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Immorality of target 15<月刊少女野崎くん・堀みこ>

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若い時に付き合っていて、堀先輩の結婚を機に別れたけど、十数年ぶりに久々に再会したという流れの堀みこ。

修羅場のピーク(御子柴Side)。軽く流血表現あるのでご注意を。

初出:2015/05/17 同人誌収録:2015/06/14(Immorality of target。掲載分に多少の修正等あり)

文字数:16526文字 裏話知りたい場合はこちら

 

『朝、いつもより一時間早く家を出られるか? 話がしたい』

 

政行さんからそんなメッセージが入っていたのは、もうそろそろ寝ようとしていたタイミングでだった。

政行さんと一緒にいる写真をポストに入れられた時点で、多分向こうでも何かあったんだろうなと察してはいたから、やっぱりという気分だ。

 

『了解。話はどこでする? どっちかの駅よりは、その中間の西桜谷か扇町あたり?』

『そうだな。西桜谷の駅構内で落ち合おう。また、朝に家を出た後、メッセージ入れる』

『わかった。おやすみ』

『おやすみ』

 

そんな政行さんとのメッセージのやりとりを終わらせてから、スマホのアラームをセットしようと、元々自分が持っている方のスマホを手にする。

一時間早く家を出るってことは、一時間早く起きなきゃならない。

普段の時間よりも一時間早めたアラームをセットしたタイミングで、スマホが着信を知らせた。

 

「非通知……?」

 

深夜に非通知での着信っていうのに嫌な予感はしたが、もしも親父の方に何かあったとかでの急な知らせだとしたらマズい。

少しだけ躊躇ったものの、電話に出た。

 

「はい」

「…………」

「もしもし? もしもーし?」

 

聞き返してみても、ただ無言が続く。

仕方なく、そのまま切ったら間髪入れずに再び非通知での着信が入る。

 

「……っ、もしもし!?」

 

また、無言だ。

今度は聞き返しもせずに切ったが、さっきと同じだ。

即リダイアルしているらしく、非通知の着信がまたしても、だ。

掛けてきているのは同じ相手だろう事は察しがつく。

 

「……勘弁してくれって」

 

流石に今度の着信は取らずに、スマホの電源を切ってしまおうかと思ったが、本当に必要な電話が入った場合には困る。

非通知拒否もしかりだ。

非通知で掛けてきたからって、絶対に無言電話だとは限らない。

取引先の人が仕事用のスマホの電池がなくて、私用のスマホを使ったからと非通知での電話が掛かってきた経験が過去にある。

結局、マナーモードでバイブも切って、放置する以上の対策は取れなかった。

サイドテーブルの方にスマホを置いたが、着信がある度に画面が明るくなるのに辟易して、七回目の着信後にスマホを裏返した。

 

「……これ、明日仕事中とか来ねぇ……よな?」

 

嫌な想像ばかりが頭の中を巡っていって、早くに起きなきゃならねぇってのに、眠れたのは普段より随分遅い時間だった。

 

***

 

「おまえ、何か不審なもの送られたりしてねぇか?」

 

翌朝、西桜谷の駅構内で政行さんと会うや否や、心配そうな顔でそう尋ねられた。

 

「……その、写真数枚……と」

「と?」

「……写真の裏にURLがあって。そのURLに置いてあった音声ファイルが……最中の声、入ってた」

 

流石に写真の顔に傷までつけられていたことや、カッターの替え刃まで入っていた事は言い難く、写真と音声ファイルについてだけ述べたが、政行さんの表情が一気に曇った。

 

「やっぱりか。……俺も昨日、写真と音声ファイル聞かされた。悪い。怪しまれないためにも、おまえの元々のスマホ側の連絡先をプライベート用に入れてあったのが悪かった。すまん」

「ちょっ……頭下げんなよ!」

 

……これじゃ、さらに夜中に無言電話まで来てました、なんて言えやしねぇ。

 

「もしかしたら、おまえの会社の方にも、写真や音声ファイルが送付されているかも知れない。が、会社なら写真はともかく、出所のわからないようなファイルは不用意に開かねぇだろう。写真だけなら、不審に思われるように写っているものはないはずだ。多分、誤魔化しはきく。だから、関係を聞かれた場合は、単に仲が良い友人ですとでも言っておけ」

「…………嫌だ」

 

友人、て言葉が胸を締め付ける。

ただ、表向きにそう言えばいいって話なのは分かってるけど。

 

「……実琴?」

「だって、事実だろ? 一時誤魔化したって、後でそれが嘘だったって分かった時の方がどう考えたってヤバいじゃねぇか」

「…………それは、そうだが」

 

政行さんも口籠もっている辺り、考える部分はあったんだろう。

 

「実際付き合っているのに、今更関係否定するようなことはしたくねぇよ。……そりゃ、会社での立場悪くなるのも想像つくけど、それだって自業自得だし」

「おまえ……」

「大体、会社にっていうなら、俺よりも政行さんこそマズいんじゃねぇの」

「……確かに、俺もマズいだろうけど、多分こっちは表立っては言ってこねぇよ。女房側は離婚したくない、を貫いてるからな」

 

ああ、そうか。

奥さん側は離婚したくねぇなら、政行さんの方は少なくとも会社でそれについては言及されねぇよな。

義父の立場もあるだろうし。

だったら、当面は大丈夫か。

問題は俺の方だな。

 

「……わかった、おまえの好きに言っとけ」

「え、うわっ」

 

