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Immorality of target 17<月刊少女野崎くん・堀みこ>

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若い時に付き合っていて、堀先輩の結婚を機に別れたけど、十数年ぶりに久々に再会したという流れの堀みこ。

御子柴と堀息子が会って話をしたり、離婚話に決着が着いたり。

初出:2015/05/26 同人誌収録:2015/06/14(Immorality of target。掲載分に多少の修正等あり)

文字数:11651文字 裏話知りたい場合はこちら

 

[御子柴Side]

 

怪我してから一週間。

ようやく、昨日抜糸して、頭に巻いていた包帯も取れたものの、まだしばらくは傷の部分にテープを貼ってなきゃならないらしい。

日に当てると傷痕が残りやすいとかで、半年くらいは貼ることになるかもって言われて、意外に長い期間がかかるんだなとちょっとうんざりもしたが、それでも、包帯が取れただけで大分気が楽になった。

どうしても、人目を引いちまうからなぁ、アレ。

ちょうど新入社員も入ってきた時期だから、余計悪目立ちしちまった感がある。

髪も一人じゃ洗いにくいから、ずっと政行さんに手伝って貰ってたし。

連日で通ってた病院も、数日置きで良くなったのも助かった。

おかげで、今日は今までの出勤時間通りに会社に来て、退社も比較的早い時間だ。

勤務時間としてはそんな変わらないけど、やっぱり遅くに帰宅となるとどうも疲労感が増す気がするんだよなぁ。

政行さんと一緒に夕飯食えないし、話せる時間も減っちまってたのもあるかも知れない。

今日は夕飯作れる位の時間もあるし、何か作るか。

カレーなんかいいかもな。

一人暮らしでカレーとなると、どうしてもしばらくそれが続いてしまうけど、二人だったら減るスピードは倍になるし、何か食いたくなってきた。

よし、家の近所のスーパーに寄ってから帰ろう。

少し楽しい気分で会社を出て、駅までの道を歩き出したところで、視界に入ってきた人物を見て、つい足が止まった。

 

「え……」

 

浪漫学園の制服の一つにある、空色のシャツに青いネクタイ。

前髪を下ろすと幼く見えるからと、当時から結局今に至るまでワックスを使って前髪を上げるようにしている政行さんと同じ髪型。

一見、昔の政行さんがそこに居るのかと思った。

けど、勿論そんなわけはない。

政行さんがそんな姿をしていたのは、もう二十年は前のことだ。

だから、そこに居たのは当然――。

 

「政弥、くん」

「こんにちは。……やっぱり、こういう格好すると親父に似てますか?」

 

政行さんによく似た息子さんだった。

何となくこう身に纏っている空気みたいなのは政行さんと全然違うけど、やっぱりこうやって不意打ちみたいな感じで同じような格好してる状態で会うと、凄ぇ似てる。

一瞬、時間があの頃に巻き戻って、政行さんが居るのかと思った。

 

「お時間取らせてすみません、少し話がしたいんですけど、一時間くらい何処かで話せますか?」

「あ、うん。……えっと、ファミレスとかでいいか?」

「はい」

 

個室のある店の方が良いのかも知れないけど、俺が思い当たるところは大体酒を出している場所だ。

いくら何でも高校生を連れて行くのはマズいだろう。

だったら、ファミレスぐらいしかねぇよなと、とりあえずここから歩いて三分の場所にあるファミレスまで連れて行く。

……何だろう、話って。

政行さんは俺が怪我してからは、一日だけ家に戻っていた日があるけどそれも短時間で、大半は俺の家の方で過ごしている。

お父さんを返せとでも言われるのかな、と内心びくびくしながら、ファミレスの席についた。

 

「先日は母が申し訳ありませんでした。本当にすみません」

 

ファミレスで席に通されるや否や、そんな風に息子さんに頭を下げられて慌てる。

 

