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Immorality of target 03<月刊少女野崎くん・堀みこ・R-15>

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若い時に付き合っていて、堀先輩の結婚を機に別れたけど、十数年ぶりに久々に再会したという流れの堀みこ。

01&02でのセックス後から朝。後悔の吐露と背徳への一歩。

初出:2015/02/21 同人誌収録:2015/06/14(Immorality of target。掲載分に多少の修正等あり)

文字数:8690文字 裏話知りたい場合はこちら

 

[御子柴Side]

 

「あ、ヤベぇ。さっきので切らしたんだっけ」

 

セックスが終わった後、疲れでうとうとしかけていた意識が、堀先輩のそんな言葉で引き戻された。

 

「御子柴。おまえ、煙草まだ残ってるか? 残ってるなら一本くれ」

「良いですよ。あ、俺も吸います。一本取ってくださ……。……っ」

 

俺も煙草を吸うために、上半身を起こしかけたところで、腰に鈍い痛みが走る。

最中はそう気にならなかったけど、そういえば身体が先輩に馴染み始めたところで、結構ガンガン突かれていたダメージが今頃来た。

久々だったのもあるよなぁと腰を擦っていると、若くねぇなってのを実感する。

 

「悪い。……無茶させすぎたな」

「あ、いや、久々だったんで。やっぱ歳っすかね」

「おまえの一つ上の俺の前で、それを言うのかよ」

 

先輩が苦笑いしながらベッドに戻ってくると、煙草と一緒に取り出したらしい、俺のライターを使って火を着ける。

そして、俺にも煙草を一本渡すとライターはサイドテーブルに置いて、煙草を咥えたまま、俺に顔を寄せてきた。

意図を察して、火が着いている先輩の煙草の先に、自分の煙草をくっつけて、そこから火を貰った。

……そういや、昔よくやったな、これ。

こんな吸い方したの、久しぶりだ。

 

――シガーキスって言われてるらしいぜ、これ。

 

それを教えてくれたのも先輩だった。

口に咥えたままで火を移すと、双方の吐息が共有される形になり、一種の間接キスみたいなものだから、そう言われているんだと。

同じ煙草だから、同じような香りの吐息になるのかと、昔はキスする度に意識して、嬉しかったのを思い出す。

そんな記憶も邪魔をして、結局煙草を止めることも銘柄を変えることも出来なかった。

せめて、煙草の銘柄だけでも直接見ないようにとシガレットケースを使うようにはなったが、煙草で先輩を思い出さなかったかと言えば嘘になる。

あの日々から十数年経ってたのが、嘘みてぇだ。

思えば終電までに帰り損ねてしまったのは、先輩との会話が弾んでしまったからってのもあったし、肌を合わせたのも久しぶりだったはずなのに――凄ぇ気持ち良かった。

久々だったから、流石に最初は少しキツかったけど、かといって、初めてヤッた時みたいな痛みとも違った。

いっそ、痛かったら、もうごめんだなんて吹っ切れただろうに。

…………覚えてんだもんなぁ、この人。

俺の弱いところはちゃんと。

自分一人じゃ得られなかった快感に翻弄された感覚は、決して不快なものではなく、正直なところを言えば、身体さえもつならまだ続けたいくらいだった。

先輩と別れてから全然セックスなんてしてなかったし、それで平気だって思っていたのに。

終いには、先輩の背に爪を立てちまったし。

それだけはやるまいって思ったのにな。

背中の爪痕なんて、どうやって付いたのかなんて、言い訳のしようがない。

横目で先輩の見える部分の背中を確認すると、やっぱりさっきつけてしまったらしい爪痕が幾つも見つかって、胸が苦しくなる。

 

「先輩」

「ん?」

「…………すみません。背中……」

「あ? ああ、気にすんな。……おまえほど年数開いてたわけじゃねぇけど、俺も女房とは年単位でレスだ。傷の一つや二つ、気付きやしねぇよ」

 

