作品
現れたるは麗しの[表]
くのいちが当屋敷に襲来してから早三日が過ぎた。
一度、失敗したからにはこちらの様子を窺うことはあっても、当面の襲撃はないと黒たちは読み、事実、この三日間は平穏そのものだった。
――今のうちに新しい忍びの手配をする。
三日の内には桑染殿の名前を使い、屋敷に行かせるようにするから、しばし待て。
そんな内容で、兄上からの文が届いたのは、襲撃のあった日の夜。
桑染殿というのは大谷家の剣術指南役で、方々への顔が広く、親族も多い方だ。
今回の様に大谷家内で忍びの者を密かに周囲の警護に使いたい場合等に、名前を使わせて頂いているうちの一人である。
表向きは桑染殿からの紹介という形で小姓や侍女等となり、周りの者に忍びと気付かれないように警護する、といった具合だ。
元大谷家忍軍頭領でもあった黒や、現頭領である兄上の影響で、数人は見知った忍びがいるけども、顔も名前も知らない忍びの方がずっと多い。
今回、屋敷に来る忍びは、恐らく後者だろう。
真朱と上手くやっていってくれれば良いけれど。
そういった事を考えながら弓の手入れをしていると、真朱が障子の向こうから顔を覗かせた。
「失礼いたします、紫陽花様。
大谷家剣術指南の桑染様のご紹介により、新しく当家の侍女として仕えるという者が訪れておりますが、如何なさいますか?」
どうやら、その忍びが来たようだ。
確か、体裁としては桑染殿の遠縁にあたる若き未亡人という事だったはず。
「聞いております。直ぐに此処に通して下さい」
「はい」
真朱が一礼して去ると、手入れしていた弓を一旦置き、別の侍女を呼んで、お茶の用意を申しつけた。
少しして、控えめな二人分の足音が聞え始め、部屋の少し手前で一度止まる。
「紫陽花様。連れて参りました」
「二人とも、お入りなさい」
「はい」
真朱に続けて入ってきたのは、控えめな雰囲気を醸し出す長身の美女。
白い肌に鮮やかに映える紅い唇と、ほんのりと桃色に染まった頬が、何とも言えない色気を醸し出していて、つい、我を忘れて見惚れてしまった。
艶やかな漆黒の髪は、一筋の乱れもないほどに綺麗に結い上げられ、大名家の子女にも中々いないような品格が感じられる。
少し影のあるような面持ちに見えるのは、未亡人という立場を装っているからだろう。
自分の前に座るよう、指し示すと真朱についで、その女性も座った。
そっと三つ指をついて、頭を下げられる。
自然に音を立てないようにしているというよりは、音を立てないように振る舞っている、と取れるような印象だ。
本来、忍びの持つ隙のなさというのとはまた違い、一般の人が動作に気を配って、隙を作らないようにしている、と感じさせられる。
至極丁寧に『奥ゆかしい未亡人の侍女』というのを装っている様に好感を持った。
忍軍はこんなくのいちも抱えているのか。
「お初にお目にかかります、紫陽花様。
桑染の親類縁者たる、白蓮でございます。
こちらが桑染よりの紹介状です。どうかお改め下さいまし」
落ち着いた柔らかい印象を与える声が、耳に心地良く響いた。
差し出された封書を受け取り、中身を確認していく。
実際には忍びの身でも、通常の侍女を雇う時と変わらぬ手順を踏んだ上で、相手を確認する。
事情を知らぬ誰かに見られ、違和感を感じられることなどあってはならないからだ。
封書に問題点はない事を確かめ、読み終わったそれを真朱に手渡した。
「不肖の身ながら、この地を大谷様よりお預りしている紫陽花です。
桑染殿より聞いておりますよ。
何でも先だってご主人とお母上を亡くされたばかりだとか。
若い身空でお辛かったでしょう。大変でしたね」
演技か本気かは分からないが、私の言葉に一瞬だけ瞳に哀しみの色が浮かんだ。
これが演技によるものだとしたら、大した技量だ。
「はい。先日、戦火で夫を、続けて母を病で失いました。
父も早くに亡くなっており、戻る実家もありませんゆえ、職を探しておりましたところ、こちらのお屋敷を紹介して頂きました。
近しい身寄りのない女には過ぎた話と思いましたが、お仕え出来ますこと、とても有り難く思っております」
「桑染殿には、日頃お世話になっておりますし、丁度新しい侍女を、と考えていたところですから、桑染殿のお申し出は好都合だったのです。
こちらこそ縁がありましたこと、有り難く思いますわ」
「まぁ、桑染に聞いていた通り、お優しい方。
誠心誠意、お仕えいたしますゆえ、何卒よろしくお願いいたします」
白蓮が微笑んだその瞬間だった。
脳裏で誰かの表情と重なったのを感じた。
気の所為……?