「ちょっ……いや、頭上げてくれって。その、政弥くんが謝ることじゃねぇよ」

「けど、あれは父を庇って前に出たせいでしょう」

「いや、庇ったって言うか……ただ、身体が勝手に動いちまったっていうか。そもそも俺が家まで行かなきゃ、お母さんはナイフなんて持ち出さなかっただろうし」

 

ショッピングモールで初めて会った時の奥さんの穏やかそうに見えた表情と、先日政行さんの家で顔を合わせた時の俺に対しての敵意を剥き出しにした表情を思い出す。

奥さんにあんな行動や表情をさせたのは俺だ。

 

――ちゃんと蹴りをつけてから、付き合うべきだったんだよな、今更だけど。

 

先日、政行さんが言った言葉が頭を過ぎる。

家庭を持ちつつ、俺とも同時に付き合うって持ちかけたのは政行さんでも、そうと分かっていてこの一年半付き合っていたのは俺だ。

かつて、一度は手放したのに……いや、一度は手放したからこそか。

再会した時にはそうする事が出来なかった。

その結果が今の状況を招いてしまったと言える。

 

「……俺の方こそ、ごめん。謝らなきゃならないのはこっちの方だ。お父さん取り上げるようなことしてごめんな」

「御子柴さん」

「でも、俺はあの人じゃなきゃ……政行さんじゃなきゃダメなんだ」

 

一緒にいられる時間が前よりも増えて、余計にその思いは強くなったと言っていい。

政行さんの方でも俺と添い遂げたいって言ってくれた以上、もう手放すことなんて考えられない。

目の前にいるこの子からしたら、たった一人の父親だって分かっているし、それを奪われる悔しさも予想出来るけど譲れない。

 

「……聞いていいですか」

「ん?」

「……何で、親父を止めたんですか。そんな怪我させられたのに」

「止めた?」

 

止めたというのが何を指しているのかが、分からなかったから聞き返す。

 

「あの日、病院でのやりとり、聞いてたんです、俺。最初、親父が離婚の交渉材料の一つにしようとしていたのを」

「あ……」

 

――……っ!! おまえこそ、何で止める!? おまえに嫌がらせしただけじゃなく、こんな怪我までさせた女だぞ!? 庇う必要なんか全然ねぇだろ!!

 

そういえば、あそこで政行さんとちょっとした言い合いになった直ぐ後に政弥くんが来てた。

あれ、聞いてしまっていたのか。

そもそも、政弥くんが病院に来ることが予想外だったとはいえ、あまり聞かせたくない話だった。

 

「俺が仮に親父の立場だったとしても、多分親父と同じ事したと思うから、不思議だったんです」

「政弥くん」

 

そういえば、政行さんは自分と政弥くんは外見的な部分だけでなく、内面的な部分でも結構似てるところがあるって言っていた。

それはこういう部分も含めての話だったのかも知れない。

 

「こういう言い方していいのか分からないけど、御子柴さんにとっては、俺や母さんの存在って邪魔なものでしょう? 離婚話の切り札に使えるカードを敢えて捨てるようなことを言ったのはどうしてですか」

「邪魔……って、そんな」

「元々、うちの両親が結婚する前に付き合っていたって聞きました。あ、本人たちからじゃなくて、俺が勝手に会話を聞いてしまっただけだけど。だったら――」

「ちょっと待ってくれ。……そりゃ、正直なとこ言えば、政……お父さんがあの当時結婚してなければ、今頃どうなってたんだろうって思うことはあるけど、邪魔だなんて思ってねぇよ。……褒められたことじゃないけど、当時の政行さんの気持ちも少し分からなくもないしな」

 