そんな言葉にほっとしたが、次の瞬間、そう思った自分の感覚が信じられなかった。

奥さんに分からなければいいなんて問題じゃない。

さっき、最中に先輩が指輪を外したのだってそうだ。

既婚者の先輩に自分がそんなことさせたのを、嬉しいなんて感じてしまった。

抱かせろって言った先輩に一度だけって応じたのは俺だ。

セックスの痕跡なんて、残すつもりなかったのに。

 

「ごめん、なさい」

 

思わず、先輩の左手を取って薬指を見る。

まだ指輪を外したままの其処は、嵌めていた跡がくっきりと分かる。

どれ程の期間、指輪を外していなかったのか。

もしかしたら、結婚してからそのままだったのかも知れない。

先輩が既婚者だって分かってて応じた癖に、見知らぬ先輩の妻って存在に嫉妬するのも、指輪を外してのセックスに優越感を感じるのも、お門違いだ。

 

「謝るのはこっちだろ。…………おまえが悪いんじゃねぇよ。誘ったのは俺だ」

「けど、拒まなかったのは俺です、し……っ」

 

分かっていながら流されることを望んだのは、俺の狡さだ。

久しぶりに全身で感じた体温が泣きたくなるくらいに愛おしかった。

今更、身体を繋げたところで、かつての日々は戻ってこないのに、あのまま別れずにいたらどうなっていたのだろう、なんて不毛なことまで頭を過ぎる。

連絡手段を一気に断ったのは俺なのに。

まだ先輩が好きなままだなんて、自覚したくなかった。

俺のものにならないことが分かっている相手なのに、手放したくない。

一度だけ、なんて大嘘だ。

熱くなってきた目元から、涙が落ちていくのを止められない。

 

「御子柴」

「す……みませ……。俺……俺、こんな、つもり、じゃ……っ」

「…………御子柴。おまえのせいじゃない」

「ふ……っ……」

 

残酷な位に優しい声。

口から吸っていた煙草が抜かれ、先輩も自分の分の煙草を、俺の分と一緒に灰皿に押しつけた。

今さっきまで煙草を咥えていた口に、先輩の唇が触れて、背中に腕が回された。

伝わる先輩の体温に、押し殺していた感情となけなしの理性が、完全に崩れ落ちた気がした。

 

「……っと、狡いよ、せんぱ…………狡……っ」

「………………悪い。けど、今、またおまえを手放せる気はしない」

「ふ……ざけんな……っ。帰る家も待ってる人もいる癖に……っ! どうして、そんな事言えるんだよ……っ!!」

 

朝になれば、俺は誰もいない家に、先輩は妻子の待つ家に帰る。

なのに、先輩の言っていることは、今後も関係したいってのを示していた。

 

――…………離さ、ねぇ……っ。

 

セックスの終わり間際に聞こえた小さな呟きは本音なんだろうって、分かってしまっている。

それを突っぱねられたら、どれ程楽だろう。

求められていることが嬉しいなんて、思わずにいられたら。

今すぐ、抱き締めてくれている腕を払いのけて、何事もなかったかのように帰れたらいいのに、俺の腕も先輩の背に回してしまっている辺りが俺の弱さだ。

十数年前に別れを決めた時だって苦しかったのに、今、再び先輩を失うなんて考えるだけでも辛い。

手放せる気がしなくなっているのは――俺の方だ。

 

「分かってる。……凄ぇ勝手なこと言ってるよな、俺」

 

口ではそう言いながら、先輩は俺を抱く腕を緩めない。

 

「ホント勝手だ……どうしてくれるんだよ……全部忘れちまいたかったのに……っ」

 

会わなければ、せめてこんな風に肌を重ねたりなんかしなければ、きっといつかは忘れられたはずだった。

少なくとも、見知らぬ相手に対する嫉妬で胸を焦がしていく苦しい感情なんて、記憶の彼方に追いやってしまえていた。

 

「俺はおまえが俺を忘れずにいてくれたのが、凄ぇ嬉しい。……実琴」

「…………っ」

 

