捨て子を拾った! さぁこれからどうしよう?という子育て(未満)ネタ。
初出:2004/08/28~2004/09/04(元は四話に分けての連載)
文字数:6240文字
目の前にある物体を眺めてから、かれこれ数十分は経っただろうか。
眺めているだけではどうしようもないと理解しつつも、どうしていいのか、正直なところ途方にくれていた。
「放っておくわけにも……いかないんだが……」
見つけてしまった以上、見逃すことはできない。
こんな寒い冬の最中だ。
このまま放っておいたら、間違いなく死んでしまうだろう。
「仕方ない……よな」
結局は、その目の前の物体……籠を拾い上げた。
予想以上にずっしりとした感覚に、一瞬バランスを崩しそうになったがかろうじて堪えた。
幸いにも籠の中のそれはぐっすりと眠ったまま。
ほっと息をつくものの、目覚めたらどうしたものかと困惑した。
……籠の中にいるのは人間の赤子なのだから。
***
「やぁ、玄冬。お帰り。狩りは上手くいっ……何だい、それは」
家に着くや、否や。
黒鷹が俺と俺の持っている籠の中の赤子を交互に見て、目を見開いた。
そりゃあ驚くだろう。
獲物を持っているはずの手に、知らない赤子の入った籠を抱きかかえてるなんて、俺だって家を出た時には予想もしていなかったのだから。
黒鷹はしばらく黙っていると、ポンと俺の肩の上に手を置いた。
なぜか溜息と共に。
「玄冬……私はね。これでも理解ある父親を目指しているつもりだ」
「……は?」
「だから、何の理由も聞かずに怒ったりなんてしないから。正直に言い給え。お相手はどちらのお嬢さ……」
「違う!」
心当たりさえない誤解をされそうになって、慌てて大声で否定する。
「何だ違うのかね。てっきり孫の顔を見せてくれたのかと」
「当たり前だ。これはいつもの狩場に行ったら……」
「……ふ……っひゃああぁぁぁ!!」
理由を説明しようとした途端、籠の中の赤子が泣き声を上げた。
どうやら、起こしてしまったらしい。
「君が大声を上げたりなんかするから」
「……誰のせいだ」
どうしたら、泣き止むんだろうか。
声はますます大きくなる一方だ。
そっと籠を揺らして見ても、変わらない。
どうしたものかと思っていると黒鷹が苦笑いしているのが見えた。
……他人事だと思って、こいつは!
「そんなんじゃダメだよ、玄冬。……どれ、ちょっと私に貸しなさい」
「え……あ……」
黒鷹が籠の中から赤子を抱き上げて、自分の腕の中で優しく揺らす。
泣き声は徐々に小さくなって、やがて止んだ。
小さな深い青の目が黒鷹をじっと見ている。
「よしよし……大丈夫だよ。良い子だね」
「あー……」
返事のような、そうでないような。
言葉にならない声が黒鷹の呼びかけに応じるように返された。
黒鷹の方も優しく腕に抱いている赤子に笑いかけている。
すごく意外なものを見たような気がするのは、何故だろうか。
「ん? どうしたね?」
「いや……なんか変に手馴れてるなと思っただけだ。予想外というか……」
「誰が、君をそこまで大きくしたと思っているんだい」
それを言われると、確かにその通りなのだが。素直に頷けないことはさておき。
「で? この子はどこに居たって?」
「いつもの狩場でよく目印にしている大木の根元だ」
「ああ、なるほどね。あそこなら雪もかからないだろうからね」
「……どうしたらいい」
あの場に放っておけなかったから、連れてきてはみたものの。
正直、その後のことについては考えてはいなかった。
「君が連れてきたんだろうに」
「放ってなんておけないだろう」
「まぁ、それはそうだね。……さて、どうしようか?」
当の赤子は、大人二人の思惑などそ知らぬふりで再び眠りに落ちかけていた。
***
とりあえずは、しばらく面倒を見ることにしようということで話がついた。
黒鷹が昔、俺に使っていたという幾つかの品々を出してきた時にはさすがに驚いたが、助かったと言えば助かった。
俺一人では本当にどう扱っていいのかさえ、わからなかっただろうから。
