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Immorality of target 16<月刊少女野崎くん・堀みこ>

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若い時に付き合っていて、堀先輩の結婚を機に別れたけど、十数年ぶりに久々に再会したという流れの堀みこ。

修羅場のピーク(堀Side)。軽く流血表現あるのでご注意を。

初出:2015/05/22 同人誌収録:2015/06/14(Immorality of target。掲載分に多少の修正等あり)

文字数:15453文字 裏話知りたい場合はこちら

 

『朝、いつもより一時間早く家を出られるか? 話がしたい』

 

寝室は女房と分けてあるから、寝る直前に実琴との連絡用のスマホにメッセージを入れた。

まだ、ギリギリ寝てないくらいの時間のはずだとの読みは当たって、然程間を置かずに実琴から返事が来た。

 

『了解。話はどこでする? どっちかの駅よりは、その中間の西桜谷か扇町あたり?』

『そうだな。西桜谷の駅構内で落ち合おう。また、朝に家を出た後、メッセージ入れる』

『わかった。おやすみ』

『おやすみ』

 

中間の駅だと、お互い会社とは一度逆方向に向かうことになるが、下手にどっちかの駅にしちまうよりは知り合いの目につきにくいだろう。

実琴とメッセージのやりとりを終わらせて、ベッドに潜り込む。

目を閉じると、さっきまでの女房とのやりとりがつい頭に浮かんだ。

 

――香水の時点でおかしいと思えば良かったんだわ。まさか、男と関係持ってたなんて思わなかったから、すっかり騙された形よね。

――弥生。

――早朝のジムも運動不足の解消だなんて言っておいて、結局は会う機会を増やしたかったんでしょう!?

――そうだ。……すまない。

――いくら、顔立ちが整ってるからって、あの人男でしょう? ……高校時代の後輩だって言ってたわね。いつからなのよ。

――プロジェクトで再会してから直ぐだ。……ただし、元々は高校時代から結婚するまでも付き合いがあった。再会するまでは本当に音信不通の状態だったけどな。

――何……よ、それ……。信じられない。元々男の方が良かったってことなの? 結婚はカモフラージュ!? 政弥や私を何だと思っているのよ!

 

下手に誤魔化すよりはマシかとは思ったが、些か、正直に言いすぎたかも知れない。

とは言え、調べ方によっては分からなくもないだろうし、言わなくても把握されていた可能性もある。

それにしても、あいつにあんなヒステリックさがあったとは思わなかった。

まぁ、普通一般には予想もしねぇよな。

旦那に交際相手がいただけじゃなく、その相手が男だったなんてことは。

女房との間に子どもも作ってるし、何でって思いはどうしたってあるだろう。

 

「けど、実琴じゃなきゃダメなんだよな」

 

離婚話を始めていると告げた後、実琴は大分甘えてくれるようになった。

あいつがどこまで意識してるかは分からねぇけど、やっぱり色々我慢させてきたんだろうなってのは伝わる。

今日抱いた時もキスをせがむわ、あいつからも積極的に動くわで可愛いったらなかった。

気のせいか身体の感度も上がった気がするのは、前よりもより実琴との絆を感じられるようになったからだろうか。

本人は慌てなくていいって言ったし、それも本心の一つには違いないだろうが、俺が何より早くあいつと一緒に過ごしたい。

こうして、夜一人で寝ていると実琴の体温を近くに感じて眠りたくなる。

 

「一人で寝る方が楽だなんて思ってたんだがなぁ……」

 

女房と寝室を分ける話になった時は、一人で寝た方が疲れが取れる気がしたし、気も楽だったから特に異論もなかったが、今はあいつと一緒に寝たい。

一緒に寝た方がセックスもしやすいという理由もあるが、実琴の体温は身体に馴染んで安らぐ。

セックスしない日でも、傍であいつの存在を感じていられたら、それだけで満たされる気がした。

何もかも譲ることになっても構わないから、早く離婚したい。

今の俺の望みはそれに尽きる。

自分の行動が今の事態を招いたことはよく分かっていたが、早く女房から解放されたかった。

 

***

 

「おまえ、何か不審なもの送られたりしてねぇか?」

 

朝、西桜谷の駅構内で落ち合った実琴にそう聞いた途端、実琴の顔色があからさまに変わった。

くそ、予想はしてたが、やっぱり何か送られていたってことだな。

 

「……その、写真数枚……と」

「と?」

「……写真の裏にURLがあって。そのURLに置いてあった音声ファイルが……最中の声、入ってた」

 

写真と音声ファイルということは、恐らく俺が見せられた、聞かされたものと同じやつだろう。

やはり、実琴の方にもアクションがあった。

それにしてもURLってことは、アレをネットにUPしてあるってことかよ。

 

「やっぱりか。……俺も昨日、写真と音声ファイル聞かされた。悪い。怪しまれないためにも、おまえの元々のスマホ側の連絡先をプライベート用に入れてあったのが悪かった。すまん」

「ちょっ……頭下げんなよ!」

 

電話番号が分かりさえすれば、素性は芋づる式に分かるだろう。

写真を撮られたのが先か、電話番号が分かったのが先かは分からないが、多分一連の行動の原因の一端にはなっているはずだ。

 