ああ、相変わらず狡い言い方すんだな、この人。

こういう部分、先輩は全然変わっていない。

当時から滅多に呼ばない俺の下の名前だって、ここぞと言うときを狙って呼んでくる。

 

「ホント、先輩は狡い……」

「知ってる。……知ってて言ってるのも、おまえ分かってるよな?」

 

分かってるに決まってんだろ。

こんな風に逃げ道を塞ぐような問いかけをされたのだって、一度や二度じゃない。

なのに、結局俺はそれでもこの人が好きで堪らなくて……拒めない。

 

「俺はずっとおまえに会いたかった。あの時――おまえを直ぐに追いかけなかったことは今でも人生で一番後悔している」

「う……あ、ああああ!!」

 

低い囁きが胸の奥の古傷を抉る。

涙が後からどんどん溢れて、大の大人が小さなガキみたいに、先輩に縋って泣きじゃくった。

それ以上は何も言わずに、抱き締めてくれる腕に一層力が籠められ――俺が泣き止むまで、先輩は腕を解かなかった。

 

***

 

「……流石に人少ないっすね」

「まぁ、この時間だからな」

 

始発が動き始めた頃。

結局、ほとんど眠れないながらもホテルを出て、駅のベンチに並んで座りながら、人の少なさに乗じて先輩が俺の指に指を絡めてきた。

視線は正面を向いたままにして、さり気なさを装っているからか、俺達の様子を気に留める人はいない。

だから、指を解く気にもなれずそのままにする。

絡めた先輩の左手の薬指には、まだ指輪は嵌まっていない。

 

「……指輪いいんすか。つけなくて」

「家に入る前にはつける。……御子柴」

「ん?」

「これやる。俺との連絡用な」

 

先輩が懐からスマホを取り出して俺に渡してきた。

ほとんど使ってない状態だってのがありありと分かる。

 

「流石に仕事用やプライベートで普段使っているやつで頻繁にやりとりすると、バレそうだからな」

「……わざわざ、新規に契約したんすか。これこそ、何かの時に見つかったらヤバいんじゃないんすか」

 

先輩も俺に渡したのとほぼ同じタイプのスマホを手にしてた。

 

「一応、女房が知らない金から出してるから大丈夫だ。連絡先は入れてあるから持っとけ。週末は無理でも、平日だとどうにかなる」

「……うっす。というか、しばらくプロジェクトの会合も頻繁にありますよね?」

「…………好都合だろう?」

 

先輩が口元だけに笑みを浮かべた。

それも、最初から仕組んでいたんだろうかと思ったが、問いかけるのはやめにしておいた。

潤滑剤といい、スマホといい、やけに準備が良いのを考えると、先輩ならやりかねない話なだけに怖い。

プロジェクトの統括って先輩なんだよな。

……一体、何処まで先輩は計画していたんだろうか。

 

「電車来たな」

 

ホームに電車の到着を知らせるアナウンスが響いて、先輩の指がするりと抜けて、立ち上がる。

離れた体温に一抹の寂しさを感じながらも、俺は立ち上がらなかった。

電車を一緒にしちまうと、最寄り駅が分かっちまうし、先輩の家の最寄り駅についても意識しちまいそうだ。

何となく、まだそれは避けておきたい。

 

「……先輩、先どうぞ。俺、次の電車で帰りますから」

「そうか? ……じゃ、先行くぞ。またな。会合、月曜にも入ってるから、まずはその時に」

「ん……また月曜に」

 

先輩が一度だけ俺の髪をくしゃりと撫でると、ホームに入り込んできた電車に乗って行った。

電車が去って行くのを見送ってから、撫でられた髪に触れる。

 

「…………参ったなぁ」

 

昨日の朝までは、休日である土日を心待ちにしていたはずだったのに、早くも心が先輩と会える月曜日に飛んでしまっている。

たった一日でがらりと変化してしまった心境に苦笑するしかなかった。

 

[堀Side]

 

「あ、ヤベぇ。さっきので切らしたんだっけ」

 