不意打ちで政行さんに抱き寄せられて、肩口に頭を埋められた。

駅構内に居る人達の視線をちらちら感じて、いくら何でもと慌てる。

通勤時間だから、人がそれなりにいるってのに。

 

「ちょっ、政行さん、ここ駅!」

「関係否定する気ないなら、このくらい構わねぇだろ。行ってくる」

 

不敵に笑って、一度背中をぽんと叩かれた直後に、政行さんが乗る電車が来て、そのまま何事もなかったかのように電車に乗って去って行った。

 

「吹っ切れ、過ぎだろ……あの人」

 

だけど、その行動に何となく心強くなったのを感じる。

写真や無言電話で落ち込んでいた気分は、大分浮上出来た。

……俺の単純さも大概だった。

 

***

 

「御子柴。昼飯一緒にどうだ?」

「あ、はい。行きます!」

 

会社で何か言われるんじゃないかと、びくびくしながら午前中の仕事をこなしたが、午前中はひとまず何事もなく、昼休みに入った。

いつもみたいに、会社の近所の店を適当に選んで昼飯を食おうと思ったら、プロジェクトでのうちの会社側のチームリーダーからのお誘いだ。

一瞬、何か言われるかと思ったが、特に変わった様子は見受けられないし、元々、何度も昼飯一緒に行ったこともあるから、そのままリーダーの誘いを受ける。

 

「ちょっと遠出するけどいいか?」

「え、あ、はい」

 

普段、行く店に比べて少し足を伸ばした先にある定食屋に連れて来られた。

ここは昼休みに食事するには、時間が結構厳しくなるぐらいに会社から離れた場所なので、あまりうちの会社の社員っぽいのはいない。

会社帰りに寄ることはあったが、昼に来たのは初めてだ。

空いていた奥の方の席に通され、昼飯の注文を済ませると、リーダーが話し掛けてきた。

 

「時間限られてるから、単刀直入に聞くぞ、御子柴。……おまえ、プロジェクト統括の堀さんと付き合ってるのか?」

「っ……! と、それは、その」

 

いきなりの話題で上手く切り返しが出来なかった。

言葉に詰まってしまって、二の句が告げられず、話が続けられない。

が、入社以来、仕事で俺と付き合いの多いリーダーはそれだけで察したらしい。

 

「……なるほどな。社内でバレンタインデーに貰うチョコの数、数年間に渡って不動のナンバーワンを誇る男に、未だ女の影がないのが不思議だって思っていたら、そっち系だったのか、おまえ」

「……すみません」

「謝ることないだろ。それを責めてるわけじゃない。会社宛に匿名での封書があったんで、確認したかっただけだ。……相手が既婚者だってのは知ってるよな?」

「…………知ってます。結婚前までも付き合っていたんで」

 

どこまで知られてるか分からないが、これはやっぱり会社にも写真等が送られていたってことなんだろう。

顔は上げられなかったが、チームリーダーが吐いた溜め息が聞こえた。

 

「そういうことか。……じゃあ、仕掛けたのはおまえじゃなく、堀さんなんだな」

「え、あ、その……誘いに乗って、関係続けているのは結局俺の意思なんで、どっちがっていう問題でも……」

「そうじゃない。…………おまえ、堀さんがプロジェクトの発足に関わったのは勿論、うちの会社との連携――さらにいうなら、うちの部署との連携を直接働きかけてきた当本人だってのは知ってたか?」

「――え?」

「センスのいいデザイナーの話を聞いたから、どうしてもって話でな。そのデザイナーが誰を指してるか具体的に名前は出さなかったが、そもそもうちの部署でデザイナーっつったら、ほぼおまえを指してるも同然だ」

 

確かにプロジェクトの統括は政行さんだし、プロジェクトの初会合時に、向こうのチームリーダー、つまり政行さんがうちの会社推しっていうのも聞いた。

俺がプロジェクトのメンバーに組み込まれていたのは、立ち上げ前の時点で予め分かっていただろうって思ってもいたけど。

……今の口ぶりからすると、そもそも最初から、政行さんがってことか?

でも、俺が政行さんが結婚するからって、一切の連絡を断ったあの時。

鹿島や他の友人たちが一切俺の連絡先を知らせなかったっていうことは、政行さんがあの時点で持っていた俺の情報は、会社と所属部署ぐらいだ。

実家だって、高校時代の家とは異なるところにあるし、そっちについては引っ越したとだけでそれ以上話題に出したことはなかった。

 

「……年単位で構想練った上で立ち上げたプロジェクト、でしたよね、これ」

「ああ。……プロジェクト発足前の打ち合わせの段階から、妙におまえのことを気にしているように思えたんだよな。古い知り合いかも知れないってことは聞いてたけど、理由がようやく分かった」

 

だとしたら。

政行さんは俺と会うために数年掛けた?

……もしかしたら、それが目的で?

