花帰葬-束の間の楽園に舞う花は

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第13話:ただ優しい祈りと願いを籠めて

どれくらいの時間、眠っていたんだろう。
窓の隙間から差し込む光は朝日なのか、それとも夕日なのか。
眠りにつく前の事を思い出して、ついぎこちなく身体を起こしたものの、もう痛みは何処にも残っていなかった。
まるで、あの激しい痛みは幻だったかのように。
だけど、紛れも無い現実だったことは、久しぶりに引っ込んだ腹が告げている。
思っていたよりも身体にだるさも残っていないあたりは、『玄冬』としての回復能力が働いているからなんだろうな、きっと。
黒鷹と子どもはどうしてるだろう。
ベビーベッドは、確か居間に置いてあったはずだからそっちだろうか。
ベッドから身体を起こして、部屋を出て。
見当をつけた居間を訪れたら、やはり黒鷹はそこにいた。
ベビーベッドの傍で、じっとその中を優しい表情で見下ろしている。
部屋に足を踏み入れた瞬間、俺に気付いたらしく黒鷹が顔を上げて笑いかけてきた。
 
「おはよう。身体の方は大丈夫かい?」
「ああ。回復の早い身体はこういうとき便利だな。
お前こそ腕はどうした?」
 
子どもを生んだ後で黒鷹の腕を見たら手首の辺りが傷だらけで。
そういえば、痛みを堪えていた時にずっと掴んでいてしまったんだったとその時に気付いた。
黒鷹の傍に寄って行き、その腕に触れたら、黒鷹の方から両手首の袖を少し捲って状態を見せてくれた。
指の跡は大分消えていたけど、爪痕と思しき小さな傷はまだ所々にある。
 
「すまない。痛かった、よな」
「君ほどじゃないさ。ああ、消さなくていいからね。
これはささやかな勲章だから」
「またお前はそんなことを。……ずっとそうして見ていたのか?」
 
黒鷹の隣に並んで、俺もベビーベッドの中に視線を向ける。
子どもはその中で小さな寝息を立てて眠っていた。
あどけない様子につい顔が綻ぶ。
 
「ああ。いくら見てても飽きないからね。子どもは。
本当に一日一日でどんどん成長していくんだ。
それこそ僅かでも目を離すのが惜しいくらいに。これから楽しいよ」
「そう、か…………あ」
「ふ……ふぇ…………ひゃああ……!」
 
声を潜めていたとはいえ、枕元で話をしていた所為か赤子が目を覚ました。
 
「おや。起こしてしまったかな。ん? どうかしたかい? 玄冬」
「……いや、何か……泣き声を聞いたら胸が……張って」
「ほう。……ああ、そうか。ミルクかな。
生まれてから何も口にしてないからね」
「飲ませてみる。そういえば、お前何か食ったか? 
一応、夕食は直ぐ食えるように用意してあったと思ったが」
「いや、すっかり忘れていた。せっかくだ。
その子のミルクが終わってから、一緒に食べよう」
「それもそうだな。よっ……と」
 
ベッドから子どもを抱き上げ、ソファに腰を下ろす。
黒鷹も俺と並んで座った。
寝間着の胸元のボタンを外し、胸を出して、乳首を子どもの口に含ませると、一瞬で泣きやんで一生懸命吸い始めた。
横から黒鷹が手を伸ばして、そっと子どもの頭を撫でる。
 
「うーん、凄いなぁ……。やっぱり」
「? 何が」
「いや、私は君を育てる時に当然だが母乳ではなかったからね。
本当にそこからミルクが出るんだなぁとちょっと感動したよ」
「ああ、そういえば、そうか」
「うん。まぁ風呂場で君に何度か乳首を吸われた事はあるけど、当然何も出ないから、悲しそうに泣かれてしまってねぇ。
あの時は切なかったな」
「くく……それは申し訳なかった」
 
悪いと思いながらも、その光景を想像すると笑えてしまう。
少しの間、赤子はそのまま吸い続けていたけど、ふともういらない、とでもいうかのように口を離した。
 
「もう、これは必要な分だけ飲んだ、と解釈していいんだよな?」
「いいと思うよ。ああ、玄冬。
げっぷをさせて空気を出させないと。そのままじゃ吐いてしまう」
「……っと、そうだった。……え……っと」
 
