作品
嵐の前触れに改める誓い
「これは……噂通り、見事な屏風にございますな」
当家の伝令である黒が部屋の中央に置いた屏風を眺め、感嘆の吐息をもらす。
吉継様から、高名な絵師が我が国に立ち寄られているので、この機会に私の屋敷の屏風にも描かせてはみないかと、打診があったのは一月程前。
せっかくのお申し出を断る理由もなく、絵師にしばらく私の屋敷に逗留して貰い、無事完成したのは一昨日の話だ。
画には決して明るくはない私から見ても、墨一色で描かれた桜と月の画は美しく、心を和ませてくれる素晴らしい出来映えだった。
やはり、真っ先に吉継様にお見せしたかったが、数日はどうしても手が空かないとのこと。
先に領内の者達に鑑賞させると良いと仰ったため、今日は屋敷の庭先を開放し、領内の者達に自由に出入りさせていた。
黒が吉継様の伝言を携えて訪れたのは、夕暮れに差し掛かった頃。
黒も屏風はまだ見ていなかったし、民も皆引き上げた後だったので、見ていくようにと誘ったのだった。
「でしょう? まるでここだけ春になったようで、何だか嬉しい。
描かせるよう勧めて下さった吉継様に感謝しなくては」
「先代のお屋敷にも見事な桜の木が植えてございましたな。
……もしや、桜を描かせたのはそれを思い出しての事ですか」
「少し、ね。
此処の庭先に植えた桜があのようになるまでは、まだ数年かかるでしょうし、それまでの代わりと言うつもりでもないけれど」
「紫陽花様」
まだ両親達が健在で、私が家督を継いでいなかった頃に思いを馳せる。
戦乱の世とはいえ、それなりに穏やかな日々を過ごし、ずっとそのままで居られるのだと信じていた。
当時の屋敷が焼き討ちされ、両親達を亡くし、黒が左腕と左目を失うあの時までは。
今もなお、消し去ることが出来ない哀しみが身を蝕む。
屋敷を包んだ紅の炎は、幼い頃から大好きだった桜の木も一緒に燃やしてしまった。
「あのう……。
遅くなりましたが、まだ、屏風を拝見してもよろしいですか?」
気遣うように問いかける声でふと我に返る。
庭先に見知らぬ一人の女性が、おそるおそるといった風体で佇んでいた。
いつから其処にいたのだろうか。
ぼうっとするあまりに気付いていなかった。
「あ……ええ、どうぞ。
空が薄暗いから大分見難くなってきているけど、それで良ければ見てお行きなさいな」
屏風の正面にいた身を引くと、傍らの黒もそれに従った。
女性は一礼し、屏風を正面から見られる位置に立つ。
しばし屏風を眺め、やがてほうと溜息を吐いた。
「何と見事なのでしょう。
水墨画を目にするのは初めてですが、もう言葉が出ないほど素晴らしゅうございます。
このような画が世に生まれたのも、紫陽花様のご人徳があってこそでしょうね」
「いいえ。画を描かせるよう勧めて下さったのは大谷の殿です。
人徳故と言うならば、それは私ではなく殿のこと。
私はただ、殿のお人柄に引かれた者の一人に過ぎません」
偽りのない本心だった。
あの方の懐の深さや知識の豊かさ、病に伏してもなお、他者に対する細やかなお心遣いを忘れぬ点等、吉継様には到底敵わぬ面ばかりだという自覚があるだけに、こんな風に言われてしまうのはどうにも面映ゆい。
「まぁ、ご謙遜を。
国有数の弓の腕前もさることながら、吉継様に学んだだけあって、知略にも長けたお方と伺っておりますわ。
民にも慕われておいでの若き女領主様。
だからこそ……」
夕陽を背にした所為か、女性の目と袖口が一瞬光って見えた。
「我が主の為にも、これ以上貴女を放置するわけには参りませんっ!