そういえば、再会したあの日。

直ぐに政行さんとの連絡用スマホを渡された。

政行さんの手腕なら有り得ないことじゃない。

 

――俺はずっとおまえに会いたかった。あの時――おまえを直ぐに追いかけなかったことは今でも人生で一番後悔している。

 

だとしたら、公私混同にも程がある。

俺も別れていた間の十数年、政行さんのことを忘れてたわけでもねぇけど、そんな目的で仕事してたなら、それこそ政行さんは俺のことを忘れようがなかったってことだ。

十数年前に別れたあの時、政行さんにとって俺は同時進行出来る程度の相手でしかなかったんだろうって思ったし、俺が政行さんに対する『好き』と、政行さんが俺に対しての『好き』には温度差があるんだなんて思ってたけど。

 

「愛されてんなぁ、おまえ」

「…………今、それを実感してたところです」

 

別れていた十数年間。

俺が考えていたよりもずっと、政行さんは俺を好きでいてくれたのかも知れない。

 

「真っ昼間から惚気か。……というか、おまえも相当だな。滅茶苦茶顔に出てる」

「顔っ……!?」

 

指摘されて、顔が熱くなって来たところで、注文していた二人分の蕎麦が来た。

 

「お、来たな。とりあえず、飯食ってとっとと会社に戻るぞ」

「はい」

 

食うことで話が中断されたのは助かった。

嬉しくなることを聞かされたのはいいけど、これで今回の件で処分ってなったら、どうなるんだろう。

どうなっても仕方がないって覚悟はしていても、俺はこの会社が居心地良くて好きで、なるべくなら定年までこのまま勤めたいと思っていたから……やっぱり少し怖い。

 

「そうだ。うちの会社に来てた封書だけどな、写真だけみると特に不審な点もなかったし、何より送付元は匿名だったから信憑性もないってことで、性質の悪いいたずらとして俺の所で止めてる。だから、現状これ以上何をどうするってことはない。今のところは、だけどな」

「……っ、すみません」

 

不安を表情に出してしまっていたのか、リーダーが今回の詳細を教えてくれた。

 

「御子柴。…………一つ聞くけど、付き合いをやめる気は」

「ないです。……まさ、堀先輩も奥さんと離婚する方向で動いてくれているので」

「ああ、要するにごねられてるのか。不倫とか二股掛けられたとき、女の怒りは相手の男より、その付き合っていた女――あ、いやおまえの場合は男だけど、そっちに行くっていうもんな」

 

男の場合はパートナーに大体そのまま向くのに、何だろうな、とリーダーが続けたが、俺も政行さんに対してどうこうってよりは、奥さんに対して嫌な感情を持ってしまっているから、返事が出来なかった。

 

「後、音声ファイルは会社のパソコンでは、得体がしれないってことで確認せずにそのまま処分したから、他の社員には一切出回ってない。安心しろ。内容知ってるのは私的に気になって、自前のスマホで確認した俺だけだ」

「え、あ…………その」

 

他の社員には出回ってないの言葉に安心したのも束の間、リーダーは内容知ってるってこと、か?

恐る恐る様子を窺うと、リーダーがニヤリと笑った。

 

「……おまえ、良い声で啼くなぁ。俺にそのケはないけど、ありゃ、ちょっとぐらっときそうになった」

「……っ、勘弁して下さいって」

 

つい、自分でも昨夜聞いてしまった音声の内容を思い出してしまって、居たたまれなくなる。

ただでさえ、食欲落ちてんのに、もう、蕎麦の味がまともにしない。

どうにか、味の分からないままに昼食を平らげると、既に時間ギリギリだった。

 

「ん、時間ヤバいな。戻るぞ」

「はい。……リーダー」

「ん?」

「ありがとうございます」

 

足早に歩きながらになってしまったが、礼を述べる。

大事にならずに済んで、ほっとしたのは確かだし、かばって貰ったことになる。

時間が限られているのに、ここまで連れて来たのも、話を他の社員の耳に入れない為だろう。

 

「……礼を言われることじゃない。うちの会社としても、長年勤めてきた優秀なデザイナーを手放したくはないっていうのはあるからな。ま、場合が場合なだけに堂々と頑張れとは言い難いが……上手く解決するといいな」

「はい」

 

最悪でも出世コースが閉ざされるだけで、会社にこのまま居られるなら有り難い。

その事に本当に安心した。

 

***

 

そんな昼の流れを、煙草休憩がてらに政行さんにメッセージしたら、今日も帰りに会うことになった。

今の状況で大丈夫なのかと気にはなったが、既に調べられているなら今更会う回数を増やしたところで、大して変わんねぇだろって言う言葉に納得もした。

確かに今更、だ。

自分の会社の方は、とりあえず今のところは大丈夫だろうっていう安心感もある。

ただ、相変わらず一定の時間を置いて、非通知の着信は来ていた。

これは精神的にちょっと堪える。

合間合間に取り逃している電話はないだろうかと、留守電サービスに確認してみたら、どうも無言通話を掛けられているタイミングで取引先の一つから連絡があったようで参った。

今後も続くようなら、せめて仕事用のスマホを改めて契約して、仕事についてはそっちを使っていくようにした方がいいかも知れない。

政行さんより、退社出来た時間は早かったから、帰宅して早々、ついテーブルの上に置きっ放しにしたままだった、昨夜のカッターの替え刃や、写真を片付ける。

写真や音声ファイルについては言ったけど、流石にカッターの替え刃も入っていたことや、カッターで写真に傷つけられていた話は避けたい。

カッターの替え刃もだけど、写真の顔に傷をつけるという時点で、奥さんからの激しい憤りが伝わる。

 

「……凄ぇ恨まれてんだろうな」

 

自分の夫に不倫相手がいて、さらにその相手が男だって聞かされて、ショックでないわけないし、恨まねぇわけもないんだよな。

息子さんだって、知ったら気分は良くねぇだろう。

……世間に顔向け出来ない関係だってのは認識していたつもりだけど、こうやって、相手にも分かってしまったことで向こうからのアクションがあると、本当に酷いことをしているんだとひしひしと感じる。