さすがに育て親なだけはあったなと密かに見直したが、言葉に出すのは癪なので止めた。
今は黒鷹に抱き方を教えてもらい、赤子は俺が抱いてあやしている。
黒鷹はといえば、ミルクを作っている最中で。
……作れて当たり前なんだろうが、違和感が拭えないのは何故だろうか。
と、その時。玄関の戸が軽くノックされた音が聞こえた。
が、今は手が塞がっている。
「……入れ。鍵なら開いている」
それだけ呼びかけると、戸を開けて入ってきたのは花白だった。
「玄冬、久し振り……って。……何、ソレ」
花白があっけに取られた顔で俺と赤子を見比べる。
……まぁ、予想外だろうな。あらゆる意味で。
「ふふふふふ。聞いて驚け、ちびっこ! その子は私と玄冬の愛の結……」
「で? ホントにどうしたの、それ?」
丁度台所から出てきた黒鷹が、ミルクを片手に宣言するも、花白は僅かな反応さえしない。
「はなから無視を決め込むとは良い度胸じゃないか、ちびっこ」
「バカトリの戯言に付き合ってるほど、暇じゃないもの、僕。あとちびっこって言うなって、何度言ったらわかるんだよ!」
「静かにしろ、お前ら。……子どもが泣く」
何かある前にとそう言ったら。
黒鷹と花白が揃って顔を見合わせ、何故か溜息をついた。
「何て言うかさ……玄冬……ハマリすぎだよ……」
「……ああ、見事に『お母さん』のようだというか。おかしいねぇ、父子家庭で育ってるのに、こういうのも生まれ持った性質というものかねぇ」
「……あ?」
どういう意味かと考えてたら、黒鷹が苦笑して俺の方に腕を差し出した。
「いや……君がわからないならいいよ。どれ、ミルクをあげるから、私に貸してごらん」
「あ? ああ……」
黒鷹に赤子を預けると、一息ついた。
慣れないことで緊張してたらしい。
黒鷹はといえば、赤子を抱いてミルクをやっている。
腕にタオルを巻き付けておいて、時々そっと額に浮かぶ汗を吸い取ってやってるのに気がついた。
「へぇ……意外……」
花白が感心したように呟く。
何に、とは聞かずともわかる。俺も同じことを思ってたから。
「だから、私はこれでも『親』なんだから。……まぁね、玄冬を育て始めた時は確かにわからないことだらけで、大変だったけどね。そうだなぁ、例えばミルクの温度を調節しそこねて、舌を火傷させてしまったとか、ちょっと席を外そうとテーブルの上に君を寝かせておいたら、動いてしまって落ちていたとか……そうそう、絵の具や絵筆をその辺に置きっぱなしにしていたら、君がそれを口に入れてしまって慌てたりとかっていうこともあったなぁ。いやぁ、懐かしいねぇ」
黒鷹がにこやかに笑って言うが……それは笑い事か?
しかも、それらはどう考えても「わからないこと」というのとは、また別問題じゃないのか?
「玄冬……。僕、わかってたつもりだけど……苦労したね、君」
「……記憶はないがな」
今ほど、自分が頑丈に出来ていることに感謝したことはない。
きっと、こんな体質でなければ、今ごろ傷だらけだったのではないだろうか。
我ながら、よく無事に育ったものだと本気で思った。
だけど。腕に抱いてる赤子を見る黒鷹の目は凄く優しくて。
……ああいう風に育てられたのかと思うと、少し恥ずかしいようなくすぐったいような……どこか暖かいような、そんな気分だ。
「うん、食欲はあるみたいだね。いいことだ」
気がつけば、哺乳瓶の中は空に近くなっている。
「ふうん……ちっちゃいのに、こんなに飲めるんだね。なんか不思議。赤ん坊って落としたら、べちゃって潰れちゃいそうに、もろそうに見えるのに」
「花白……その表現はちょっと」
なんとなく、言いたいことはわかるんだが。
「もう少し、言葉を選び給え。ちびっこ」
「いいじゃん、どうせ何言ってるかなんて、そんなに小さいならわからないよ」
「……そんなこともないよ」
黒鷹が哺乳瓶をテーブルの上において、赤子の背中をさすってやりながら、穏やかな顔で笑った。