世間一般のレールから外れるのは勇気がいる。

いくら、養子縁組っていう手があるとはいえ、子どもを作れない同性同士のカップルは一般的じゃないし、特に俺たちの親世代辺りは根強い嫌悪感を抱いている人も少なくない。

俺だって、結婚してないことについては親たちからしたら周知の事実だけど、今付き合っている相手が男性だってことは未だに言えてない。

ましてや、相手が家庭持ちだなんて親が聞いたら、それこそどうなるか。

政行さんと添い遂げると決めた以上、いつかは言おうとは思っているけど、今の時点では踏み切れないし、一度は結婚して普通に家庭を持とうと思った政行さんの意向も分からないではなかった。

同時に俺と付き合うっていうのは、やっぱりなしだろうとは思うけど、政行さんが結婚したことについても、子どもを持ったことについても、否定するつもりもないし出来ない。

 

「俺は政行さんと別れてた間に結婚しようと思える相手がいなかったし、この先子ども作るってこともないけど、政行さんが政弥くんの話をしてる時なんかはいつも嬉しそうだったし、そういうの見ると子どもいるのっていいなぁって何度か思った」

「俺の――話?」

「うん。笑ってしまうくらい、自分によく似た息子がいるって嬉しそうだった。小さい頃はこうだった、幾つぐらいの時はこうだった、みたいな。話題に出た回数が多かったわけじゃねぇけど、俺もショッピングモールで初めて会った時、これじゃ政行さんにとっては可愛くて堪んねぇんだろうなってのは伝わったな」

「……親父」

 

高校時代も鹿島に対して、親バカに近いものを発揮していたから、実子に対してだったら、それこそ親バカになるのは間違いねぇなって予想はついていたけど。

 

「それ知ってたら、追い打ちかける真似なんて出来ねぇよ。あの時は政行さんも激昂してたから、あんな事言ったんだろうけど、実際やっちまったら自己嫌悪に陥りそうだし」

「それは……そうかも知れない、けど。でも、軽い怪我でもないじゃないですか。傷痕、残るんでしょう?」

「残ったって髪で隠れるし、俺もうおっさんだし、大した問題じゃねぇよ。政弥くんからしたら、お父さんもお母さんも大事な親だろ。十数年離れてた間を思えば、離婚に少しくらい時間掛かったっていい。俺を選んでくれたっていうので嬉しかったし。……政弥くんやお母さんには、本当に申し訳ないけど、政行さんと別れるつもりだけはない」

「御子柴さん」

 

少しの間、沈黙が続く。

それを破った溜め息の音はどちらのものだっただろうか。

 

「――親父が好きなんですね」

「ああ。別れても結局忘れられなかったし、この先はずっと一緒に過ごして行きたい」

「そうですか」

 

俺の言葉に政弥くんが少しだけ表情を綻ばせた。

……やっぱり、似てるなぁ。政行さんに。

勝手な期待だけど、政行さんに似てるなら、政行さんと俺の関係に理解は出来ないまでも、せめて許容して貰えればって望むのは贅沢かな。

場の空気が少し和らいだところで、さりげなく腕時計で時間を確認すると、そろそろファミレスに入って一時間が経とうとしている。

俺はともかく、政弥くんはあんまり遅くなるようだとマズいんじゃないだろうか。

俺に会いに来たっていうのも、母親相手にはちょっと言えないだろうし。

 

「あ……っと。時間平気か?」

「あ、すみません。出ましょう」

 

政弥くんもスマホで時間を確認すると、席を立った。

向こう側が伝票を取ろうとした寸前で、こっちが伝票を手にして、そのままレジに行く。

 

「すみません。お時間取らせて。あ、コーヒー代……」

「いらねぇよ。いくら何でも高校生に出させられねぇっての」

「でも」

「いいから」

 

下手にやりとりを長引かせる前に、さっさと支払を済ませる。

店を出ると、政弥くんが丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございます、ごちそうさまでした」

「いいって。あー……真っ直ぐこのまま帰るってことでいいのかな」

「はい」

 

