作品
第07話:一緒の夜
「一緒に寝よう。私の部屋においで」
「……え?」
子どもが出来たことがわかった夜、風呂に入ってから自分の部屋に戻ろうとしたら、黒鷹に手を掴まれて止められた。
「しばらくはその……出来ないんだぞ?」
黒鷹の部屋で眠るのは、大抵セックスの後にそのまま、ということが多い。
俺の部屋ですることもあるが、黒鷹の部屋は小さめのバスルームに直行出来るために後始末が楽だったり、ベッドの作りが広かったりで……まぁつまりはするのに向いているというか。
だから、黒鷹の部屋に夜遅くに行くというのは、昔から暗黙の了解、というやつで。
当分は出来ないということは黒鷹もわかっているはずなんだが。
「そういう意味じゃないよ。
君の体温を感じながら眠りたいだけだ。ただの添い寝だよ」
「……それだけ?」
「いくら私でも状況は弁えているつもりだよ」
黒鷹が苦笑しながら、俺の乾きかけの髪をくしゃりと乱す。
「ああ、勿論体調がしんどくて一人で眠りたいというのなら、無理にとは言わないけど」
「いや、それは大丈夫だ」
気付いたら以前よりも匂いに敏感になってるらしく、食べ物が種類によっては少し辛かったが、黒鷹の匂いは別だ。
心地良くて安らぐ。
他の何よりもずっと。
「じゃあ、決まりだな。来なさい」
「ん……」
引かれた手は温かくて、気持ちよかった。
***
「……もっと早く気付けばよかったな」
「え?」
黒鷹の部屋で、ベッドに横になり、灯りを落として眠気が訪れた頃。
ふと、そんな呟きが聞こえた。
何のことかと聞き返すと黒鷹の腕が俺の身体を引き寄せた。
闇に慣れた目に黒鷹の優しい表情が映る。
「子どもが出来たことに、だよ。
……何となく最近君を抱いたら、体温が少し高いような気はしてたんだ」
「そう……なのか?」
そんなこと、自分でもわからなかった。
精々少しだるさを感じるな、くらいで。
『玄冬』の身体は救世主によってつけられた傷以外は、さほど時間もかからず治癒する。
それは病気にしたって同じ事で。
記憶にある限りでは風邪一つひいた試しもない。
だが、女性としての摂理は怪我や病気にはあたらない。
だから、月の障りで少しだるかったり、腹が痛んだりというのはよくあることで。
多分、体温の変動もだるさの要因の一つなのだろうけど、正直自覚はなかった。
そんなことを述べたら、黒鷹の顔が困った様子になった。
「……君はもう少し、自分の身体のことを考える癖をつけなければいけないね」
「そうか?」
「今は一人じゃないんだよ。ここにもう一人いるんだから」
「もう一人……」
黒鷹の手が俺の腹に置かれる。
まだ外見的には何も変わらない。
それでも指先ほどには育ったはずの、小さな命がそこに存在する。
不思議な気分だった。
「……ふふ」
「……どうした?」
「いや、考えてみたんだ。
今、こうしてるのは三人で眠ってることになるのかな、とね」
「三人……か。そうか、そういえばそうだな。
……どっち、だろうな」
自分の手も黒鷹の手の上から重ねてみる。
黒鷹の言った理屈で考えるなら、こうしているのは、二人で子どもを抱くことになるんだろうか。
「男の子か、女の子か?」
「ん……もう決まってるんだよな?」
「出来た瞬間に性別は決まるらしいからね。
でも生まれてくるまではわからない」
「……半年以上先か。長いな」
「きっとそう言ってても直ぐだよ。半年なんて」
額に口付けがそっと落とされる。
子どもが出来たのがわかった所為なのか、性的な衝動はなかったけど、口付けは心地良くて。
頬に口付けを返したら、今度は唇を重ねられた。
唇は触れ合わせるだけで、舌は割り入ってはこない。
「……さすがに深い口付けだと拙いからね。
我慢がきかなくなったら困る。
そろそろ寝ようか。夜更かしは君の身体によくない」
「ああ。……悪いな、しばらく生殺し状態にさせる」
「そんなこともないさ。それに元来はそう性欲が強い方でもないし。
……ちょっと待ちなさい、玄冬。
何だい、その顔は」
「…………いや、だって……それは」
信じられない。
疑問に思うのは当然だと思う。
昔だって今だって、行為に三日以上の日にちを空けることは滅多に無い。
女の身体で生まれた今は、月の障りの最中に無理に抱くことはしないけど、それでも終わりかけだったりすると、体調さえ悪くないのなら、多少汚れる程度なら気にならないと、そのままコトを進めるくらいだ。
……それを受け入れてしまう俺にも原因の一端はあるだろうが。
どっちにしろ一週間と間が空いたことは恐らく皆無、といっていい。
――毎日だってしたいさ。身体さえついていくなら、ね。
そんなことだって、言っていた記憶がある。なのに。
「…………君でなければ無理なんだよ」
「え?」
「君だったら、いくらでも触れたいし、抱きたいとは思うけど。
逆に君以外の誰かに欲情することはもう長いことないんだ。
……それこそ、君がこの世界にいない間でもね」
「……本当に?」
あまり考えないようにはしていたけど。
俺が生まれていない状態ではどうしているんだろう、とは思っていた。
俺は黒鷹以外を知らないけど、黒鷹はそうではないのを知っている。
だから、不快ではないと言えば嘘にはなるが、俺が世界に存在しないときくらいは、誰かを戯れに抱くことがあっても仕方ない、と。
正直なところ、そう考えていた。
「ああ。だからその君が今出来ない状態である以上は仕方が無い。
……そんな感じではあるんだよ。
こうして抱き合っているだけでも気持ちいいしね。
本当に君が思っているほど、苦痛ではないさ。
それに玄冬の方こそ、これからが大変だろうし。
気にしなくていいよ」
「そう……か」
ほっとしたような。
……それでいて少し残念なようで、やっぱり嬉しかった。
***
そうして、何とはなしに。
次の日の夜も俺は黒鷹に寄り添って眠り。
また次の夜も、その次も。
そんな繰り返しが一週間。
「……一人で眠ることができなくなりそうだ」
「いいんじゃないかい? それで」
髪を撫でてくれる黒鷹の手が優しい。
この手に俺はいつになく甘えているのかもしれない。
この一週間、俺は服を着替えるときくらいにしか自分の部屋に入っていない。
初めての状態で不安なこともあるからかも知れないが、何となく黒鷹から離れがたかった。
まるで、親鳥について歩く雛鳥のように。
親になったのは俺なのに。
「どうせ子どもが生まれたら、その子の部屋を用意しなければならなくなる。
だったら、あの部屋を明け渡して、ここを私達二人の部屋にしてしまえばいい。
クローゼットにも君の服を置くくらいの余裕はあるしね」
「部屋を一緒にしたら、一人の時間が持ちにくくなるぞ?」
「案外、大差はないと思うよ。
君が家事をやってる間はこの部屋にいないわけだし、私がどこかに出かけているときもしかり、だ。
変わりがあるとしたら、こうして夜寝るときくらいしかないんじゃないかね。
……何か問題はあるかい?」
「…………ない」
「それなら決まりだ」
――そうして、長く繰り返し共に過ごしてきた中でも、初めて部屋を一緒にして。
――俺達は一緒に過ごさない夜が無くなった。
- 2008/01/01 (火) 00:07
- 第一部:本編
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