煙草を吸おうとジャケットの内ポケットを探ったが、そこで煙草をさっきバーで吸っていた分で切らしていたことに気付いた。

 

「御子柴。おまえ、煙草まだ残ってるか? 残ってるなら一本くれ」

「良いですよ。あ、俺も吸います。一本取ってくださ……。……っ」

 

ベッドから身体を起こしかけた御子柴が、腰に手を当てて顔を歪めた。

さっきまでのセックスが原因なのは、明白だ。

受け入れる側の御子柴の方が、セックスの後、身体がキツいってのはちゃんと分かってるんだが、御子柴の身体が馴染んで来ると、どうもそれが頭の中からすっぽ抜けちまうんだよなぁ。

御子柴のジャケットの内ポケットから、煙草とライターを取り出し、サイドテーブルに一度置くと、俺も再びベッドに入る。

 

「悪い。……無茶させすぎたな」

「あ、いや、久々だったんで。やっぱ歳っすかね」

「おまえの一つ上の俺の前で、それを言うのかよ」

 

おまえが歳だってなら、俺はもっとだろうが。

まずは自分の煙草にライターで火を着けてから、御子柴にも一本渡す。

使ったライターは再びサイドテーブルに戻し、御子柴が受け取った煙草を咥えたところで、顔を寄せ、昔、よくやったように俺の火の着いた煙草から、御子柴の煙草に火を移した。

馴染んだ煙草の香りと、御子柴の吐息が混じり合って、鼻孔を擽っていく。

伏せた目元に多少の皺は見つかっても、相変わらず睫毛は長くて、妙な色気がある。

いや、寧ろ色気は昔より増した気がするのは気のせいか?

さっきもこの色気にやられて、久々にセックスに熱が入ったもんなぁ。

数年、女房とレスだったことを置いといても、一晩で三回出したとか何年ぶりだろうか。

歳でいい加減枯れてきたと思ってたが、そういうわけでもなかったようだ。

やっぱり、相手次第ってことなんだろうな。

 

――先輩と別れてからは全然……。

 

結局、俺しか知らないままだったなんて、嬉しいにも程がある。

こっちはそういう訳じゃねぇし、勝手な感情だってのは分かっているが、他の誰も知らないっていうのは、予想してなかったのもあって、可愛くて堪んねぇ。

特に終盤、御子柴が背にしがみついて、爪を立てて来た時には懐かしい感覚と嬉しさにどうにかなるかと思った。

まだ、少しだけひりひりする場所は、しばらくの間、思い出してはニヤニヤしそうでヤバい。

 

「先輩」

「ん?」

「…………すみません。背中……」

「あ? ああ、気にすんな。……おまえほど年数開いてたわけじゃねぇけど、俺も女房とは年単位でレスだ。傷の一つや二つ、気付きやしねぇよ」

 

御子柴を安心させようと、こっちもレスだったことを暴露した瞬間、御子柴の顔が一瞬だけ和らいだが、直ぐに表情が固まった。

 

「ごめん、なさい」

 

御子柴の声と指が微かに震えている。

御子柴の手が、俺の左手を取ったが、目線は指輪を嵌めていた薬指に固定されていた。

……こいつ、基本的に人が良いから、結婚している俺とセックスしたことに罪悪感を持ってしまったのかも知れない。

もしくは――。

 

――嫉妬の一つもしないって思ってるんすか? 先輩の腕が他の人間抱くって分かってて平気なわけねぇだろ……っ!?