考えてみたら、この子と乗る電車一緒なんだよな。

時間が時間だから、乗った時には電車がそこそこ混んではいたが、この路線は地下鉄から私鉄に切り替わる辺りから、人ががくんと減る。

俺の方が政弥くんより三つ手前の駅で降りることになるけど、電車に乗る人が減ってからも、何となくお互い口を開かずに気まずい沈黙が続いてしまう。

そうこうしている間に、もう桜谷の手前まで来ていた。

 

「あ、俺、次で降りるから」

「はい。……その、御子柴さん」

「ん?」

「今日は突然すみませんでした」

「あー……いや、こっちこそかえってごめんな」

 

二人揃って、頭を下げ合う。

車内に桜谷の駅に到着する旨のアナウンスが流れた時に、それに紛れるようにして政弥くんが言った。

 

「何か、親父の相手が貴方みたいな人で良かったって思います。……男を好きになる感覚は分からないけど、親父が御子柴さんって人間を好きになった理由はちょっと分かる気がしました」

「政弥くん」

「……親父をよろしくお願いします」

 

俺に頭を下げた政弥くんが、先日病院でやっぱり頭を下げてきた政行さんの姿と被った。

電車から降りて、何となく政弥くんに向かって手を振って。

電車が駅から去って行くまで、何となくその場に立ったまま見ていた。

 

「…………分かって貰えたって思ってもいいのかな」

 

去り際に見えた、電車の中の政弥くんは笑っていたような気がする。

悪い印象からの表情じゃなかったと思いたかった。

 

***

 

「ただいま。お、今日はカレーか。いい匂いがする」

「お帰り、政行さん。……ん」

 

桜谷の駅に着いた時点でも、政行さんからのメッセージは入っていなかったから、それなら帰宅までに一時間以上はあるはずと、予定通りにカレーを作っている最中で政行さんが帰ってきた。

すっかりお馴染みになりつつある、お帰りのキスをキッチンで交わしてから、政行さんがネクタイを緩め、リビングのソファに腰掛ける。

 

「あ、あと十分くらいしたらカレー出来るから、先に着替えてこいよ」

「そうするわ。あ、そういえばな。仕事の引き継ぎについては目処がつきそうだ」

「お疲れ。じゃあ……」

 

離婚話が順調に進むにしろ、進まないにしろ、もう政行さんは今の会社は辞めるって決めていたから、最近は少し忙しそうだ。

 

「ああ。ゴールデンウィーク終わった辺りから有給消化して、今の会社は辞める。で、六月から新しい会社で仕事始める」

「じゃ、五月はゆっくり出来るってことかよ。いいなぁ。俺も長々と休みてぇ」

「ゆっくりっつっても、こっちに荷物運び込むから、何だかんだで慌ただしいぞ。悪いな、転がり込む形になって」

「問題ねぇよ。元々一人にしちゃ広めの部屋だったしな、ここ」

 

会社についてもだが、奥さんと別居することも決めたから、今はまだ少ししかない政行さんの荷物が増える。

当面、政行さんはここに住むけど、しばらくしたら、二人で別の場所に引っ越そうかという話も出ていた。

家賃や光熱費等折半するなら、もう少しゆとりのある場所に住めるし、何だかんだでエレベーターなしの家だと、体調崩した時にキツいというのも実感してしまったから、俺としても引っ越しには賛成だ。

とは言っても、まだ問題がきっちり片付いたわけでもねぇし、片付いたら片付いたで慰謝料の支払とかあるしで、もう少し生活に余裕が出来てからって話ではあるんだけど。

政行さんが部屋着に着替えてきたところで、カレーも出来たから皿によそってテーブルの上に置く。

 

「ルー、中辛使ってるけどいいか?」

「問題ねぇよ。平日におまえの飯食えるの久々だな」

「最近、俺帰り遅かったからなぁ。でも、病院行かない日はまたこうして作れるぜ……って、何笑ってんだよ、政行さん」

 

ミネラルウォーターをグラスに注いでると、頬杖つきながら俺の方を見てニヤニヤしていた。

 