 

「でも……」

 

政行さんを渡したくない。……渡せない。

俺と一緒に生きてくれるって、添い遂げたいって言ってくれた。

俺だって、それこそ昔から望んでいたことがようやく手に入りそうになっている。

他の何かを犠牲にしてしまうことになったとしても、手放したくない。

少しの間、考え事してて時間が経ってしまっていたらしい。

部屋にチャイムが響いた音で、我に返った。

 

「げ、もう、そんな時間か」

 

時計を確認したら、政行さんもいつもより家に訪れるのが早い。

慌てて、インターホンに出て、エントランスのオートロックを解錠した。

 

「早かったな、政行さん。そっちは会社大丈夫だったのか?」

「おう。速攻で仕事済ませてきた。やっぱり表面上は何もねぇな。義父と顔を合わせないようにしてたせいもあるけど」

「そうか、なら良かった」

「ただ、どの道離婚したら会社には居辛くなるだろうし、もう転職予定の会社には話を通してある。今、持ってる仕事を一通り後継に任せられる段階になったら、辞めるつもりだ」

「政行さん」

「心配することねぇぞ。俺、仕事出来るの知ってんだろ。次の会社でもどうにかなる」

「自分でさらっと言う辺りが凄ぇ自信だよなぁ」

 

政行さんの手が俺の頬に添えられる。

どちらからともなく、キスしようとした寸前で政行さんが止まった。

 

「実琴。着信来てるぞ。非通知だけど」

「あ……っ」

 

政行さんの視線はテーブルの上に置いてある、俺の元から所持しているスマホに注がれている。

しまった。

非通知の履歴が凄いことになっているのと、また掛かってきたら面倒だったのとで、政行さんの目につかないところに置いておくつもりだったのに、写真やカッターの替え刃を先に片付けていたら、テーブルの上に置きっぱなしにしたまま忘れてた。

非通知の着信を知らせる画面を見て、政行さんが眉を顰める。

……この人、嫌なところで勘鋭いんだよな。

 

「電話。出ないのか」

「あ、非通知だし、本当に用事あるなら、留守電に残すだろうし。放っておいて大丈夫だろ」

 

キスの続きに意識を逸らそうとしたが、政行さんの方から離れた。

 

「…………スマホ借りる。出るぞ」

「え、あ、ちょっと、政行さん!」

 

俺が止めるのも聞かずに、政行さんが俺のスマホを手にして、電話に出る。

少しの間黙っていたけど、やがて溜め息と共に電話の相手に向かって告げた。

 

「――迷惑電話は犯罪行為だって、分かってるか? 弥生」

「っ!!」

 

政行さんが言った直後に、電話の向こうから小さな悲鳴が俺にも聞こえた。

電話が切れて、政行さんが険しい表情になる。

……ほぼ間違いなく、そうなんだろうって思ってはいたけど、やっぱり、無言電話を掛けてきていたのは奥さんだったのか。

 

「あ、おい!」

「……何だ、この履歴」

 

電話が終わった後、政行さんが勝手に人のスマホの履歴まで確認し始めてしまった。

非通知着信の大量の履歴に表情が強ばっていたところで、すかさずスマホを奪い返した。

 

「いいから! 大したことねぇって。無言電話くらいなら、まだ可愛いものだっての」

「くらい、なら?」

 

ヤバい。

カッターの替え刃や、写真の俺の顔がカッターで傷つけられていた事に比べると、まだマシだって思ったからつい口に出ちまったが、それで政行さんは何か気付いたらしい。

顔色が一瞬で変わった。

完全に失言だ。

 

「……おまえ、まだ何か俺に言ってないことあるだろ」

「何……のことだよ」

「誤魔化すな。……他に何された」

「いや、そんな大したことじゃ……」

「――昨日、俺が家に帰る前にはこんな傷なかったよな?」

「いっ……ちょっと、手首捻んなって!」

 

目の据わった政行さんが俺の左手を捻り上げた。

昨日、カッターの替え刃で傷つけた場所は、どこももう血は止まっていたから絆創膏は外してあったけど、料理の際に包丁でついた傷だと誤魔化すには、不自然な場所のものもある。

だから、何も傷については触れなかったけど、ちゃっかり気付いていたらしい。

……こういうところ、目敏すぎだろ。

 

「何でも聞くし、言うようにするって言ったよな? ……言えよ、実琴。あいつに他に何された」

「政行さん、手離し……」

「言え」

 

一歩も譲る様子がない。

眼鏡の奥から視線が鋭く刺してくる。

言ったら、政行さんの怒りを煽りそうだけど、言わなくても……どっちにしろ煽りそうだな。

どうにか、穏便に済ませる手はないかと考えるも、改善策と思える方法は見当たらなかった。

 

「……手離してくれ。写真入ってた封筒見せるから」

 

誤魔化しようがねぇなと諦めて、昨日届いた封筒を出し、テーブルの上に置く。

カッターの替え刃と俺の顔だけが傷つけられている写真の数々を見て、政行さんがテーブルの上に拳を叩きつけた。

ぎり、と歯を食いしばった音が聞こえる。

……やっぱり、そのまま出さない方が良かったかも知れない。

 

「あいつ……っ!」

「ちょっと、政行さん!」

「家に戻る!」

「待てってば、落ち着けって!!」

 

今にも家を出て行きそうな政行さんを宥めようとするも、怒りを隠そうともしない。

 