 

女房に対して、嫉妬していたりするんだろうか。

だとしたら、正直嬉しくもあったりするけど……それを問いただすのは流石に出来ねぇ話だ。

 

「謝るのはこっちだろ。…………おまえが悪いんじゃねぇよ。誘ったのは俺だ」

「けど、拒まなかったのは俺です、し……っ」

 

サイドテーブルに置いたままの結婚指輪に、俺は自分でも驚くぐらいに大した感情を抱かずにいるけど、多分御子柴の方は違う。

最中に指輪を外したときに、中が吸い付くように絡みついてきたが、もしかしたら、それさえこいつの中では自分を責める材料の一つになってしまっているのかも知れない。

声が詰まったのに気付いて、御子柴の顔を見たと同時に、涙がぽたりと指に落ちた。

 

「御子柴」

「す……みませ……。俺……俺、こんな、つもり、じゃ……っ」

「…………御子柴。おまえのせいじゃない」

「ふ……っ……」

 

快感に喘がせて泣かしたいとは思っていたが、こういう形で泣かせたいわけではなかった。

御子柴の吸っていた煙草を口から抜きとって、自分の吸っていた煙草と一緒にテーブルに置いてあった灰皿に押しつける。

手と口が空いたところで、御子柴にキスして背を抱くと、嗚咽が溢れた。

 

「……っと、狡いよ、せんぱ…………狡……っ」

「………………悪い。けど、今、またおまえを手放せる気はしない」

「ふ……ざけんな……っ。帰る家も待ってる人もいる癖に……っ! どうして、そんな事言えるんだよ……っ!!」

 

苦しそうな叫びに、一瞬返す言葉を失う。

ずっと会いたかった。抱き締めたかった。

突然御子柴を失った喪失感は、自分でも予想以上に大きく、もう一度、御子柴を自分のものにしたくて、何年もその為に動いた。

愛しいと思うのも、誰より優しくしてやりたいと思っているのも嘘じゃない。

けど、誰よりもこいつを傷つけているのも俺だ。

――そうだと分かっているのに、手放したくない。

自分の狡さは十分過ぎるほど自覚している。

それでも、こいつが欲しい。どうしてもだ。

 

「分かってる。……凄ぇ勝手なこと言ってるよな、俺」

「ホント勝手だ……どうしてくれるんだよ……全部忘れちまいたかったのに……っ」

 

恨み言にも聞こえるこれも、御子柴の本心だろう。

なのに。

 

「俺はおまえが俺を忘れずにいてくれたのが、凄ぇ嬉しい。……実琴」

「…………っ」

 

そう言わずにはいられなかった。

俺と別れてから、誰とも付き合ってなかったってことも、最初強ばっていたのに、徐々に俺に馴染みだした身体も堪んねぇ。

俺が御子柴を完全に忘れることは出来なかったみたいに、御子柴も俺を忘れることは出来なかったっていう事実に心が満たされる。

 

「ホント、先輩は狡い……」

「知ってる。……知ってて言ってるのも、おまえ分かってるよな?」

 

自分の狡さなんて、百も承知だ。

こんな問いかけ方をしたら、御子柴が拒めないだろうことを分かっている。

こういう部分では、御子柴は変わっていない。

可愛くて堪んねぇって昔から思っている部分だ。

 

「俺はずっとおまえに会いたかった。あの時――おまえを直ぐに追いかけなかったことは今でも人生で一番後悔している」

 

十数年前のあの時。

俺も妙な意地を張って、御子柴に連絡を入れようとしたのは、三日後だった。

が、その三日という時間をおいたのがマズかった。

その間にこいつは携帯やメアドの変更は勿論、引っ越しさえ済ませていて、ようやく御子柴の本気に気付いたが、全ては後の祭りだ。

あんな思いをするのは二度とごめんだ。

 

「う……あ、ああああ!!」

 

ホテルの部屋に、御子柴の泣き声が響く。

昔も今も、俺はこいつを酷く傷つけている。

頭ではそれを理解しているのに、それでも俺のものであって欲しい。

他の誰にも渡したくなんかねぇ。

御子柴を抱き締める腕に力を籠めて、そんな意思表示をした。

 

***

 

「……流石に人少ないっすね」

「まぁ、この時間だからな」

 

始発が動き始めた時間、まだ空はようやく明るくなりかけているぐらいのタイミングでホテルを出、駅のベンチに並んで座りながら、電車を待っていた。

ちょうど少し前に前の電車が出たとこで、少し待ちがてらに御子柴の指に、指を絡めてみた。

人気が少ないからか御子柴も指を解こうとはせず、指を軽く絡めてくる。

 