いや、やはり、初めて会ったというには、何か記憶に引っかかるものがある。
ただ、誰かと言われると分からない。
これほどの雰囲気を纏う美人だ。
過去に会っていたら覚えているはずなのに。
「思い違いならごめんなさいね、白蓮。貴女、以前何処か……で」
「え? 紫陽花……様?」
私と会ったことはありませんでしたか。
そう言いかけて、息を呑んだ。
頭の中に数年前の出来事が瞬時に浮かぶ。
動作が丁寧で、振る舞いが優雅な美しい忍び。
心当たりは一人だけいた。
でも、その相手はくのいちではない。
…………いや、くのいちではないけれど、あの人であるなら、こんな風に化けるの位は容易く出来たはずだ。
実際に化けたところも、私は見ている。
ただ、それとは別の意味で有り得ない。
立場的にあの人であってはならないはずなのだ。
それに、その相手であるなら真朱は別の反応をしてはいないだろうか。
私の言葉に不思議そうな仕草をしていることから考えても、知己に対する反応とも思えない。
真朱とも旧知の間柄であったはずなのだから。
まさか――でも。
困惑しながら、じっと相手の目を見ると、白蓮が再び微笑んだ。
それは先ほどまでの控えめで柔らかかった微笑みではなく、深い所に刃を仕込んだような、どこか鋭い笑みだった。
思わず、忍びとしての名を問おうと思った、その時。
「遅くなってしまって申し訳ございません。お茶を持って参りました」
少々賑やかな足音と共に、先ほど茶を頼んだ侍女が、お茶を運んで来た。
その瞬間、白蓮の鋭い笑みは再び形を潜める。
何事も無かったかのように。
こうも即座に切り替えのきくあたり、やはり――あの人なのか。
「有り難う、ご苦労様。
これから少々込み入った話をするので、しばらくこの部屋には誰も近づかないように。
他の者にもそう伝えてください」
「かしこまりました」
侍女が下がり、足音が聞えなくなったところで真朱を見る。
確認の為に、真朱が一旦部屋の外に出るが、さほどしないうちに戻ってきて、障子を閉めながら頷いた。
それを合図にしたかのように、白蓮の表情が緩む。
その表情はそれまでとは違い、明らかに見覚えのあるものに変わっていた。
……ああ、やっぱり。
もう、目の前の相手の素性に確信を持てる。
真朱が襖も閉め切り、再び座ったところで、私は口を開いた。
「まさか、新たに来る忍びが貴方だとは思いもしませんでした。
――久しぶりですね、白」
「…………え……? ……え……っ……し…………!?」
思わず声を上げかけた真朱の口を、白蓮――いや、白が慌てて手で覆って押さえ込む。
「お前さんが驚いてどうすんだよ。
つか、真っ先に俺の正体に気付かなきゃ駄目だろ、真朱。
自分の変装の術を磨くのもいいが、相手の変装も見破れるようにならねぇと。
まして、声を上げようなんざ、論外だ。
そんなんだから、黒に未熟者扱いされんだよ。
――改めて、ご無沙汰しております。紫陽花様。
お元気そうで何より。お前もな、真朱」
「…………う」
潜めた声はそれまでの柔らかな印象を与える女の声ではなく、明らかに男の声。
大谷家忍軍副頭領。
黒が頭領を務めていた時からずっと忍軍の副頭領の座にあり、今も若い頭領である兄上を補佐しつつも、気難しい忍びの長老勢も抑えこめるという忍軍屈指の実力者。
それが目の前にいる男――白、その人であった。
「流石に鮮やかな身のこなしですね。
忍びだとは聞いていても、最初は本当に奥ゆかしい、作法のよく身についたくのいちが来たものだと思いました。
貴方ならば納得です。堂に入った未亡人ぶりには脱帽ですわ」
「流石にうら若き清純な乙女に扮するには、些か厳しくなって参りましたので。
最近はしっとりとした色香の大人の女性を狙う路線に変更してるんです。
いや、外してないようでよかった、よかった」
白はそう笑いながら、真朱の口を押さえていた手を外し、後ろから彼女の肩を抱くように腕を回した。
真朱は嫌そうな顔はしたものの、白の腕を振り払う様子はない。
ただ、拗ねたようにも取れる口調でぼそりと呟いた。
「…………つくものついている年増の分際で、清純な乙女に扮しようとは、そりゃいい加減厚かましいにも程がありますものね」
「お、父にも相当する相手に対して、随分なクチだなぁ。
真朱や、お父さんはお前をそんな子に育てた覚えはありませんよ」
白の芝居がかった言い方が気に障ったのか、真朱の眉間に皺が寄る。
逆に白の方は随分と楽しげだ。
「私の養父は先代頭領、黒。
白様ではありません。育てられた覚えは――」
「ほー、色事が苦手なお前さんの養父殿に変わって、誰がくのいち必須の色事を仕込んだと思ってるんだ、ええ?
