を繋げたとしたら。
それはどんな感覚になるのだろう?
手を触れただけでああなら、求め合ったらどんなことに?
ぞくりとするような高揚感に眩暈さえ覚える。
試して見たい。抱きたい。
その思いが大きく膨らんでいく。
玄冬の頬にそっと手を伸ばし、触れて見る。
「もっと試してみても構わないかね?」
また、この手が君に溶け込む感触を味わいたい。
もっと深く、強く。
いや、手だけでなく全身で。
「……ああ」
短く応えた玄冬の目許が微かに赤く染まっている。
私と考えてることは同じだと、思っていていいね?
――唯、溶け合う感覚に溺れて見たい。そう、本当に最初はそれだけだった。
- 2013/10/17 (木) 00:09
- 本編(リメイク)
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