首が据わってないので、どう抱いたらいいものかと戸惑ってしまっていると、
黒鷹が腕を出してきたから、意図を察してそのまま赤子を渡す。
流石に子育て経験者なだけはある。
黒鷹はちゃんと首を軽く支えながら抱いて、子どもの背中を擦った。
口から空気が零れたのを確認して、もう一度黒鷹から子どもを受け取って普通に抱くと、早くも赤子の目がとろんと眠そうになっている。
黒鷹と無言で顔を見合わせて、そっとベビーベッドに寝かせると、間もなく子どもは目を瞑って、寝息を立て始める。
なるほど、泣くのと眠るのが赤子の仕事とはよく言ったものだ。
二人でそのままダイニングに移動して、スープだけ軽く温め、時間的には朝食になってしまった食事を取る。
どことなく穏やかで静かな空気の中、不意に黒鷹が口を開いた。
 
「さて、どうしようか。あの子の名前は」
「ああ。……そうだな。名前、か」
 
生まれてくる子どもが、男か女かもわからなかったし、生まれてから二人で名前を考えようと前から言ってあった。
が、いざ生まれると何とつけたものかと考え込んでしまう。
 
「うーん、春生まれで、君と誕生日が一日違いで…………あ」
「? どうした?」 
 
黒鷹が俺の後ろ、窓の方に視線を留めている。
俺も後ろをくるりと振り向くと、風に乗って桜の花びらが舞っているのが見えた。
そうか、今は桜が盛りだな。
最近はいつ生まれるかということにばっかり気を取られていて、そんなことを忘れてしまっていたけれど、群だと今が花見には丁度いい季節だ。
 
「……桜璃」
「おう……り?」
「うん、桜に瑠璃の璃と書いて、桜璃、というのはどうだい。
私も何とはなしに漠然と浮かんできただけなんだけれども。
桜の優しい、可愛らしい印象がいいなぁとかそんな感じで」
「桜璃……」
 
赤子の顔を思い浮かべ、『桜璃』という名前を組み合わせてみる。
漠然と浮かんできただけと黒鷹は言ったけれど、パズルのピースが綺麗に嵌ったような印象を覚えて、他の名前が全然浮かばなくなった。
 
「桜璃。桜璃……か。うん、可愛い名前だな」
「いいかい?」
「ああ。それがいい」
 
口にすると、ますますしっくりときた。
すんなり決まってしまったけど、なるべくしてなった名前のように思う。
俺の言葉に黒鷹も嬉しそうな顔になる。
さっき眠ったばかりだというのに、次にあの子が目を覚ました時に名前を呼んでみるのが待ち遠しかった。
さすがにまだ呼んだところで反応もしないだろうけれど、早く呼んでみたい。
さっき腕の中に収まっていた、小さな温もりの感触を思い出すと微笑ましくなる。
俺もああやって……黒鷹に抱かれてきたんだろうな。
それこそもう何度も。
 
「……ふふ」
「どうしたね?」
「いや、ちょっと昔のことを考えていたんだ。……前の俺の時のな」
「うん?」
「…………あの時、自分の『玄冬』としての存在を知った直後くらいか。
疑問に思っていたんだ。
俺は救世主の手にさえ掛からなければ、死ぬことはないのに、どうしてお前は放っておかず、あまつさえ育てることまでしてくれたのかと」
「玄冬」
「……出来ない、よな。
死なないとわかっていても、あんな小さい存在を一度腕に抱いてしまったら」
 
頼りなくて抱きしめてしまわずにはいられない赤子。
放っておこうとは思えなくなるだろう。
血が繋がっていなくても。
どの生き物も生まれたばかりの可愛さは格別で、それこそが外敵から身を守る術の一つではないかと、何かで読んだような記憶があるが……そういうことなのかも知れない。
 
「そうだね。
……本当に一番最初は子どもなんてどう扱ったものだろうかと、随分戸惑いもしたが……やっぱり可愛かったからな。
結局、それで全部解決してしまったようなものだよ。
それこそ歩き始めて、ちょこちょこと私の後ろを付いて来る君なんかもう可愛くて可愛くて。
あれは何度経験してもたまらないね。
本当にこの先が楽しみだ」
 
少し前までだったら、聞いていて恥ずかしくなるような発言はよせと言っていたところだが、今はそんな気持ちもわかってしまうから、苦笑するしか出来ない。
数ヶ月もの間、俺の腹の中にいて、ずっと一緒に過ごしていたら、中から蹴られてしまうことだって、痛いと思う以前に可愛いと思ったわけだし。
それこそ、何をされても可愛いから、で終わってしまうというのはわかる。
 
