花帰葬-束の間の楽園に舞う花は

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第08話:蜜月の誘惑と理性の間

自室で本を読んでいたら、不意におぼろげではあるけれど、胸につかえる様な不快感が襲った。
……これは私じゃない、あの子のものだ。
気になって本を閉じ居間に行ってみると、玄冬がソファで横になっていた。
顔色があまりよくない。
どうも少し前からつわりが酷くなってきたらしく、最近よく辛そうにしている。
感情の波というか、何となくの思念の波長というか、そういうのがどこかであの子と繋がっているのか、伝わってくることはあるけれど、それはあくまで伝わるだけ。
不快感を分け与えられているわけではないから、辛さを軽減してやれてはいない。
そのことが少し歯痒い。
僅かな時間でも代わってやれたならどれ程良かったか。
食欲が少し落ちているのも気に掛かる。
栄養を取らなくてはいけない時期なのに。
ソファに近づくと、気配を悟ったのか玄冬の目が薄っすらと開いた。
 
「辛そうだね」
「ん……少し休んでいれば治まる。大丈夫だ」
「いいよ、そのまま寝ていなさい。
夕食なら何か調達してくるから。何か食べたいものはあるかい?」
「…………果物が欲しい。ジュース状になったものが……飲みたい」
「わかった。ああ、寝るならベッドの方がいいな。捕まりなさい」
 
玄冬の身体の下に手を差し入れると、玄冬の腕が私の首に回って、掴まれた。
昔なら、よく『一人で歩けるから』と困ったようにしていたのに今は私の為すがまま。
素直に甘えてくれるのは嬉しいけれども、逆を言えばそれは余裕がないということ。
自分以外の命を体内に抱えているというのは、思っていた以上に影響が大きいらしい。
肉体的な部分だけではなく、精神的な部分にしても。
玄冬を抱きかかえて、寝室まで連れて行き、ベッドに静かに降ろす。
私もベッドに腰掛けて、膨らみ始めた玄冬のお腹をそっと撫でた。
和らぐ表情に私の方も少しほっとする。
 
「有り難う」
「いや。……さっき言った果物以外には何か欲しいものは?」
「他は……いい」
「わかった。早速行って来るよ」
「ああ。頼む」
「……それでね、玄冬」
「うん?」
「このままだと行けないのだけど」
「……?」
「……すまないが、離して貰ってもいいかい?」
 
ベッドに横になってから、私のシャツの裾を掴んだままだった玄冬の手を軽くぽんぽんと叩く。
 
「…………っ!」
 
どうやら、掴んでいたのは無意識だったらしい。
たちまち顔が真っ赤になった。
慌てたように引っ込めかけられた手を取って、指先に軽くキスを落とした。
 
「…………悪い」
「いいや。……なるべく早く帰るよ。良い子にしてなさい」
「………………ん」
 
額と頬、そして唇にも軽く口付けて。
後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
 
***
 
「……まいったなぁ」
 
部屋を出る間際の寂しそうな玄冬の顔を思い出すと、あまりの可愛さに頬が緩む。
もう幾度も生まれてきたあの子と過ごしてはいるけれど、女の子で生まれてきたのも初めてなら、妊娠して調子が悪そうにしているのも初めてで。
恐らくは玄冬本人が何より自分の状態に戸惑っているんだろうけれど、慣れないことに不安そうにして、甘えてくるあの子の表情がたまらない。
時々うっかり欲情しそうで危険だ。
それどころではないと十分にわかっているのに。
鮮度の良さそうな果物を市場で選びながらも顔に色々出ているのか、
『幸せそうな顔してるね。いいことでもあったかい?』と方々で言われる始末だ。
まぁそれはその通りなので、否定もせずに笑っているだけなのだが。
満たされているのは確かだ。
自分でも気付いた時には信じがたかったが、酒の量を控えていても案外平気なことに気がついた。
玄冬が酒の匂いに敏感に反応するようになってしまってから、随分と飲む量を減らしたのだが、別にそれで不満はないのだ。
かれこれ長いこと生きているが、恐らく過去最高といっていいほど酒を口にしていない。
ああ、でも口寂しいと思ったら玄冬にキスしてしまうからかな、これは。
そうだ、キスの回数は明らかに前より増えた。
何だかんだであの子も拒んでいないのは、気がついていないのか、それとも……。
 
「……今のままならいいんだけどね」
 
きっとあの子のことだ。
子どもが生まれたらそっちにかかりきりで、私に甘えるに甘えられなくなる可能性だってある。
だったら、今のうちに目一杯甘やかしておくのは正しいことなのだ。
そのまま今の甘え方が日常になってしまうような勢いであればいい。
玄冬の甘えた時の表情を思い出すとたまらなくなってくる。
早く家に帰って、あの子の綻ぶ表情が見たい。
 
***
 
「……まずい……」
 
黒鷹がいない時間が妙に長く感じる。
あいつが出かけてから半刻と経ってないはずなのに。
どうしようもなく落ち着かない。最近変だ。
まるで幼子のように……いや、あの頃でもここまで酷くはなかった気がする。
黒鷹が傍にいないと不安な感じがあるというか、何と言うか。
さっきだって服を掴んでしまっていた。
行かないで欲しいというのが出てしまってたんだろう。
常に抱きしめていて欲しいと思ってしまう。
性的な意図ではなく、ただ黒鷹の体温が欲しい。
 