「もしかしたら、おまえの会社の方にも、写真や音声ファイルが送付されているかも知れない。が、会社なら写真はともかく、出所のわからないようなファイルは不用意に開かねぇだろう。写真だけなら、不審に思われるように写っているものはないはずだ。多分、誤魔化しはきく。だから、関係を聞かれた場合は、単に仲が良い友人ですとでも言っておけ」

「…………嫌だ」

「……実琴?」

 

俺が提案した内容に実琴が首を振る。

男との不倫関係、ましてやそれが仕事の取引先の相手だと発覚したら、こいつだってタダじゃ済まないだろうに。

 

「だって、事実だろ? 一時誤魔化したって、後でそれが嘘だったって分かった時の方がどう考えたってヤバいじゃねぇか」

「…………それは、そうだが」

 

確かに、誤魔化しきれるとは限らない。

写真の写り方は俺が見せられたやつと同じものだとしたら、ただの友人関係で済ませられる範囲だが、会っている頻度は実際ただの友人関係と済ませられる域は超している。

学生ならまだしも、家庭を持っている社会人でこんなに連日友人の家に訪れるようなやつなどまずいない。

 

「実際付き合っているのに、今更関係否定するようなことはしたくねぇよ。……そりゃ、会社での立場悪くなるのも想像つくけど、それだって自業自得だし」

「おまえ……」

「大体、会社にっていうなら、俺よりも政行さんこそマズいんじゃねぇの」

「……確かに、俺もマズいだろうけど、多分こっちは表立っては言ってこねぇよ。女房側は離婚したくない、を貫いてるからな」

 

女房側に離婚の意思があれば違っただろうが、女房は離婚を希望していないから、義父の立場にも関わってくるようなことはしないだろう。

万が一、やろうとしても義父が潰すだろうことも予想がつく。

だったら、表沙汰にしたいのは恐らく実琴の方だけってことになる。

問題が提起されることで、実琴の会社での立ち位置がどうなるかが気掛かりだ。

正直、俺の会社の方が規模が大きいし、実琴の会社からしたら取引先としては失いたくないだろう。

……でも、もしかしたら。

俺が他社への転職を考えているように、実琴の方でも何か考えているのかも知れない。

自業自得、の言葉に腹を括っている覚悟が見受けられた。それに。

 

「……わかった、おまえの好きに言っとけ」

「え、うわっ」

 

自分でも驚くぐらい、実琴が俺たちの関係を否定したくないって言ってくれたことが嬉しかった。

実琴を抱き寄せて、肩に頭を預ける。

道行く人の視線は感じたが、大して気にならない。

寧ろ、実琴がこんなに俺を想ってくれているんだと自慢したいくらいの勢いだ。

 

「ちょっ、政行さん、ここ駅!」

「関係否定する気ないなら、このくらい構わねぇだろ。行ってくる」

 

実琴の背中をぽんと叩いたところで、丁度俺が乗る電車が来た。

まだ呆然としてる実琴から離れて、軽く手を振り電車に乗る。

不思議なもので、実琴に会えたことで陰鬱な気分は跡形もなく吹き飛んだ。

 

***

 

案の定、実琴の会社にも写真と音声ファイルが送付されていたらしいが、夕方前に実琴から貰ったメッセージでは、音声ファイルの内容はプロジェクトのチームリーダー以外は知らないし、写真も特に不審な点がなく、匿名での送付だったってこともあって、悪戯だと受け取られたようだ。

ひとまず、大事にならなかったようでほっとしたが、まだ何かあるかも知れないと、今日も帰りに実琴の家に寄ることにした。

どうせ、バレているのなら、今更家に行く回数が増えたところで状況は変わりゃしない。

なるべく早めに仕事を終わらせ、実琴の家に向かった。

すっかり歩き慣れたマンションへの道を行き、エントランスのインターホンを鳴らす。

実琴がややあって、オートロックを解除してくれ、階段を昇り始めた。

いっそ、長期戦覚悟で実琴の家に住まわせて貰うのも手かも知れねぇ。

多分、あいつもダメとは言わないだろう。

三階についたところで、いつものように実琴の部屋の扉が開いて、俺を迎え入れてくれる。

 

「早かったな、政行さん。そっちは会社大丈夫だったのか?」

「おう。速攻で仕事済ませてきた。やっぱり表面上は何もねぇな。義父と顔を合わせないようにしてたせいもあるけど」

 

食事や休憩のタイミングにさえ気をつければ、部署の違う義父とは早々顔を合わせることはない。

今までだと、多少のご機嫌伺いも兼ねて、ある程度意識的に顔を合わせようとしていたが、こうなったら会わない方がお互い無難だろう。

 

「そうか、なら良かった」

「ただ、どの道離婚したら会社には居辛くなるだろうし、もう転職予定の会社には話を通してある。今、持ってる仕事を一通り後継に任せられる段階になったら、辞めるつもりだ」

「政行さん」

「心配することねぇぞ。俺、仕事出来るの知ってんだろ。次の会社でもどうにかなる」

 