「いや、楽しみだなって思っただけだ」

「何だよ、俺だって政行さんの作る飯食いたいんだけど」

「五月入ったら作ってやるって。ここ十数年、あんま料理してねぇから、勘取り戻したいしな」

「……何か実験台にされるような気分になった」

 

こんな風に過ごしているとほっとする。

二人でカレーを食いながら、他愛もない話をしているのは気分が和んだ。

 

「そういや、政行さん統括のあのプロジェクトはどうなるんだ?」

「統括はうちの会社のやつに任せる形になるな。俺個人としてはそいつよりは、おまえのとこのチームリーダーの方が統括向きだと思うけど、会社の方が納得しなさそうだからなぁ」

「あー……まぁ、政行さんの会社とうちの会社じゃ規模違うしな……」

 

切ない事情だ。

うちの会社は小さくても居心地いいから、会社に不満はないけど、規模の点で言ってしまうと正直弱い。

 

「ただ、プロジェクトは軌道に乗ってるし、統括が変わったくらいで今更ぽしゃったりもしねぇだろ。俺がプロジェクトの会合に参加するのははあと一回ってとこだな」

「……何かそう聞くと寂しいな」

 

そりゃ、プロジェクトだって最初の頃はともかく、最近は会合の頻度低かったけど、プロジェクトで政行さんに再会出来たのを思うと、少し残念な気がした。

 

「もう、家で会えるんだしいいだろ。……ま、俺としてもちょっと残念だけどな。プロジェクトにかこつけて、一回会社でヤッてみたかったから」

「何だそれ。バカじゃねぇの」

 

冗談なんだか、本気なんだか。

席を立った政行さんが俺の方に来て、唇にキスする。

カレー味のキスは興奮こそしなかったけど、幸せな気分にはなれた。

 

[堀Side]

 

実琴が怪我して以降、ほとんど実琴の家の方で過ごすようにしているが、休みの日なら一日話が出来るだろうと、土曜日は朝から自宅の方に戻っていた。

実琴の包帯も取れて、ようやく少し冷静になれたってのもある。

離婚話を少しでも進めるなら今だろう。

義父の方も弥生が実琴に怪我をさせたことで、もうどうにもならないと思ったらしく離婚に賛成だと言ってきた。

実琴の治療費を全額負担するのに加えて慰謝料も弾むから、この件を表沙汰にして訴訟を起こすのだけは勘弁してくれと。

義父の立場を考えるとそうなる気はしていた。

 

――こうなってしまったら、もう娘と夫婦を続けるのは無理だというのは分かる。

――こちらこそ、申し訳ありません。お嬢さんを幸せに出来ずに。

――君は申し分のない娘婿だと思っていたんだがなぁ……。残念でならんよ。

 

実琴本人が訴えることは望んでいないから、訴訟は起こしようもないが、義父の方が離婚に賛成してくれたのは正直助かった。

こうなったら、離婚するのは弥生の意思によると言っていい。あと一歩だ。

政弥も話を聞きたいと言ってきたから、今日は三人でダイニングのテーブルについている。

政弥に話し合いを聞かせるのは、正直気が進まなかったが、俺にも聞く権利はあるだろと言われると拒めなかった。

確かに話が分からない歳でもないし、本人にも言いたいことはあるだろう。

しかし、今日も弥生は離婚を拒む姿勢を変えなかった。

 

「……嫌よ」

「…………これ以上何が望みだ。俺の方にはもう譲歩できる材料はねぇぞ。義父さんだって言ってんだろ、これ以上は無理だって」

「私は! ただ、今まで通りに三人で過ごして行きたいだけよ。お金が欲しいわけじゃない。元通りになりたいだけなのに。私じゃそんなにダメだっていうの?」

 