「皆そんな感じなんだろうな。それこそ、俺を実際に生んだ親にしても」
 
何気なく思いついて出ただけの言葉だった。
が、それを口にした瞬間。
黒鷹の顔色が明らかに変わった。
 
「そう……だな」
「黒鷹?」
 
黒鷹が席を立って、俺の方に来てそのまま俺を抱きしめる。
表情は見えないけど、伝わる鼓動が少し速い。
 
「…………私は残酷なことを繰り返してきたんだと思うよ」
「おい? 何の話……」
「君が生まれるたびに、あれだけ大変な思いをして生んだ親から奪ってきているからね、私は。
……幾度かは、君にも言えないようなやり方もした」
「黒…………」 
「君を引き取って育てるのが役目ということを言い訳に、彼らの感情は一切無視して、ね」
 
苦しそうな黒鷹の声。
 
――お前に育てられて、花白に殺される人生なら……。
 
悪くない、と。
そう言って、俺を殺し続けてくれと黒鷹に約束させたのは俺だ。
今の今まで黒鷹以外に育てられる、なんて考えもしなかったが、生まれてくるたびに黒鷹に育てられるということは、俺を実際に生んだ親からは引き離すということでもある。
もしも、今。
生まれたばかりのあの子を、桜璃を奪われたとしたら?
二度と逢えなくなってしまったとしたら?
そう考えて、心底ぞっとしたのと同時に理解してしまった。
俺達が……俺と黒鷹が繰り返してきたことの意味を。

――渡さない、この子は渡さない!

瞬間、脳裏に響いた女の声。
記憶にはないが、恐らくはいつかの俺を生んだ母親のものなのだろう。
親と言えば、俺には黒鷹だという感覚しかないけど、『玄冬』には生まれる都度、必ず血を分けた実の親も存在する。
繰り返してきた数だけ、子を奪われ、苦しめた一組の男女がいる可能性は高い。
生まれた子どもを、完全に最初からいなかったものとしておくことは、いくら黒鷹でも出来ないのだから。
俺も黒鷹の身体に腕を回して、強く抱きしめる。
 
「お前の……お前だけの所為じゃ、ない。
そもそもは俺が望んだことだ。
それに、お前がそうやって俺を育ててくれたから……また逢えたから、桜璃だってこうして生まれて来たんだ」
「……玄冬」
「お前が育ててくれると思ったから頼んだ。
残酷なことを繰り返させているのは、俺の願いのせいだ。
それでも……俺は生きるのなら、お前の傍でなければ嫌だ。
お前以外に育てられたくはない。だから……」
  
一呼吸おいて。
自分にも言い聞かせるようにそれを口にした。
 
「自分を責めるのはよせ。
……繰り返し逢いたいと思ったのは俺も一緒なんだから」
「玄冬」
 
世界が続いて、俺が繰り返し生まれるなら。
生きている間は黒鷹の傍にいたかった。
必ず残していく残酷さを知っていても。
そして、その為に他の誰かを犠牲にしていることが、今こうしてわかっても……それでも傍にいたい。
この先だってずっと。
そんな俺が、どうして黒鷹のしたことを責められる?
いつかの黒鷹が、俺にここにいていいんだと言ってくれたように、俺だって思うんだ。
お前が何をしていようと、ここにいていいんだ、と。
 
そうでなければ。
 
俺達は生まれたばかりの桜璃の存在を否定してしまうことになる。
あの子こそ、何も知らない。
いつかは両親である俺達が、この世界で異質な存在であることを伝えなければならない日は来るだろう。
だが、そのことで桜璃が自分自身を否定するような考え方をさせてしまってはいけないんだ。
震えてしまっているのは俺か、黒鷹か。
あるいは両方だったかも知れない。
それでも、互いの鼓動が少しずつ落ち着いてくるのと一緒に震えも治まって来る。
 
「せめて……」
「……うん?」
 
黒鷹の腕の力が抜ける。
見上げた顔はもういつもの穏やかなものになっていたことにほっとする。
 
「あの子は……守らなくてはいけないね」
「ああ。…………巻き込んでしまっては、いけないよな」
 
俺達が背負うものは自業自得なのだとしても。
無垢なままで生まれてきた桜璃にまで、それを背負わせるようなことがあってたまるものか。
静かに交わした口付けは無言の誓い。
 
そう、あの子だけは。
どうか……。

  • 2008/01/01 (火) 00:13
  • 第一部:本編

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