義父の立場も全く利用しなかったとは言い難いが、プロジェクトを立ち上げたのも軌道に乗せたのも俺だ。

出世株と言われる様になるだけのものをこなしてきた自負がある。

 

「自分でさらっと言う辺りが凄ぇ自信だよなぁ」

 

笑って言う実琴の頬に手を添えて、キスしようとしたタイミングで、テーブルに置いてあった実琴のスマホが着信を知らせたのが目に映った。

 

「実琴。着信来てるぞ。非通知だけど」

「あ……っ」

 

その時。

実琴の顔が強ばったのを確かに見た。

非通知着信なんて、大抵の人間がそうだろうと思うが、頻繁には掛かってこない類の電話だ。

 

「電話。出ないのか」

「あ、非通知だし、本当に用事あるなら、留守電に残すだろうし。放っておいて大丈夫だろ」

 

実琴の様子のぎこちなさに、これは何かあるなと感じて、キスしようとした実琴から離れた。

少し考えたら、仕事用にも使っているスマホで音もバイブも切ってしまっているっていうのも引っかかる。

 

「…………スマホ借りる。出るぞ」

「え、あ、ちょっと、政行さん!」

 

テーブルの上にあった、実琴のスマホを手にして、電話を受ける。

電話の相手からは一言もない。

ただ、不思議なもので何となく嫌な空気だけは伝わって来た。

……なるほど、無言電話か。

もうちょっと、頭のいい女だと思っていたけどな。

つい、口をついて出た溜め息と共に、言葉を発した。

 

「――迷惑電話は犯罪行為だって、分かってるか? 弥生」

「っ!!」

 

上がった小さな悲鳴は確かに女房のものだった。

一応、十数年は夫婦としてやってきた相手だ、間違えるわけがない。

実琴の反応を考えると、これが初めての無言電話じゃなく、数回は掛かってきてるんだろう。

通話が切れたところで、そのまま履歴を確認してみる。

 

「あ、おい!」

「……何だ、この履歴」

 

見て驚いた。数回どころの話じゃない。

履歴に残っていた非通知の着信記録は三桁にまでのぼっている。

深夜から今に至るまで、一部の時間を除いては執拗な程に掛けられていた。

こいつのスマホはプライベート兼仕事用だ。

こんなんじゃ、仕事にも支障が出て来ている可能性だってある。

実琴が俺の手からスマホを取り上げたが、さらに発言した内容に驚いた。

 

「いいから! 大したことねぇって。無言電話くらいなら、まだ可愛いものだっての」

「くらい、なら?」

 

何かと比較してないと出て来ない言葉だ。

写真と音声ファイルについては朝聞いた。

音声ファイルは確かに人に聞かせられない類のものだろうし、ネットにUPされているというのは悪質だが、写真自体は写りだけなら不審な点はないに等しい。

どう考えても、一日足らずで三桁という異様な回数の非通知着信の方が可愛いと言える程だとは俺には思えない。

なら、こいつはまだ何かを隠している。

 

「……おまえ、まだ何か俺に言ってないことあるだろ」

「何……のことだよ」

 

刹那、実琴の目が不自然に泳いだ。

間違いない。

これは絶対他にある。

 

「誤魔化すな。……他に何された」

「いや、そんな大したことじゃ……」

「――昨日、俺が家に帰る前にはこんな傷なかったよな?」

「いっ……ちょっと、手首捻んなって!」

 

何もなければ、ただの切り傷だと見過ごしただろう。

けど、小さい傷とはいえ幾つもあるし、料理とかで切るような場所でないのも含まれている。

直感だったが、この件と無関係ではない気がした。

 

「何でも聞くし、言うようにするって言ったよな? ……言えよ、実琴。あいつに他に何された」

「政行さん、手離し……」

「言え」

 

きつめの口調で畳みかけると、実琴の喉が鳴ったのが聞こえる。

……内容次第じゃ、あいつ、ただじゃおかねぇ。

実琴は口にするかどうかを迷っていたみたいだが、俺に全く引く素振りがないから諦めたらしい。

 

「……手離してくれ。写真入ってた封筒見せるから」

 

言われた通りに手を離すと、実琴がチェストの引きだしから、封筒を持ってきた。

表にはサンプル品なんて書かれているが、テーブルの上に出された封筒の中身を見て、目を見張った。

剥き出しにされたカッターの替え刃、そして、実琴の顔がカッターか何かで傷つけられている写真。

……写真って、ただ写っているだけのものじゃなかったのか。

手の傷はカッターの替え刃のせいだな。

悪戯というには悪質過ぎる。

そもそもの非はこっちにあるんだろうが、相手を傷つけようという明確な悪意に対して、どうしても沸き上がる怒りが抑えきれない。

つい、拳をテーブルに叩きつけてしまった。

 

「あいつ……っ!」

「ちょっと、政行さん!」

「家に戻る!」

「待てってば、落ち着けって!!」

 

実琴が腕を掴んできたけど、落ち着けなんて無理な話だ。

 

「これが落ち着いていられるかよ! きっちり話つけないとダメだろ、これ。やって良いことと悪いことがある」

「だったら、俺も行く!」

 

実琴を振り払って、玄関を出ようとしたところで、実琴も慌てて俺に着いてきた。

連れて行くのに一瞬迷いはしたが、ある意味、話をつけるには悪くない機会かも知れない。

そのまま家に戻ることにした。

 

***

 

さっきの無言電話から数分。

電車で移動している最中、俺が持ったままの実琴のスマホに、また非通知着信が来始めた。

実琴に対して、こんな陰湿な真似をするのが腹立たしくて仕方ない。

こういう事をするような女には思えなかったんだがな。

 

――先輩。奥さんって同性のご友人あんまりいない感じですか?