「これが落ち着いていられるかよ! きっちり話つけないとダメだろ、これ。やって良いことと悪いことがある」

「だったら、俺も行く!」

 

今の政行さんを一人で行かせたら、ホントに怒りで人でも殺しかねない勢いだ。

滅多に無いくらい怒ってる。

せめて、少しでもストッパーになれればと、慌てて政行さんの後を追っていった。

 

***

 

まさか、こういう形で政行さんの家を訪れることになるとは思わなかった。

相変わらず怒りの収まっていないらしい政行さんは、不機嫌そうな顔して黙ったままだ。

電車で移動中、少し収まっていた非通知の着信がまた来始めて、政行さんが凄ぇ冷たい目でスマホの画面をじっと見てる。

結局、俺のスマホは政行さんが手にしたままだ。

返せとも何となく言い出しにくい。

 

――不倫とか二股掛けられたとき、女の怒りは相手の男より、その付き合っていた女――あ、いやおまえの場合は男だけど、そっちに行くっていうもんな。

 

昼間、リーダーが言っていたのを思い出す。

正に奥さんの場合はそういう事なんだろう。

……奥さんにしてみれば、俺さえいなければ今までと変わらない生活がこの先も続いていくものだと思っていただろうし、憤るのも無理はないと思う。

かと言って、無言電話やカッターの替え刃を送りつけたりするような真似はやっぱり止めて欲しいけれども。

いくら、こっちに非があると言っても、嫌がらせされてもいいかどうかとは別の問題だ。

政行さんの後に続いて駅を降り、そのまま歩いていく方向に着いていく。

歩いて十分もしないうちに、まだ新しいと分かる二階建ての一軒家に辿り着いた。

政行さんが玄関の鍵を開けて、家の中に入るとちょうど通りかかったらしい、息子さんがそこにいた。

 

「あ……お帰……」

「母さん、上か?」

「あ、うん、え? あ……」

「その、すみません、お邪魔します」

「あ、いらっしゃい……って、何、何だよ、親父」

 

息子さんが怪訝な顔して、政行さんと俺を見比べている。

そりゃそうだよな。

父親が血相変えて帰ってきた上に、一度しか会ったことない俺も一緒にいるんじゃ何があったって思うだろう。

 

「政弥、おまえしばらく上来るな。下にいろ」

「一体、何……」

「いいから」

 

有無を言わさない口調で、政行さんが息子さんに告げた。

そのまま階段を上がっていく政行さんの後ろにそのままついていく。

リビングのソファに座っていた奥さんが、驚いた表情を見せた後――政行さんの後ろに居た俺に気付いて、一気に目を吊り上がらせた。

 

「……っ、何でその人がここに居るの!? 出て行って!! ここは私達の家よ!!」

「俺が連れてきた。……弥生。おまえ、嫌がらせにも程があるぞ!?  無言電話もカッターも悪戯というには度を超している。やり口が陰湿だ」

「人に陰湿な真似をさせてるのは誰だと思っているのよ。……結婚前にも付き合っていた? 冗談じゃ無いわ。私や政弥は子どもの出来ないその人の代わり!? それとも世間体を守るための踏み台だったっていうの!?」

「弥生。今している話から軸を逸らすな。俺がしているのは嫌がらせの件だ。関係そのものの話じゃない」

「逸れてないでしょう!? その人が居なかったら、そもそも私はこんなことしてない! ……何よ、汚らわしい。人の夫を誑かしておいて、家にまで踏み込んでくるなんて」

 

言葉のナイフが胸を抉っていくけど、何も言えない。

激しい怒りを露わにしてた政行さんのストッパーに、なんて思ってついてきたけど、考えたら俺の存在は奥さんにしてみれば、この家で最も目にしたくなかったものだろう。

うかつだった。

 

「おまえが責める相手なら俺だろう。何で、こいつを責める。離婚したい、財産は全部おまえに譲るとも言っているのに、この上、何が希望だ」

「私だって言ってるじゃない。離婚なんかしたくない。貴方がレスが不満だったっていうのなら、改善するようにするし、家のことだって今まで以上にっ……」

「俺も言っている。もうそういう段階じゃないって、何度も言ったな? ……おまえと政弥には悪いが、俺は実琴と添い遂げたい」

 

二人のやりとりに口を挟める隙はない。

どうしよう、やっぱり俺まで来たのは失敗だったか?

傷ついた表情をした奥さんが、何かを手にしたのが見えた。

 

「……なけれ、ば」

 

涙声の奥に籠められた暗い感情。

そこで初めて、奥さんが手にしていたものがナイフだってことに気付く。

 

「あ……んたさえ、いなければ!!」

「ダメだっ……!」

 

何か考える余裕なんて無かった。

ただ、万が一にもあのナイフが、上の階に昇って来ていた息子さんの目の前で政行さんに掠めることだけはあっちゃダメだって、それだけだった。

右目と右耳との間くらいに、何かがぶつかって擦れたような衝撃を感じ、カランと床に何かが落ちて甲高く響いた音が聞こえる。

 

「……実琴!!」

「母さん!?」

 

政行さんがチェストの引き出しから何かを出して、俺に駆け寄ってきた。

 

「痛っ……!?」

 

衝撃があった場所に、何か布を押しつけられたところで、触れられた場所が痛み出した。

そして、生ぬるい液体が顎を伝って、袖の部分にぽたりと何かが滴り落ちて、スーツを汚す。

……これ、もしかしなくても、血か!?