「きっとわかる。少なくとも感情は読み取れると思うよ。大事にしてるとちゃんとそれに応じて、良い子に育ってくれるのだから。玄冬はあまりぐずついたり人見知りをしなかったし、思えばずいぶん楽をさせては貰ったかな。……おや? 玄冬? どうしたんだい? 真っ赤だよ、君」
「……何でもない」
俺に赤子の時の記憶はないけれど。
……何やら無性に恥ずかしかった。
***
花白が帰って、夕食の後。
いつものようにお茶を淹れて、台所から戻って見ると、黒鷹が寝てしまった赤子を抱きかかえながら、優しい顔を赤子に向けていた。
俺を育ててくれたのは確かに黒鷹だし、俺には優しかったのは知っている。
だけど。
本当は黒鷹が優しく接する人間というのは限られている。
花白相手でさえ、俺のいないところでは冷たいのだ。
立場もあるからとも思うが。
偶然に知ったことではあるけれど、もしかしたら、あれが黒鷹の地なのかも知れない。
だから、他人である赤子に優しい顔を向けているのが意外だった。
「……お茶、入ったぞ」
「ん? ああ、有り難う」
片腕に赤子を抱いたままで、お茶を手にして飲む。
寝ているんだから、ソファに置くなりなんなりすればいいだろうに。
「その子を置いたらどうだ? 寝てるんだから、泣きはしないだろう」
「うん? まぁ、そうなんだけどね。何か手放し難くってね」
「……そういう、ものなのか」
言った直後に、自分でも憮然とした響きになってる言葉に焦った。
これじゃ、まるで嫉妬でもしているかのように聞こえる。
黒鷹は、それに気付いたのか、気付いてないのか。
少しの間、黙っていたかと思うと、穏やかな顔で俺に笑いかけた。
「なんかね、懐かしいなぁと思ってね」
「懐かしい?」
「うん。目の色が君と同じ色をしてるせいだろうかね。何か色々と思い出すんだよ。昔のことをね。……大きくなったよね、君も」
お茶のカップを置いたと思ったら、テーブル越しに手を伸ばしてきて……頭を撫でられた。
まるで小さいときにされたような仕草に、顔が赤くなるのを自覚する。
「よせ。……子どもみたいに扱うな」
「子どもじゃないか。何時になったって、君は私が育てた子どもだよ? 親にとってはね、子どもは永遠に子どもなんだよ。いくら大きくなってもね」
「だとしても、恥ずかしいからやめろ」
「他に誰もいないじゃないか」
黒鷹は頭を撫でる手を止めない。
でも俺も自分でその手を払いのける気にはならず、結局は、黒鷹のなすがままにさせていた。
「本当にねぇ。まさか君に背を追い越されてしまうとは思わなかったんだけどなぁ」
「偏食をしなかった結果だろうな」
「うーん、最初はこんなに小っちゃかったの……に……」
「? ……黒鷹?」
撫でていた手を止めて、何か少し考え込むようにしていたかと思うと、黒鷹は赤子を抱いたまま、すっと椅子から立ちあがった。
「玄冬。身支度をしたら、この子が入っていた籠を持って、私について来なさい」
「……え?」
突然の言葉に、理解しそこねて聞き返したら、ほんの少しだけ寂しそうな笑いが返ってきた。
「『待ち人来たる』……ってところかね。お迎えが来たらしいよ」
黒鷹が抱いてる赤子の髪を、起こさないようにそっと撫でた。
名残を惜しむかのような、そんな感じで。
***
何時からだったのか、外は雪が降り始めていて。
その中を黒鷹と俺はひたすら目的地に向かって歩いていた。言葉も無く。
俺が赤子を拾ってきた大木の傍で一人の女が、わき目もふらずに必死で辺りの雪を掻き混ぜていた。
髪にうっすらと雪が積もっているところを見ると、もう長い時間そうしていたのかも知れない。
指先はすっかり赤くなっている。
俺と同じくらいか……もっと若いその女の目は赤子と同じ青い瞳。
黒鷹の方をちらりと見ると、微かに頷いて、黒鷹が赤子を抱いたままで女の傍に行って話しかけた。
「探し物はこちらかな? お嬢さん」
「え!? ……あ……! ああ!」
女の目が驚愕の色を浮かべて、腕を黒鷹の方に差し出す。
黒鷹は黙って、何時の間にか起きていた赤子をそっと彼女に渡した。
……ああ、こうして見ると女と赤子はどことなく似ている。
母親、なんだな。
「あー……」