 

あれは結婚して数年くらい。

騒がれてしまうからと、プライベートで人と会うときに変装し始めた鹿島が俺にそんなことを聞いてきた。

 

――ん? ……そういえば、家に友人が来たとか、友人と出かけるとか、あまりないかも知れねぇな。それが?

――同性の友人があまり居なさそうなら、要注意ですよー。女って怖いですからねー。

――? 何だ、そりゃ。

 

その時は、鹿島の意図がよく掴めず首を傾げたが、もしかしたらあいつは何か感じ取っていたのかも知れない。

俺に人を見る目が無かったっていえば、それだけの話かも知れないが、もう少しあの鹿島の言葉の意味を考えるべきだった。

東霧野の駅につき、いつもの道を歩いて行く。

駅から徒歩十分もしない場所に建てた家は、端からみたら幸せな一家の象徴だろう。

しかし、もう今はこの家で過ごすのに、苦痛さえ覚える瞬間がある自分がいる。

鍵を開けると、直ぐ目の前に政弥がいた。

 

「あ……お帰……」

「母さん、上か?」

「あ、うん、え? あ……」

「その、すみません、お邪魔します」

「あ、いらっしゃい……って、何、何だよ、親父」

 

政弥が状況に戸惑っているのは伝わったが、せめてこれから起こるだろう諍いを見せないように告げるのが精一杯だった。

 

「政弥、おまえしばらく上来るな。下にいろ」

「一体、何……」

「いいから」

 

流石に息子に両親の言い争いを見せるには忍びない。

言い置いて、二階へと上がると実琴も俺の後ろについてくる。

リビングに入ると、弥生が驚いた様子で俺を見――後ろにいる実琴を見て、鬼のような顔になった。

 

「……っ、何でその人がここに居るの!? 出て行って!! ここは私達の家よ!!」

「俺が連れてきた。……弥生。おまえ、嫌がらせにも程があるぞ!?  無言電話もカッターも悪戯というには度を超している。やり口が陰湿だ」

「人に陰湿な真似をさせてるのは誰だと思っているのよ。……結婚前にも付き合っていた? 冗談じゃ無いわ。私や政弥は子どもの出来ないその人の代わり!? それとも世間体を守るための踏み台だったっていうの!?」

「弥生。今している話から軸を逸らすな。俺がしているのは嫌がらせの件だ。関係そのものの話じゃない」

 

代わりというのは否定できない面があるし、世間体の為だというのもあったが、今はそこについて話したいわけじゃない。

下手にそこらを肯定すると、話が収まらなくなる。

 

「逸れてないでしょう!? その人が居なかったら、そもそも私はこんなことしてない! ……何よ、汚らわしい。人の夫を誑かしておいて、家にまで踏み込んでくるなんて」

「おまえが責める相手なら俺だろう。何で、こいつを責める。離婚したい、財産は全部おまえに譲るとも言っているのに、この上、何が希望だ」

「私だって言ってるじゃない。離婚なんかしたくない。貴方がレスが不満だったっていうのなら、改善するようにするし、家のことだって今まで以上にっ……」

「俺も言っている。もうそういう段階じゃないって、何度も言ったな? ……おまえと政弥には悪いが、俺は実琴と添い遂げたい」

 

弥生とのレスについては、既にどうでもいい。

今の俺が抱きたいのは実琴ただ一人だし、この先の人生を一緒に過ごして行きたいのも実琴だ。

有責は俺の方だから、確かに女房の方で離婚したくないと言われてしまうと、長期戦を覚悟しなきゃならないが、俺の中では既に弥生とは離婚する以外の選択肢はない。

それが如何に身勝手なのかは分かっているつもりだが、それでも俺はもう弥生の要求には応じられない。

 

「……なけれ、ば」

 

ぞっとするような暗い声も、正直鬱陶しいと感じた。

夫婦関係なんて、一方がダメだと思った時点で破綻してしまうのに、なお、しがみつこうとする弥生の心境が分からない。

 

「あ……んたさえ、いなければ!!」

「ダメだっ……!」

 

後ろにいた実琴が俺の前に出て来たのは分かったが、頭の中が状況を理解出来ず、咄嗟に動けなかった。

弥生が持っているのがナイフだと理解した瞬間――それが実琴の顔に当たり、続いてフローリングの床に落ちたのが見える。

甲高く響いた音にようやく我に返った。

 

「……実琴!!」

「母さん!?」

 