「……影響、されているのか……やっぱり」
  
そっと腹に手を当ててみる。
まだ膨らみかけで服を着ていると端からはわからない程度ではあるけど、日に日に変化していくのがわかる。
中にいる子どもがぬくもりを求めているのか、それとも俺が求めているのか。
子どもが無事に生まれてくるまで、守らなければならないのは俺なのに。
俺の身体の変化に合わせて、黒鷹も色々制限している。
本当はそこまでしなくてもと思うが、あいつは気にする様子もない。
黒鷹があんなに酒を飲まないのは初めてみるし、何処かに出かけても日帰りばっかりだ。
負担になっていなければいいんだが。
まったく……依存するにも程があるな。
 
***
 
「君らしいと言えば、君らしいけどなぁ……」
「だって…………」
 
――お前の負担になり過ぎてはいないか? 
……俺はお前に甘えすぎていないか? 依存しすぎてないか?
 
買い物から帰って来て、二人で夕食を取っていると玄冬がそんなことを言い出して。
つい苦笑してしまった私に罪はないと思う。
 
「今は普通の状態じゃないんだから。
甘えられるだけ甘えてくれればいい。
その方が私は嬉しいよ? そんなに気になるかい?」
「……俺は何もしてやれてないから。最近は特に……」
「何が、何もしてやれてない、と君に思わせてるんだろうね。
十分過ぎるものを私は貰っているのに」
 
思わず食べていた手を止めて席を立ち、玄冬を抱きしめる。
 
「今はもう一人いるんだ。
その子が生まれてくるまで君が二人分甘えればいいじゃないか」
「そんな……それならお前はどうなる?」
「うん?」
「俺が一方的に甘えてばかりなら、お前は?」
「一方的だと思ったことはないけどね。
私も相当君に甘えさせてもらってると思うが」
「…………でも」
 
納得できていないらしい。
マタニティブルー、というやつなのかな。これも。
腕の中に収まっている、玄冬の長い髪を梳く。
男性だったときと違って伸ばしてくれているのは、私が戯言混じりに
「女の子なんだから、長い髪にしてみたかったし、
長い髪が枕の上に散ったり、胸元に貼りついたりしているのがいい」
みたいなことを言ったからだ。
素直に逆らわず伸ばしたままでいてくれてたりするあたり、我が儘をきいてもらってるなと思うのだが。
 
「どう言えばわかってくれるのかな。
本当に十分満たされているんだけどね」
「……黒鷹」
「私は無理はしていない。
しいてあげれば、時々君が可愛すぎるから、強く抱きしめて組み敷いてしまいたくなる瞬間があるのが困るくらいだ。
それだって、こうしてただ抱きしめてキスしていれば治まって来るし。
それとも、まさかと思うが浮気の心配でもされているのかな。
本にはよく、妻が妊娠中だと夫の浮気の可能性は高いなど書かれているしねぇ」
「違……っ! それは思ってない。……けど」
「けど?」
「お前、子ども出来たのがわかってから遠出一つしてないから。
縛り付けてしまっているんじゃ……ないかと」
「違うよ。今の状態の君を置いて行きたくないだけだ。
手っ取り早く言えば気が進まない。それだけなんだよ。
君と一緒にいる方がずっといい。
傍にいないとどうにも物足りなくてね。
君の所為でも何でもない。私自身の問題だよ。
……多分、過保護すぎるんだろうけどな」
 
玄冬も初めての経験だが、私も自分の血を引いた子どもが出来たというのは初めてだ。
生まれてからの子育て経験ならベテランでも、生まれてくる前というのを
間近で感じるのは過去にないことだから。
それに、救世主以外には死ぬ危険性のない玄冬とは違って、生まれてくる子どもは事情が異なる。
ああ、そう考えると不安定なのは、玄冬だけでなく自分もか。
 
「……黒鷹」
「私の方こそ気になるよ。
君を想っていても、その事が負担に感じさせていたら申し訳ないなと」
「そんなことはない」
「それなら、お互い様ということでいいんじゃないのかね。
……まだ納得できないかい?」
 
玄冬はまだ少し苦笑いしていたけれど、それでも小さく首を振って寄りかかってきた。
不思議だね。
離れていると不安に襲われるのに、触れ合っているとこんなにも満たされる。
 
きっと依存しているというのなら。
それは玄冬よりも私の方なのかも知れない。

……ねぇ、君は知ったらどう思うだろうね。
そうやって、私に執着してくれることで、今度こそ、殺してくれなどと言わずに。
生きていきたいと思ってくれたならと願っていることを知ったなら。
子どもを持つことで、子どもが親に殺してくれと願った残酷さを感じて、約束を反故にしてくれないだろうかと密かに思う私を知ったなら。
ねぇ、玄冬……。

  • 2008/01/01 (火) 00:08
  • 第一部:本編

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