これだ。埒が明かない。

俺の方は実琴が怪我して以来、離婚の意思は揺るがないという主張も兼ねて、ずっと結婚指輪を外しっぱなしにしている。

会社でもだ。

弥生も義父から話は聞いているはずだし、本人も俺の指に目を留めていたから、意図には気付いているだろう。

これ以上話を進めていくには、どう切り崩したもんか。

つい、溜め息を吐いてしまったところでぽつりと政弥が呟いた。

 

「なるわけねぇだろ。元通りになんか」

「……政弥?」

 

弥生が呆然とした表情で政弥を見て、俺も咄嗟には言葉が出て来なかった。

政弥が弥生を見て、静かに諭すような口調で語り始める。

 

「本当は母さんだって分かってんじゃねぇの。財産になるようなものは全部要らない、母さん側に譲っていい。それでも添い遂げたいとまで親父が言ってるような相手に、嫌がらせして、怪我させて。そこまでしたらどうしたって元の関係に戻るのなんか不可能に決まってるだろ」

「ど……うして、そんなこと言うの……っ!? お母さんは貴方の為も考えて……っ」

 

弥生が泣きそうな目で政弥の肩を揺さぶって訴えるが、政弥の方は淡々としたものだった。

 

「本当に俺の為だっていうなら、俺を言い訳にするのやめろよ。……俺はいつまでも親父と母さんが言い争ってるとこ見る方がしんどい。きっぱり終わらせてくれた方がずっと気が楽だ」

「……政弥」

「貴方、それでいいの!? お父さん、貴方とお母さんを捨てようとしてるのよ!?」

「本気で捨てる気なら、駆け落ちして行方くらますとかしてたと思う。慰謝料だの養育費だのって話も出ねぇだろ。……それやらずに話し合いで決着つけようってんだし、さっき親父も言ったけど、とっくに親父の方は最大限に譲歩してるじゃん」

 

驚いた。

どうやら、政弥の中でもう方向は決まっていたらしい。

意見が孤立する形になった弥生が、絶望したような表情を見せた。

多分、弥生は政弥が離婚に賛成するとは考えてもなかったんだろう。

俺としても、政弥が弥生に対して突き放すような発言をしたのは、少し意外なくらいだった。

 

「……貴方までそんなこと言うの……?」

「…………どんな理由があっても、人を傷つけるようなことはしちゃいけないって、許されないって俺が小さい時に言ったの母さんだろ。親父と御子柴さんのしたことは良くないけど、母さんがやったのは完全に犯罪じゃん」

「う……あ、ああ……っ」

 

弥生が泣き崩れて、テーブルに突っ伏した。

……もう、しばらくは会話にならねぇな。

かといって、俺に慰めることも出来やしない。

政弥に軽く目配せだけすると、一旦席を立って自室に戻った。

 

***

 

実琴の所に戻るときに、またもう少し部屋のものを持っていくかと思いながら、一服していたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえる。

 

「親父、入って良いか?」

「ああ」

 

吸っていた煙草の火を灰皿に押しつけて消すと同時に政弥が部屋に入ってきた。

 

「母さんは」

「泣き疲れて寝た」

「そうか。おまえ、さっきのアレはちょっと言い方キツいぞ」

「分かってる。でもあのくらい言わないと分かんねぇだろ、母さん」

「……悪い。言わせちまったのは俺のせいだな」

 

政弥だって、母親を糾弾するようなことは口にしたくなかったのに違いない。

俺の隣に座り込んだ政弥の肩に腕を回した。

もしかしたら拒まれるかと思ったが拒まれず、そのまま政弥が俺の肩に頭を預けてきた事に内心ほっとする。

 

「親父。……俺、この前御子柴さんに会った」

「会った?」

 

初耳だ。

実琴もそんなことは言ってなかった。

言いそびれていただけか、それとも敢えて言わなかったのか。

 

「いつだ」

「三日くらい前だったかな。話してみたくて、会社の近くに行ってみたら会えた」

「話?」

「……何で母さん訴えるの止めたのかって気になったから。親父は御子柴さんが止めなかったら、本気で訴える気だったんだろ」

「…………聞いてたのか、おまえ」

 