詳細は目に入らなかったが、今確かに弥生が手にしていたナイフが実琴の顔に当たった。

近くにあるチェストの引き出しから、大きめのハンカチを取り出し、ひとまず止血をと実琴に近寄る。

正面から確認すると思っていたより傷が大きい。

髪の生え際近くから、耳に近いところまで切れている。

せめて目や耳に掛かっていなかったのは幸いか。

 

「痛っ……!?」

 

ハンカチで傷口を強めに押さえるようにすると、実琴が声を上げた。

みるみるハンカチが赤く染まっていくが、ハンカチでは吸いきれない血が実琴の顎を伝って、スーツの袖に落ちた。

実琴の手を取って、ハンカチの部分を押さえるようにさせる。

 

「これちゃんと自分で押さえてろ。病院行くぞ。政弥、母さん見てろ。刃物だけ遠ざけとけ。何かあったら、どっちかの爺さんにでも連絡して来て貰え」

 

この状態で政弥と弥生を置いていくのも気が咎めるが、今はまず実琴を病院に連れて行くのが最優先だ。

タクシー、いや、車あるから、俺が運転していくのが早いな。

政弥が頷いたのを確認して、実琴をリビングから連れ出す。

弥生が何か言ったような気がしたが、振り返る気にはならなかった。

 

***

 

実琴が診察を受けている間、流石に落ち着かずについその場をうろうろとしてしまう。

意外なことに、怪我をした本人である当の実琴は、車の中でも落ち着いていて、俺の方があたふたしてたくらいだったかも知れない。

くそ、まさかあんな怪我させることになるなんて。

タダでさえ、家庭持ちの俺と付き合わせることで実琴にしんどい思いさせてるってのに、その上怪我までさせたとあっちゃ、あいつの親御さんに合わす顔がない。

俺があいつの親だったら、付き合いやめろって全力で止めるような案件だ。

勿論、中途半端なままに関係を続けていた俺が一番悪いのは分かっている。

が、こうなってしまうと弥生と夫婦をやっていることにはもう耐えられないのが本心だった。

今、目の前にいたら罵倒しか出来ないだろう。

まるで許せる気がしない。

政弥は恐らく本人も母親についていく方を選ぶだろうし、あいつに預けてなんて考えていたけど、刃物を持ち出すような女になんか委ねたくない。

診察室の扉が開いて、実琴が出て来た。

頭に巻かれた白い包帯が酷く痛々しい。

 

「すまん……っ」

 

詫びのしようもないが、それでも頭を下げることしか出来ない。

いくら、目や耳を傷つけずに済んだとはいえ、あの傷の大きさではきっと後々まで残る。

 

「俺こそごめん。息子さんにあんなとこ見せるなんて。……俺も家に行くって言わなきゃ良かった」

 

実琴のせいじゃないのに、そんな事を言う。

怪我をしていない顔の左側に手を伸ばして触ったら、少し実琴の表情が和らいだのにほっとした。

 

「診断書は出して貰ったか?」

「あ、うん。会社に出さねぇと。しばらくは病院寄ってから、会社に行くことになっちまうみたいだから」

 

この傷じゃどうしてもそうなっちまうだろう。

色々負担を掛けちまうのが申し訳ない。

 

「治療費は俺の方で出すから、請求書は全部こっちに回してくれ。あと、診断書、もう一通追加で出して貰う。ちょっと、それはこっちで使わせて貰うな」

 

こうなったら、せめてこれを楯に話を早く進める方向に持っていこう。

不幸中の幸いというには、代償が大きすぎたが、この機会を利用しない手はない。

 

「……政行さん。何考えてる」

「俺たちの関係も確かに世間に顔向け出来ることじゃねぇが、あいつのやったことは限度を超えている。過度な悪戯電話、脅迫、さらには傷害だ。悪戯電話や脅迫だけなら、一日だけで継続されていないから弱い。……けど、この怪我はそういう問題を通り越している。訴えれば、勝てる材料が揃っているんだ。使わない手はない」

「なっ……」

「実際に訴えるまでしなくても、それを理由に離婚の交渉は進められる。犯罪に平気で手を染めるような女とはもうやっていけないってな」

「っ! やめろって! 落ち着けよ、そこまで追い詰めることねぇだろ!?」

 

直ぐにでも自宅に戻って、弥生に話を切り出す為に、行こうとすると、実琴が俺の右肩と左の手首を掴んで、止めてきた。

怪我をした時よりもよっぽど戸惑った顔をしているのが分からない。

どうしてだ。これはおまえの為でもあるのに。

なのに、実琴は俺を行かせるまいと掴んでいる手により力を入れてきた。

力の入れ具合に実琴の方も本気なのが分かったが、それに自分の中で何かが切れた。

 

「……っ!! おまえこそ、何で止める!? おまえに嫌がらせしただけじゃなく、こんな怪我までさせた女だぞ!? 庇う必要なんか全然ねぇだろ!!」

 

手首を強く振り払うと、実琴の足元が軽くふらついた。

しまった、こいつ怪我してるのに、と思ったところで、再び振り払った手首を実琴に掴まれた。

 