そのお命、今此処で頂戴します!!」
「っ! くのいちか!?」
穏やかだった場が緊迫したものに一変する。
瞬時に纏う空気を変えた女が、唯の民であるはずがない。
まして、刀を手にした者ならなおさらだ。
一歩引いて懐の護り刀を取り出そうとしたが、黒が動く方が速かった。
「がっ!!」
女の悲鳴と床に響いた大きな鈍い音と、どちらが先だったか。
気付いた時には女の身体は畳の上に倒されていて、その上に黒が乗りかかっていた。
両の足で女の胸元と腰を器用に押さえつけ、首にはくないを突きつけている。
「う……きさ、ま…………忍び……だったの、かっ…………」
隻眼、隻腕の黒を相手にすっかり油断していたのだろう。
女は心底悔しそうに黒を睨み付けた。
「伊賀者だな。……依頼主は誰だ。言え」
黒の低く静かに詰問するような声と凍えるような視線を送る目。
彼と長い付き合いになる私でも、足が竦んで動けなくなってしまうような迫力があるのだが、女はそれに屈しなかった。
開きかけた口を閉じ、歯を擦り合わせる音が鈍く耳に届く。
くのいちの意図を悟り、くないの持ち手部分を使って、黒が取り急ぎ女の口を開かせた時には、もう彼女は黄泉への道に自ら足を踏み入れていた。
ややあって、女が事切れたのを確認すると黒は相手の身体から離れる。
「真朱」
囁くような声で黒が口にしたのは彼の養女の名。
平素は私の侍女なのだが、今は側に現れることはなく、代わりに呼びかけに応じる声が上の方から響いてきた。
「こっちの鼠ももう駄目。
随分と即効性のある毒を含んでいたようですね」
どうやら、天井裏にも一人潜んでいたらしい。
目の前の相手に気を取られていて、全く気付かなかった。
……やれやれ、少し前に忍びの活動が活発になってきているとの通達はあったけど、二人がかりで狙われるようになろうとは。
「紫陽花様、お怪我は」
「見ての通り、傷一つないわ。貴方達のおかげでね」
私のその言葉で、ようやく黒が目元を緩め、微かに笑う。
「これが我らの役目ですから。
……が、屋敷の警護を少し強化した方がよろしいですな。
忍びが真朱だけではどうにも心許ないようだ」
現在の黒はあくまでも伝令役だ。
以前の様に家付きの忍びではない。
私と接する機会は多いが、基本的には殿からの命を受ける為に城に詰めている。
確かに今回のように都合良く居合わせるとは限らない、けれど。
「…………養父上。養父上は私だけでは足りぬと。
……真朱が未熟だとおっしゃいますか」
真朱の微かに震えた声からは悔しさが滲み出ている。
養父である黒や、彼女の兄弟子にあたる現忍軍頭領の座にある浅葱兄上が桁外れに優秀なだけで、彼女も充分に優れた忍びであるはずなのだ。
そうでなければ、当主である私の警護につける訳がない。
心許ないという一言は真朱の矜持を傷つけたのだろう。
だが、黒は冷たく言葉を返すだけだった。
「私が言わずとも、お前自身が一番分っていよう?
私がおらねば庭先の鼠はどうしたつもりだ。
侵入した輩は決して逃がすな。
そう私はお前に教えたはずだ」
「………………っ」
「え…………?」
もう一人。
庭先で背に刀を受けて絶命している者がいたことに、
私は初めて気がついた。
言葉ぶりからして、この者を仕留めたのも黒のはずだが、一体いつの間に倒したのか、全く分からなかった。
つくづく腕の立つ男だ。
「紫陽花様」
感心のあまりに放心していたところ、黒が私の目の前で跪いた。
「貴女がご無事だったとはいえ、此度のことは一つ違えば娘の不始末。
そして養父たる私の不始末です。
申し訳ありません。どうかお許しを」
「! そんな! 不始末などと……。
私は何ともなかったのですから、許すも何も――」
「いえ、今回の事は浅葱様に報告をいれ、忍びを新たに一人こちらの屋敷に回して貰うようにいたします。
異存はないな、真朱」
「――はい」
天井の板が外れ、僅かに目元を紅く染めた真朱が音もなく部屋に降り、黒に倣って私に跪く。
「申し訳ありませんでした、紫陽花様」
「真朱……」
「紫陽花様」
黒が顔を上げて、真っ直ぐに私を見る。
何かを堪えるようなその表情には既視感を覚えた。
「恐らく、貴女がご自身で考えていらっしゃる以上に、貴女の存在は他国に知れ渡っています。
今後もこのような刺客が送り込まれるでしょう。
無論、我らも全力で貴女をお守りいたしますが、どうか、努々油断なさいませんよう。
貴女は貴女で守るべき方がおありなのだから」
――ああ、そうだった。
かつて、屋敷が焼き討ちされ、両親達を喪った時の黒もこんな顔をしていたのだ。
大切な人達を救えなかった後悔。
二度と繰り返してたまるものかと。
今度こそ守り抜くのだと。
それはあの日の炎より熱く、胸を焦がした決意だった。
「…………肝に銘じます」
黒だけではなく、私もまたこれ以上大切な人は喪わぬよう。
そう、あの方を。
主君、大谷吉継様を守るために、私はまだこんな所で倒れるわけにはいかない。
志半ばに討たれた先代の分も守ると決めたのだから――。
2009/10/23~24 up
初の戦パラ二次創作。
アバターである紫陽花を、あまり書かないタイプの主人公にしてみようと思ったら、後々まで上手く動かなくてイラッとするはめにw
- 2013/10/23 (水) 23:58
- 本編
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