赤子が漏らした声に、女の目からたちまち涙が溢れてくる。
「……っりがと…………有り難……うございま……」
「……何があったのかは知らないし、聞くつもりもないけどね」
黒鷹は穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「子どもは親と一緒にいるのが一番だよ。例え何があろうと。それ以上の幸せはない……わかるだろう?」
「はい……はい……っ……すみませ…………」
「謝るのは私達にじゃない。もう、同じことは繰り返さないね?」
「ええ。本当に……有り難うございます……」
「……籠はどうするね? 持ってきてあるが……」
黒鷹がちらりとこちらに顔を向ける。
「どうぞ、捨て置いてください。抱いて帰りますから」
「そうか。じゃあ、元気で。貴女もその子も。……行くよ、玄冬」
「あ……ああ」
家の方向に向かって歩き出した黒鷹の後を追う。
ちらりと後ろを振り返ると女が俺たちの方向に頭をずっと下げていた。
手に持ったままの空の籠が少しだけ寂しいと思った。
***
「よくわかったな」
「……うん?」
しばらく、黙って二人で歩いていたが、ふと疑問に思っていたことを黒鷹に訊ねた。
「あの女が子どもを探していたことだ」
「ああ。きっと来るんじゃないかと思ってはいたんだよ。だから力を張り巡らせていたんだ。この近辺に。強い感情の波があったら、すぐにわかるようにね」
「……どうして、来ると?」
「籠の中を見ただろう。赤子が凍えないようにしっかりと包まれていて、しばらくは大丈夫なように、ミルクやおむつまで入っていたんだ。大事に思われてるのはわかったからね。後悔して、迎えに来るんじゃないかなと思ったんだよ。……あの人はね、きっと、赤子に幸せになって欲しかったんだろう。でも、自分ではその自信がなかったから、捨てた。そんなとこだ。それでも、雪が降って不安になったんだろうさ。もしも命を落とすようなことになったらと」
「……そんなに思ってるのに捨てたのか」
「……子どもの幸せを願わない親はいない」
真面目な響きの声に、心臓が一瞬高鳴った。
「本当はね、一緒にいることほど、親子お互いにとって代え難いものはないのだけどね。
時々、子どもの幸せを思うあまりにどこかで道を間違えてしまう人もいるんだろう。……難しいね。願いは一緒だというのに」
「……黒鷹」
「今度……墓参りに行こうか」
「墓参り……?」
「君のお母さんの。……実は私は毎年行っているんだけどね。きっとあの人も、大きくなった君を見たいだろうから」
そう告げた声は、何故かどこかが寂しそうに聞こえて。
黒鷹の腕を掴んで、背後から肩に頭を預けた。
「玄冬?」
「お前が俺の親だからな」
「……玄冬」
「俺の親は……お前だから」
こんな言い方でわかるだろうかと思ったが、黒鷹は肩に乗せたままの頭を撫でてくれて、優しい声で呟いた。
「……わかっているよ。それ以上は言わなくていい。良い子を持ったものだ、私も」
「……黒鷹」
本当に……敵わない。
きっと最後の瞬間までそう思っている。
この先、どんな結末が迎える事になるのだとしても、お前に育てられて良かったと。
お前が俺の鳥で……親だというのに感謝したい。
命を与えてくれた親は別にいるけど、それでも。
俺が親だと思えるのはお前だから。お前しかいないから。
だから、その時が訪れるまでは。
一緒にいよう。他愛ない日常に感謝をこめて。
純粋に親子話がやりたかった割には、回を追う事にカプ臭漂った感が。
裏ヴァージョンまで作っちゃいましたしね……。
かなり本人的にも楽しく書けたものでしたし、好評で嬉しかった話です。
(拾ってきた直後の「お相手はどちらのお嬢さん」のあたりのやりとりが特に書いてて楽しかった!)
で。このテーマがカプ要素を含んで、黒玄夫婦が子育てする、というのがパラレルシリーズの『Happy Life』。
玄冬が女体化(というか女性に転生)した上で子育てするのがツカラクシリーズ。
……どんだけ親子ネタ好きなのか、私w