「だって! 離婚で政行さんがいなくなって、さらに母親までってなったとしたら、息子さんはどうする気だよ!?」

「…………っ!」

「政行さんのたった一人の息子の母親だろ!? ただでさえ、母親が目の前で人を刺しちまったのを見たのに、そんなんでさらに父親に追い詰められるような形になったら……っ」

 

――確かに、政弥にしてみれば弥生も俺もあいつの親であることには違いない。

俺と弥生は元々他人だけど、政弥はそうじゃない。

どっちとも血が繋がっている。

……どっちと離れることになっても、もう片方に対して何か考える部分が出て来るだろう。

離婚したら俺と弥生は他人に戻るだけだが、政弥が息子であることはどちらからしても変わらない。

なら、下手に追い詰めると苦しいのは……弥生よりも政弥かも知れない。

ようやく、その事に思考が行き着いて動揺した。

 

「政行さん! ……お願い、だから」

 

実琴が泣きそうな顔をしているのにも、胸が痛む。

……こいつは何だかんだでお人好しだから、こういうのを楯にするってのは本気でしんどいんだろうな。

 

「…………おまえは本当にそれでいいのか? 傷だって残るだろうし、ここで交渉に使わないなら、離婚するのがさらに遅くなるかも知れない」

「本人だって刺したことに動揺してるだろ。……傷なんて、髪で隠れるような場所だし、多少残ったぐらいじゃそんな支障ねぇよ。第一、傷が残ったって、それで政行さんが俺から離れるわけでもねぇだろ」

「……実琴」

「慌てないって言ったじゃねぇか。俺だって今更離れたりとかしねぇよ」

 

ようやく、自分の中の思いを自覚出来た今、確かにどうなったところで実琴から離れようとは思わない。

それこそ、結婚式での宣誓じゃないが、病める時も健やかなる時も、そして、死ぬ最後の瞬間までこいつの傍に居たい。

実琴も離れたりしないって言ってくれてるし、寧ろ、俺たちはようやくこれからなんだと思っている。

……その実琴が望んでないのなら、無理には進められねぇよな。

少しでも早く離婚話を進めたい俺としては残念ではあるけれども。

実琴の背に腕を回し、抱き寄せる。

 

「……おまえ、お人好しすぎんだろ」

「そんなんじゃねぇよ。……これ以上の罪悪感は抱えたくないだけっていう、勝手な理由だ」

 

罪悪感という言葉に胸が軋んだ。

そんなものを抱えさせてしまっているのも俺なんだよな。

だったら、俺に出来るのは実琴の希望に添うことだけだ。

 

「…………おまえが本当にそれでいいなら」

 

そう口にすると、実琴が安堵した表情になって、力が抜けたのが伝わった。

 

「ありがとう」

「……礼こそ言われる筋合いねぇだろ。……っとにおまえはバカじゃねぇの」

 

そんな俺にない部分も好きなところの一つではあるんだけどな。

まだ、正直釈然としない部分もあるが、仕方ねぇ。

大人しく実琴を家に送るかと思ったところで、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 

「――親父」

 

俺の仕事用のバッグとボストンバッグを手にした政弥がそこにいた。

 

「来てたのか政弥。……母さんはどうした?」

「宮元の爺ちゃん呼んで見て貰ってる。堀の爺ちゃんは電話繋がらなかったから」

「――そうか」

 

ってことは、今は家に弥生だけじゃなく義父までいるってことかよ。

余計に家に帰りたくねぇな。

どっちの顔も見たくない。

 

「はい。……爺ちゃんまで家に居るんじゃ、しばらく帰りにくいだろ。適当に持ってきた」

「政弥」

 

政弥が持っていたバッグ二つを受け取ると、ボストンバッグの方には着替え数点に加えて、髭剃りやスマホの充電器等の日用品も入っていた。

仕事用のカバンも多分重さから考えると、普段俺が持ち歩いているノートパソコンが入っている状態だ。

これなら、数日家に帰らなくても当面の問題は無い。

こんな用意をしてくれたことに少なからず驚いた。

 

「他、いる物あったら、分かる範囲で用意するから言って」

「ありがとう。助かる。……すまん」

「ううん。じゃ、俺帰るな」

「待て、家まで――」

 

流石にそこそこ遅い時間になったから、車に乗せていくつもりだったが、政弥の方が首を振って否定した。

 

「いい。まだ、塾が終わるよりは早いくらいの時間だし、家まで遠くもないから一人で帰れるって。……その、そっちについていていいから」

「政弥」

 

どこか声の響きが寂しそうに聞こえたのが気にはなったが、そのまま政弥は帰っていった。

気を遣わせてるんだろうとは分かったが、それを無駄にしてしまうのもかえってあいつの行動を否定しちまうかと、実琴には悟られないように、あえて明るめの声を出す。

 

「じゃ、俺たちも帰るか。あー、車、おまえのマンションの駐車場に置いても大丈夫そうか?」

「来客用のがあるから、数日位なら大丈夫だと思う。……本当に家に帰らなくていいのかよ」

 

実琴が少し眉を顰めたけど、せっかく政弥が色々持ってきてくれたんだし、本音を言えば今日は流石に家に帰る気にはなれなかった。

 