「……指輪いいんすか。つけなくて」

 

ほんの少しだけ固さを含んだ声が尋ねてくる。

胸ポケットに入れたままの指輪はまだつける気にはならなかった。

 

「家に入る前にはつける。……御子柴」

「ん?」

「これやる。俺との連絡用な」

 

ホテルで渡しそこねていたスマホを懐から取り出して、御子柴に手渡す。

御子柴との連絡用にと二台契約したものの片方だ。

もう片方は俺が持っている。

今のところはそれぞれの連絡先しか入れてない。

 

「流石に仕事用やプライベートで普段使っているやつでやりとりすると、バレそうだからな」

「……わざわざ、新規に契約したんすか。これこそ、何かの時に見つかったらヤバいんじゃないんすか」

「一応、女房が知らない金から出してるから大丈夫だ。連絡先は入れてあるから持っとけ。週末は無理でも、平日だとどうにかなる」

 

結婚前から持っている口座の一つは女房に内緒にしてあった。

こういう時に使えて良かったとしみじみ感じる。

 

「……うっす。というか、しばらくプロジェクトの会合も頻繁にありますよね?」

「…………好都合だろう?」

 

そうなるように最初っから持っていったんだから、当たり前だ。

プロジェクトは立ち上げ早々だからと、会合がある度に遅くなるって言ってもおかしくない。

元社員の女房と、現社員の義父でも疑うことはないだろう。

不自然にならない程度に、統括の立場を最大限に利用させて貰う。

 

「電車来たな」

 

電車の到着を知らせるアナウンスにベンチから立ち上がったが、御子柴の方は立ち上がらなかった。

振り向くと、一瞬だけ寂しげな表情をした御子柴が、それをかき消すように笑った。

 

「……先輩、先どうぞ。俺、次の電車で帰りますから」

「そうか? ……じゃ、先行くぞ。またな。会合、月曜にも入ってるから、まずはその時に」

「ん……また月曜に」

 

俺と乗る電車をずらす意図は聞かずにおいた。

少し名残惜しく思った感情は、御子柴の髪を撫でることで誤魔化す。

ホテルを出る前に洗ったばかりで、ワックスを使っていない状態の柔らかい髪は触り心地が良い。

ドアが開いて電車に乗ると、まだ席はほとんど空いていたから、手頃な場所に座って、さっき御子柴に渡したスマホと対にした俺のスマホを取り出す。

御子柴にメッセージを打とうとしたが、結局途中でやめた。

月曜日にはまた会えるんだし、ついさっきまで一緒にいたんだ。

今、メッセージを入れなくても、あいつに会えなくなったりなんかはしない。

 

「…………意外に尾を引いてんのか」

 

十数年前、御子柴に連絡を取ろうとして繋がらなくなってしまったこともあって、しばらくは来たメールやメッセージを直ぐ返すという癖が抜けなかった。

最近、ようやくそれがなくなっていたが、ほんの数分前まで一緒にいた相手にメッセージを送ろうとしてしまった辺り、癖が完全には抜けてないらしい。

気を紛らわせるように、スマホの電源を落として懐に戻した。

今回は少なくともまず仕事で会えるのだし、スマホを御子柴が受け取ってくれた時点で大丈夫だろう。

いきなり、御子柴と会えなくなってから十数年。

それを思えば、二日会えないのくらいは短いもんだと分かっているが、一度触れてしまったことで箍が外れたらしい。

ついさっきまで一緒にいたのに、もう会いたくて堪らない。

右手には御子柴の髪の感触が、左手には絡めた指の温もりがまだ残っている。

月曜日に会ったら、あいつが土日をどうやって過ごしていたのか聞かせて貰うことにしよう。

電車の揺れにようやく眠気を誘われて、家の最寄り駅に到着するまではしばし眠るかと目を閉じた。

 

 

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