慌てて政行さんを見ると、青ざめた顔した政行さんが俺の手を掴んで、布を押しつけている部分に触らせた。

 

「これちゃんと自分で押さえてろ。病院行くぞ。政弥、母さん見てろ。刃物だけ遠ざけとけ。何かあったら、どっちかの爺さんにでも連絡して来て貰え」

 

政行さんの言葉に、息子さんが声もなくこくりと頷いたのを見ると、政行さんが俺の背を抱くようにしながら、部屋を出るように促す。

 

「…………どう、して」

 

呆然と呟いた奥さんの声が、妙に耳の奥にこびりついて離れなかった。

 

***

 

そういえば、政行さんが運転する車に乗るのも、十数年振りだって感慨に耽る間もなく、一ヶ月半近く前にもぶっ倒れて世話になった市立病院に着いた。

最初はそうでもなかった痛みは病院に着く頃には、ズキズキと頭の奥に響くように痛んでいたけど、それよりも後の事が気掛かりで仕方なかった。

ナイフは政行さんには当たらずに済んだけど、自分の母親が目の前で父親の交際相手を刺した、なんて息子さんからしたら凄いトラウマになっちまうんじゃないだろうか。

治療して貰っている最中も、それが凄く気に掛かっていた。

 

「すまん……っ」

 

だから、手当が終わって診察室を出たところで、政行さんに頭を下げられたけど、こっちが余計なことをしたっていう罪悪感や、政行さんにキツい思いさせたっていう自責の念が大きかった。

 

「俺こそごめん。息子さんにあんなとこ見せるなんて。……俺も家に行くって言わなきゃ良かった」

 

少なくとも、あの場にいたのが政行さんだけだったら、奥さんもナイフを持ち出しはしなかっただろう。

きっと、こんなことにはなっていなかった。

政行さんの手が、怪我をしていない顔の左側に触れてきて、包帯越しに政行さんの体温が伝わる。

 

「診断書は出して貰ったか?」

「あ、うん。会社に出さねぇと。しばらくは病院寄ってから、会社に行くことになっちまうみたいだから」

 

当面の間、病院で傷を診て貰ってから会社に行く形になるから、提出しておく必要がある。

あと、保険会社にもだ。

会社の付き合い絡みで加入させられてた保険だけど、意外な時に役立った。

しかし、病院寄ってから仕事となると、その分仕事の開始時間遅くなるから、帰宅時間も遅くなっちまうな。

仕方ねぇんだけど、政行さんと会える時間が減るのが残念だ。

 

「治療費は俺の方で出すから、請求書は全部こっちに回してくれ。あと、診断書、もう一通追加で出して貰う。ちょっと、それはこっちで使わせて貰うな」

 

政行さんは何でもないことのようにそう言ったけど、どうにも引っかかった。

頭の中で何か警鐘が鳴っている。

大体、政行さんの方で使うって何の為にだ?

 

「……政行さん。何考えてる」

「俺たちの関係も確かに世間に顔向け出来ることじゃねぇが、あいつのやったことは限度を超えている。過度な悪戯電話、脅迫、さらには傷害だ。悪戯電話や脅迫だけなら、一日だけで継続されていないから弱い。……けど、この怪我はそういう問題を通り越している。訴えれば、勝てる材料が揃っているんだ。使わない手はない」

「なっ……」

 

躊躇いなく告げられた言葉の内容に、身体が震えそうになった。

曲がりなりにも、奥さん相手に何しようとしてるんだよ、この人!?

 

「実際に訴えるまでしなくても、それを理由に離婚の交渉は進められる。犯罪に平気で手を染めるような女とはもうやっていけないってな」

「っ! やめろって! 落ち着けよ、そこまで追い詰めることねぇだろ!?」

 

そのまま俺から離れて行こうとした、政行さんの肩と手首を掴んで引き止める。

俺を見上げてくる目は鋭く、怒りの焔を秘めていた。

この怒りは俺を怪我させたことによるもので、向けられているのは俺じゃなく、奥さん相手にだって分かっているけど一瞬怯みそうになった。

こんな政行さんは初めて見る。

今行かせちゃ絶対にダメだ。

掴んでいる肩と手首に力を入れたが、それがスイッチになったらしい。

政行さんが抑え込んでいた怒りの感情を爆発させた。

 

「……っ!! おまえこそ、何で止める!? おまえに嫌がらせしただけじゃなく、こんな怪我までさせた女だぞ!? 庇う必要なんか全然ねぇだろ!!」

 

手首の方が強く振り払われて、衝撃で俺が軽くよろけたところで、政行さんがハッと我に返ったような表情になった。

その隙に、改めて政行さんの手首を掴む。

 

「だって! 離婚で政行さんがいなくなって、さらに母親までってなったとしたら、息子さんはどうする気だよ!?」

「…………っ!」

「政行さんのたった一人の息子の母親だろ!? ただでさえ、母親が目の前で人を刺しちまったのを見たのに、そんなんでさらに父親に追い詰められるような形になったら……っ」

 

それこそ、息子さんにしてみたら、たまったもんじゃねぇだろう。

きっと、気持ちのやり場がなくなってしまう。

政行さんの顔に明らかに動揺の色が走った。

 

「政行さん! ……お願い、だから」

 