「正直、義父まで家に居るんじゃ、顔合わせるのはしんどい。……政弥が着替えや仕事用のカバン持ってきてくれて助かった」

「政行さん」

「……お互い、頭冷やす期間必要だろ。流石に、今あいつを見て冷静に話し合い出来る自信はねぇよ」

 

リビングに入った途端に、あの光景を思い出してしまうだろう。

義父がいても、どこまで自分を抑えきれるか分からない。

多分、今はお互いに顔を合わせない方が賢明だ。

 

***

 

「っと……おまえ、いつもの場所で寝ると傷に障るな。場所変われ。こっちに来い」

 

二人で横になる時は左腕で実琴に腕枕をするけど、今は実琴が顔の右側を怪我してしまっているから、傷に障らないようにするには逆の方が良い。

実琴も直ぐに分かったらしく、場所を移動してきたところで、右腕の方を腕枕するために差し出した。

 

「腕枕は良いって。こっち利き手だから、朝しびれてたら……」

「いいって」

 

多少しびれたって、朝準備して会社に行くまでの間には戻るだろう。

何だかんだで、眠っている時も実琴に触れている場所が欲しいから、腕枕自体をやめたいとは思わなかった。

 

「……朝しびれてても知らねぇぞ」

 

実琴が少し苦笑いはしたけど、俺の右腕に頭を乗せてくれる。

首筋に辿らせた指から伝わる温度が何となくいつもより高い。

傷のせいで少し熱があるんだろう。

 

「少し熱い。傷のせいだな。……痛むか?」

「今は痛み止め効いてるし、平気。……いつまでそんな顔してんだよ。傷なら大丈夫だって言ってんじゃねぇか」

 

実琴の方は困ったように言ってくるが、そうは言われても気に掛かった。

こんな怪我させてしまったのは、やっぱり精神的にくるものがある。

実琴本人の方がキツいだろうとは思うけど。

 

「俺が怪我するなら自業自得だって思えたけどな。……おまえが怪我するのは流石に堪える」

「……俺は、まだ俺で良かったって思うけどな。万が一、政行さんが怪我するような事になっていたら、それこそしんどかったし、息子さんが相当キツい事になっただろ」

 

確かに、両親の刃傷沙汰なんてそれこそ目も当てられなかっただろうが。

 

「……実琴」

「ん?」

「結構、政弥に肩入れしてるよな。……何でだ?」

 

どういうわけか、結構政弥に対して気遣っている気がする。

直接会ったのは、ショッピングモールでのアレと、今日の家と病院での時ぐらいだ。

大した会話もしていないし、特別、何か好印象だったようなこともないだろうから、どうも引っかかる。

 

「んー……やっぱり、俺も一人っ子っていうのもあるから、どっかで重ねちまってんだろうな。何となく気になる。あとは、昔の政行さんに良く似てるから、懐かしい気分になってるのもあるかもな。俺には子ども居ないし、この先も作ることはないけど、子どもみたいっていうか、弟みたいっていうか」

 

高校時代に実琴と出逢って、セックスするようになったが、同性間の俺たちでは子どもは作れないから、性行為は生殖の為ではなく、快楽を求め、ひいては関係を深める為のコミュニケーションだ。

結婚して子どもを作った俺とは違って、結婚せずに、この先も俺とだけ関係を続けていくつもりの実琴にしたら、子どもを持つことはない分、政弥に対する思い入れが出ているのかも知れない。

好きな相手によく似た子ども、まして出逢った時の相手に生き写しってなったら――やっぱり可愛く思うもんなのかもな。

俺だって実琴にもし子どもがいて、その子どもが実琴に瓜二つだったら、凄ぇ可愛かったんじゃねぇかと想像するし。

 

「そうか。あー……いや、やっぱりいい」

「? 何だよ」

「大したことじゃねぇよ。……ただ、あいつと別れても、政弥とは出来れば適度に会えればいいって思っただけだ」

「…………そうだな」

 

父親の交際相手と仲良くなんてのも妙な話だろうが、実琴が政弥に対して悪い感情を持っていないのなら、勝手な意見かも知れないが上手くやってくれると嬉しい。

実琴は勿論大事だけど、政弥はたった一人の血を分けた息子だ。

弥生はともかく、やっぱり政弥とは離ればなれになることがあっても、上手くやっていけたらいいっていうのはある。

 

――おとーしゃん、いっしょにねよ?