実琴が怪我をしたあの日、実琴と言い合った後に直ぐ政弥が来ていたから、もしかしたら少し耳にしたかもぐらいは思っていたが、この様子だったら一通り聞いていたのかも知れない。

俺はあの時に犯罪に手を染めるような女とはやっていけないって口にした。

ならば、政弥が犯罪だと弥生に言ったのは、その辺も影響したのだろうか。

怒りに任せて口走ってしまったが、流石にこいつに聞かせたい言葉じゃなかったな。

後悔が胸の奥に小さな痛みをもたらした。

 

「うん。あ、責めてるわけじゃない。俺が親父の立場だったとしても、多分同じ事言った。チャンスって言い方は語弊があるけど、離婚話進めるにはまたとない切り札だと思うし、なのに、怪我させられた本人が何で拒んだのか分からなくて」

「政弥」

「何か計算しての拒否だったとしたら、本音が聞けないかと思って、昔のアルバムに載ってた親父と同じ格好して揺さぶりかけてみようと思ったんだけど」

 

やっぱり、こいつの思考回路は俺に似てる。

演劇やら、映画やら、様々な作品群に触れたのが影響しているのか、単に元々の気質なのか、行動の裏には何か別の意図が隠されているんじゃねぇかと、つい考えちまうところがあるんだよな。

 

「意味なかっただろ」

「うん。分かりやすい人だな」

 

けど、実琴相手にそれは通用しない。

あいつの思考は分かりやすいし、別の意図が含まれている場合も何か隠しているんだろうっていうのが容易く伝わる。

誤魔化しというのが、元々得意なやつじゃないから、揺さぶろうとしても意味は無い。

そんなことをするまでもなく分かってしまうからだ。

 

「親父が本当に好きなんだなって伝わって来たし、親父が大事だから俺や母さんのこと考えて、訴えることはしたくねぇんだなって。でも、同時に別れるつもりはないってハッキリ言ってた。……ああいう人じゃ親父が好きになるのも仕方ねぇよなぁ」

「仕方ねぇだろ?」

 

俺にはない部分だ。

そんなあいつが可愛くて堪らないし、時に心配にもなるけど、それだけに放っておけないし、傍にいたいと思う。

ああ、そうか。

そんなところに気付いたから、離婚に反対しないのか、こいつ。

 

「ずっと……別れていた間も含めて、御子柴さんが好きだった?」

「多分な。……そうと気付くまでには時間かかっちまったし、挙げ句おまえたちまで振り回した形になっちまったのは申し訳ねぇけど、この先はあいつと一緒に人生を過ごして行きたい」

「そっか」

 

だから、俺も今更取り繕ったりはせず、そのまま正直な心境を告げる。

応じる政弥もあっさりとしたものだった。

 

「……親父」

「ん?」

「俺、母さんについてく。親父は御子柴さんいるし、今の母さん一人にするにも危なっかしいし」

 

恐らくそうするだろうと考えてはいたが、直接聞くとやはり少し切ない。

多少、生意気な口も叩く時があるとはいえ、概ね関係は良好だった親子だ。

それを壊したのも俺だから、勝手な感傷だとは分かっているんだが。

 

「……そうか。政弥」

「何」

「母さんと別れても、おまえが俺の息子だってことに違いはないからな。困った事があったら、いつでも呼べ。駆けつけるから」

 

後数年もすれば成人だし、俺がこいつにしてやれることは限られるけど、たった一人の息子だ。

無闇矢鱈に甘やかしはしないけど、助けを求めて来たのなら尽力は惜しまない。

 

「……親父」

「家庭を壊すような真似をしておいて言うのも何だが、おまえが生まれた時の幸せは忘れてない。おまえがいてくれて本当に良かったと思う。離れたって忘れたりなんかしねぇからな」