何より、俺もそんな風に容赦無く奥さんを責めていく政行さんを見るのは辛い。

十数年前、もし俺たちが別れなかったら。

政行さんが結婚してなかったら。

そんな風に思うことはあっても、それは本当に思うだけだ。

実際は今更考えたところでどうにかなるわけではないし、会っていなかったその十数年間も引っくるめての今の政行さんがある。

俺の知らない十数年間を思って、胸を焦がす感情があるのは否定できない。

でも、だからといって、その過ごしただろう十数年間を否定したいわけじゃない。

 

「…………おまえは本当にそれでいいのか? 傷だって残るだろうし、ここで交渉に使わないなら、離婚するのがさらに遅くなるかも知れない」

「本人だって刺したことに動揺してるだろ。……傷なんて、髪で隠れるような場所だし、多少残ったぐらいじゃそんな支障ねぇよ。第一、傷が残ったって、それで政行さんが俺から離れるわけでもねぇだろ」

「……実琴」

「慌てないって言ったじゃねぇか。俺だって今更離れたりとかしねぇよ」

 

離れていた十数年の間でも、政行さんが俺を想っていてくれてたように、俺も政行さんを想っている。

それはこんな怪我をしたくらいで揺らぐような想いじゃない。

政行さんが大きく息を吐いて、身体から力が抜けたのが伝わった。

背に回された腕にほっとする。

 

「……おまえ、お人好しすぎんだろ」

「そんなんじゃねぇよ。……これ以上の罪悪感は抱えたくないだけっていう、勝手な理由だ」

 

本当にお人好しだっていうなら、奥さんに対して嫉妬なんかしないし、ずっと政行さんに想われていたって優越感にも浸らない。

 

「…………おまえが本当にそれでいいなら」

 

いつも通りの穏やかさを取り戻した政行さんの声に、ようやくこっちも力が抜けた。

かなりの緊張を抱えてしまっていた自分に気付いて苦笑いだ。

 

「ありがとう」

「……礼こそ言われる筋合いねぇだろ。……っとにおまえは」

 

バカじゃねぇの、って微かに聞こえて、つい口元が緩んでしまう。

良かった、これ以上不穏な事にならなくて。

そろそろ、家に戻ろうかと政行さんから身体を離したところで、足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「――親父」

 

声を掛けられた方を振り向くと、政行さんの息子さんがいた。

 

「来てたのか政弥。……母さんはどうした?」

「宮元の爺ちゃん呼んで見て貰ってる。堀の爺ちゃんは電話繋がらなかったから」

「――そうか」

 

宮元ってのが奥さんの旧姓なんだろう。

政行さんの表情が束の間暗くなった気はしたけど、直ぐに元通りになった。

 

「はい。……爺ちゃんまで家に居るんじゃ、しばらく帰りにくいだろ。適当に持ってきた」

「政弥」

 

息子さんが持っていたボストンバッグと仕事用のバッグを政行さんに渡す。

中には、スーツやワイシャツ、ネクタイ、下着に靴下と着替えが数点。

他、髭剃りやスマホの充電器等、しばらく生活する分には困らなさそうなものが入っていた。

 

「他、いる物あったら、分かる範囲で用意するから言って」

「ありがとう。助かる。……すまん」

「ううん。じゃ、俺帰るな」

「待て、家まで――」

「いい。まだ、塾が終わるよりは早いくらいの時間だし、家まで遠くもないから一人で帰れるって。……その、そっちについていていいから」

「政弥」

 

それ以上は何も言わず、息子さんが俺に対しても軽く会釈すると、少し足早にその場を去った。

――遠のいていく背中が哀しそうに見えたのは、俺の勝手な感傷や後ろめたさからだろうか。

 

「じゃ、俺たちも帰るか。あー、車、おまえのマンションの駐車場に置いても大丈夫そうか?」

「来客用のがあるから、数日位なら大丈夫だと思う。……本当に家に帰らなくていいのかよ」

「正直、義父まで家に居るんじゃ、顔合わせるのはしんどい。……政弥が着替えや仕事用のカバン持ってきてくれて助かった」

「政行さん」

「……お互い、頭冷やす期間必要だろ。流石に、今あいつを見て冷静に話し合い出来る自信はねぇよ」

 

ぼそりと呟いた言葉に、俺もそれ以上言うのはやめた。

 

***

 

「っと……おまえ、いつもの場所で寝ると傷に障るな。場所変われ。こっちに来い」

 

二人で寝る時は、政行さんが左腕で腕枕してくれて、俺がそれに頭を乗せて収まる形になることが多い。

けど、今はそれだと顔の右側にある傷に何かの拍子に当たらないとも限らないからだろう。

大人しく場所を移動すると、政行さんが右腕を伸ばしてきた。

 

「腕枕は良いって。こっち利き手だから、朝しびれてたら……」

「いいって」

「……朝しびれてても知らねぇぞ」

 

大人しく俺から引いておいて、政行さんの伸ばされた右腕に頭を乗せた。

どっちも腕だし、大して変わんねぇだろうって思ってたけど、右腕と左腕じゃ何となく違和感がある。

意外に違うもんなんだな。

慣れちまえば何てことねぇんだろうけど。

政行さんの指が、俺の首筋にそっと触れた。

 

「少し熱い。傷のせいだな。……痛むか?」

「今は痛み止め効いてるし、平気。……いつまでそんな顔してんだよ。傷なら大丈夫だって言ってんじゃねぇか」

 

怪我をしていない政行さんの方が、よっぽどしんどそうな顔してる。

そりゃ、怪我の理由が理由だから気にするなってのも、無理な話かも知れねぇけど。

 