 

眠りに落ちる瞬間、まだ政弥が俺の腰ぐらいまでしかなかったくらいの幼い頃が瞼の裏に浮かんだのが少し切なかった。

 

***

 

「クローゼット、この辺使わせて貰っても平気か?」

「あー、うん。冬物スーツはそろそろ纏めてクリーニングしようと思ってたんで、それ取り出してスペース空けてくれて構わないから。後で改めて整頓する」

 

昨夜、政弥に渡されていたボストンバッグの中身を、実琴のクローゼットに置かせて貰いたくて尋ねたら、実琴が冬物スーツを纏めて取り出し、スペースを空けてくれた。

ボストンバッグに入っていた着替えの中から、今日着ていくものだけ別にして先に着替え始め、ワイシャツとスラックスを身に着けた時点で、残りの着替えを収納していく。

次々とクローゼットにしまっていくが、政弥が用意してくれていた着替えをよくよく見ると、思い出の品が多いことに気付く。

何気なく色を合わせて、今日使うつもりで抜き出したネクタイは、政弥が父の日に俺にくれたものだし、クローゼットに今しまおうとしたワイシャツは俺の誕生日にってくれたものだった。

他にもネクタイピンや靴下に政弥が選んでくれたものがある。

不意に昨夜の政弥を思い出す。

あいつは何でもないように振る舞ってはいたが、相当心細い思いをさせてるんじゃねぇだろうか。

母親が錯乱して人を刺して、父親が家に戻らず交際相手のとこにいるって、考えたら酷い状況だよな。

 

――息子さんのことは考えてやれよ。きっと凄くキツい思いしてると思う。

 

実琴の方が気を回していたくらいなのに、ようやくその言葉の意味をちゃんと認識出来た気がする。

……あいつにしてみれば、たった一人の父親なんだよな、俺。

政弥がどんな思いでこれらを用意してくれたのかを思うと、申し訳なさに自省するほかない。

つい、ネクタイを締めながら手が止まる。

 

「政行さん? どうかしたのか?」

「……いや。このネクタイ、二年前に政弥が父の日にって買ってくれたやつだったなって思い出した。それに、こっちのワイシャツはやっぱり誕生日祝いにって政弥が見てくれたものなんだよな」

「…………政行さん」

 

実琴の声も少し暗くなったのは、俺の心境を察してくれたからだろう。

……本当にバカな真似をした。

 

「ちゃんと蹴りをつけてから、付き合うべきだったんだよな、今更だけど」

「……うん」

 

最終的には同じ別れるにしても、きっと色々違ってきただろう。

実琴にこんな怪我をさせずにも済んだだろうし、政弥や弥生にしたって、心構えが変わっていたはずだ。

同時にどうにか、なんて愚かな事を考えていたからこんな事態を招いた。

実琴が背中側から抱き締めてくれて、伝わる体温が心地良い。

過ぎてしまった時間は、もうどうにもならないが、せめてこの先は少しでも真摯に向き合うべきだろう。

これ以上、弥生とは夫婦としてはやっていけないが、あいつが政弥を生んでくれたことには違いない。

少しの間だけ、そのまま実琴の体温を感じてから、どちらからともなく身体を離す。

 

「とりあえず、俺は病院に寄ってから会社行くから、その分、帰りは少し遅くなると思う」

「分かった。実琴」

「ん?」

「この家の鍵寄越せ。……俺用の合鍵作ってあんだろ?」

「政行さん」

 

――…………俺だって支障なければ、渡したいんすからね。

 

かれこれ、一年近く前に合鍵をくれと言った時に、実琴がそうぼやいていたのを思い出す。

結局、その時は弥生に見つかったら言及されるからと渡しては来なかった。

が、あの口ぶりや、こいつの性格から考えると合鍵自体は作ってはあるはずだ。

 

「これ以上隠す意味もないし、向こうの家にもまだ話し合いで行くけど。……もう、持ってたっていいだろ」

 

既に関係は知られているんだし、こっちに生活基盤を少しずつ移すつもりだから、差し支えはないだろう。

 

「……そうだな」

 

実琴も納得したらしく、チェストの引き出しからキーホルダーも何もついていない剥き出しの鍵を、俺が差し出した手のひらに乗せてくれた。

この家に訪れるようになって、一年程。

ようやく、だ。

まるでお守りのような鍵の存在が何となく嬉しい。

 

「政弥に家の状況聞きつつ、話し合いが出来そうなら向こうの家に行くようにして、無理そうならこっち帰ってくる」

「わかった。……マンションの管理会社には、住人が増えるって伝えとくな」

「ああ。じゃ、先に出る」

「行ってらっしゃい。……ん」

 

実琴に軽くキスしてから玄関を出る。

照れてるんだろうけど、キスした直後の実琴、凄ぇ可愛い顔してんだよなぁ。

キス自体はとっくに数え切れないくらいしてるっていうのに。

後ろ髪を引かれる思いもあるけど、あの可愛い顔が見たくて、つい出掛ける前のキスが習慣化してしまいそうだ。

 

「……あいつとの付き合い自体はもう短くねぇのになぁ」

 

さらに言うなら、客観的にみれば四十に近いおっさん二人がするようなことでもないような気がする。

まぁ、他に誰が見てるわけでもないんだしいいか。

キスに限らず、妙に色んな部分で新鮮さを感じるのは、手順というか、順番というか、そういうのが色々違ってしまっていたせいもあるんだろう。

でも、それも悪くない気がする。

マンションのエントランスを出る時に、今日は自分の鍵を使って家に入れるんだなと思うと、それだけで少し気分が浮き足立った。

離婚話を考えると、浮かれてばかりもいられないが、少し位は楽しみがあってもいいだろう。

とりあえずは、今日会社で顔を合わせるだろう義父との話に覚悟を決めながら、駅まで向かった。

 

 

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