「……そんなの、わかってる」

 

政弥が姿勢を変えて、正面から俺の首に腕を回すようにして抱き付いてきた。

こんな大きくなってから抱き付いて来たのは初めてだなと思いつつ、政弥の背を撫でる。

微かに鼻をすする音が聞こえて、頭の方も撫でてやった。

図体デカくなっても、子どもはいつまでも子どもなんだよなぁ。

どうしても、幼い頃の思い出を重ねてしまう。

俺の指を全部の指で掴んでいたあの小さかった手は、もう俺と変わらない大きさだし、親の後ろをちょこちょこついてくるのではなく、自分で色々と考えて行動出来るような歳になった。

あと数年したら、一緒に酒も飲めるようになる。

それでも、守ってやりたいって思いはあるんだよなぁ。

結婚生活で良かったと思えるのは、こいつが生まれてくれたことに尽きる。

その点は弥生に感謝だった。

 

***

 

「お帰り、政行さん」

「ただいま、実琴」

 

結局、日曜日はそのまま自宅の方に泊まって、月曜の夜に実琴の家に戻った。

玄関まで出て来た実琴にそのままキスする。

一日間を置くとどうにも物足りなくて、舌こそ入れなかったが、軽く触れ合わせるキスを繰り返す。

やっぱり、こいつとのキスは気持ち良いな。

こう、柔らかく吸い付いてくる感触が堪んねぇ。

十数年、実琴とのキス無しに過ごして来られたのが、今じゃ信じられないくらいだ。

 

「……何かいいことでもあったのか?」

 

唇を離すとほんのり目元を赤くした実琴が尋ねて来た。

こんだけキスを繰り返しているのに、まだこんな反応してくれんのも可愛いよなぁ。

しかも、俺だけしかこんな実琴を知らないというのも最高だ。

 

「まぁな。……ああ、そういえば、おまえこの前政弥に会ったって?」

「ん? ああ、そう。会社帰りに会った。浪漫学園の制服着てるとホント昔の政行さんとそっくりだな、あの子。……何か言ってたのか?」

「大したことじゃねぇよ、俺がおまえを好きになるのも仕方ねぇよなって話だ」

「え」

 

政弥がああいう姿勢でいるなら、多分遠くないうちに弥生も折れるだろう。

一人息子にしんどい思いを長引かせたくないのは、あいつも同じはずだ。

何となく先の見通しがついたのと、政弥との関係が不穏にならずに済みそうなのとの安心感からか、何処か気分が楽になっていた。

 

***

 

――そして、三日後。

予想していた通り、弥生がついに折れた。

離婚を承諾するというメッセージが入り、今週の土曜日に二人で公正証書を認め、離婚届を提出することになった。

夕食の後片付けをしていた実琴に、直ぐ報告する。

 

「実琴」

「ん?」

「離婚決まった。土曜日に正式に別れてくる」

「あ……」

 

一瞬明るくなった顔が、続けざまに戸惑いの表情を見せる。

素直に喜んでいいのかどうか、分かんねぇって感じだ。

ホント、感情が分かりやすいやつだよなぁ。

だからこそ、可愛いんだが。

安心させてやるように、実琴を抱き締めて背中を軽く叩く。

 

「嬉しければ、嬉しいっつっていいんだぜ。俺は嬉しい」

 

ようやく区切りをつけられる。

この十数年の結婚生活に対して、多少の感傷がなくもないが、それより気兼ねなく実琴の傍に居られるようになることについての喜びが勝った。

 

「……政行さん」

「ん?」

「ごめん。やっぱり、俺も凄く嬉しい」

 

それでも、まだ気が咎めるのか謝罪の言葉も含めた実琴が、俺の身体に腕を巻き付けて抱き締めてきた。

俺が既婚者ってことで、実琴に後ろめたい思いをさせてしまっていたのもあと少しで終わる。

俺たちの春がすぐそこまで来ていた。

 

 

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