「俺が怪我するなら自業自得だって思えたけどな。……おまえが怪我するのは流石に堪える」

「……俺は、まだ俺で良かったって思うけどな。万が一、政行さんが怪我するような事になっていたら、それこそしんどかったし、息子さんが相当キツい事になっただろ」

 

ただでさえ、両親の雲行きが怪しい時に、どっちかがどっちかのせいで怪我するなんてなったら、俺だって想像するだけで胃が痛い。

今回のでも十分ショックだろうし。

 

「……実琴」

「ん?」

「結構、政弥に肩入れしてるよな。……何でだ?」

 

政行さんがそう言って来たけど、俺としては特に肩入れしてるっていう意識はなかったから少し驚いた。

言われてみれば、妙に気に掛かっているってところはあったかも知れない。

 

「んー……やっぱり、俺も一人っ子っていうのもあるから、どっかで重ねちまってんだろうな。何となく気になる。あとは、昔の政行さんに良く似てるから、懐かしい気分になってるのもあるかもな。俺には子ども居ないし、この先も作ることはないけど、子どもみたいっていうか、弟みたいっていうか」

 

向こうが俺をどう思っているのかは分からないけど、息子さんには嫌な感情を持っていなかった。

政行さんに良く似ているっていうのと、政行さんが結構可愛がってるのが、話の節々から伝わっていたからかも知れない。

 

「そうか。あー……いや、やっぱりいい」

「? 何だよ」

「大したことじゃねぇよ。……ただ、あいつと別れても、政弥とは出来れば適度に会えればいいって思っただけだ」

「…………そうだな」

 

息子さんの意思によるところが大きいだろうし、向こうからしたら、俺は平穏だと思ってたはずの両親の仲に亀裂を入れた相手だから、良い感情は持てないだろうとは思うけど。

…………それでも、仲良く出来ればいいのにな、なんて心の奥底でひっそりと考えた。

 

***

 

「クローゼット、この辺使わせて貰っても平気か?」

「あー、うん。冬物スーツはそろそろ纏めてクリーニングしようと思ってたんで、それ取り出してスペース空けてくれて構わないから。後で改めて整頓する」

 

政行さんの着替えをとりあえず、クローゼットに収めるのを手伝って、俺も着替え始める。

クローゼット以外の場所も、政行さんの物を置けるように片付けねぇとなぁ。

ふと、隣で着替えていた政行さんを見たら、ネクタイを締めながら、少し顔を曇らせていた。

 

「政行さん? どうかしたのか?」

「……いや。このネクタイ、二年前に政弥が父の日にって買ってくれたやつだったなって思い出した。それに、こっちのワイシャツはやっぱり誕生日祝いにって政弥が見てくれたものなんだよな」

「…………政行さん」

 

意識してか、無意識になのかはわからないが、息子さんが用意した着替えは政行さんの中で思い入れのある品が混じっていたらしい。

……息子さんは、どんな心境でこれ用意したんだろうかって思うと、切ないのと申し訳ないのとで、胸が苦しくなった。

きっと、政行さんはもっとだろう。

 

「ちゃんと蹴りをつけてから、付き合うべきだったんだよな、今更だけど」

「……うん」

 

けじめをつけてから、付き合っていれば、奥さんや息子さんを今ほど傷つけずに済んだだろうと思っても遅い。

政行さんの背後から腕を回して、腰を抱くようにすると、政行さんの手も俺の手に重ねられる。

ほんの数分だけそうして体温を感じた後、身体を離し、再び身支度に戻った。

 

「とりあえず、俺は病院に寄ってから会社行くから、その分、帰りは少し遅くなると思う」

 

昨日の今日でこれだと、リーダーには何かあったんだろうなって察せられてしまいそうだけど仕方ねぇ。

実際、『何か』あったんだし。

あんまり詳細説明したくねぇけど、そういう訳にもいかねぇよなぁ。

その点、ちょっと気が重い。

 

「分かった。実琴」

「ん?」

「この家の鍵寄越せ。……俺用の合鍵作ってあんだろ?」

「政行さん」

「これ以上隠す意味もないし、向こうの家にもまだ話し合いで行くけど。……もう、持ってたっていいだろ」

「……そうだな」

 

再会直後に作ってはあったものの、一年以上使わないままだったこの家の合鍵をチェストの引きだしから取り出して、政行さんに渡した。

……ちゃんとこうやって渡せる日が来るなんてな。

政行さんが渡した鍵を握りしめて、笑みを浮かべている。

 

「政弥に家の状況聞きつつ、話し合いが出来そうなら向こうの家に行くようにして、無理そうならこっち帰ってくる」

「わかった。……マンションの管理会社には、住人が増えるって伝えとくな」

「ああ。じゃ、先に出る」

「行ってらっしゃい。……ん」

 

政行さんが唇に行って来ますのキスをしてから、玄関を出て行った。

……くそ、やっぱりなんか妙に照れるな、これ。

キス自体は珍しくも何ともねぇのに、自分でも訳分かんねぇ。

っていうか、この先ずっとやる気なんだろうか。

いや、照れるだけで嬉しいのは嬉しいんだけど。

 

「……何か、色々順番間違ってる気はするよな」

 

散々、身体を重ねてきたのに、今更新婚みたいな気分になるってどうなんだ。

問題はまだ色々あるけども、どうにか、最終的には収まるところに収まって欲しい。

昨夜のアレ以来、スマホに非通知の着信が無かったことを確認し、俺も出掛ける準備を始めた。

 

 

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