変装や化粧の仕方だって、誰が一から手取り足取り教えたよ。
ほれ、言ってみろ。
だ・れ・が・お・し・え・た??」
からかうような言葉に乗せながら、白が真朱の頬をぺちぺちと軽く叩く。
「うっ…………し、白様、です」
「だよなぁ。ちょっと前にお前さんと姉妹役に化けて、一緒に任務に当たったこともあったよなぁ。
あの時はちゃんとびゅーてぃほーな乙女してただろうが。
厚かましいとは失礼な」
「自分で言いますかね、それ。
些か厳しくなったと言ったのも白様本人なのに。
…………って、びゅーてぃほーって何ですか」
「そういう時は、そんな事ありませんわって言うのが弟子の役目だろ?
気がきかないなぁ。
びゅーてぃほーってのは、南蛮の言葉で美しいって意味なんだそうだ。
何か語呂がいいよな、びゅーてぃほー。
俺にぴったりだと思わねぇ?」
確かに白の美しさは、並外れた域にあるものなのだけど。
「うっわ……恥ずかしい。よく自分で言えますね」
…………内心、真朱の言葉に同意する。
聞いている方は反応に少々困る内容だ。
真朱は良く言いあえるものだ。
師弟関係なだけはある。
「言えるさ。俺は自分自身をしっかり理解しているからな。
何処かの算数も出来ない未熟者とは違って」
「算…………誰の………………話ですか……」
引き攣った表情で、地を這うような声を発した真朱をよそに。
「ねーずみっ♪ ねーずみっ♪
ねーずみはさーんびーき、にーひきじゃなーいぞー♪
ゆーだんーをしーてたーら、食ーわれーるよー♪♪ きゃー♪♪♪」
どうやら、先日のくのいち襲撃の件を揶揄している歌らしい。
が……それにしても。
この妙に間の抜けた節回し。
「この…………!
人の傷口に塩塗り込むような真似して楽しいですかー!!
私だって、あれは近年最大の失態だったと悔やんでいるのに!」
「楽しい!! 弟子苛めは師匠の特権だからな!!!
大体、未熟者が未熟者扱いされるのは当たり前だ!」
きっぱりと断言する白に、もう限界だった。
「ふ……ふふっ……あははははっ!」
駄目だ。
こらえようと思ったのに、つい笑ってしまった。
この二人のやりとりはどうにも可笑しい。
先ほど、白が真朱と姉妹役に化けて任務に当たったことがあると言ったが、まさしく、今の二人は兄妹の如くの対話だ。
「…………ほら、白様が変な事言うから、紫陽花様に笑われちゃったじゃないですか」
「いやいや、お前の間抜けッぷりが可笑しかったからだろ。
まぁ、親とも師とも言える俺の変装を直ぐに見破れなかったような、超未熟者の真朱は置いといてですね」
「ちょっとー!」
「貴女は、何故、俺だとお気づきになりました、紫陽花様?
気づかれたと察した後は、確かに俺だと分かりやすいように表情には出した。
けれど、そこまでは手を抜いたつもりは無かったんですがね」
口調はおどけているが、目が笑っていない。
先ほど、少しだけ見せた鋭さを秘めて、私を見つめている。
「直ぐに確証を持ったわけではなかったのですけど……」
今はもう分かる。
何故、『白蓮』の微笑みが記憶の片隅に引っかかったのか。
「以前、女の声聞師に扮して幸若舞を演じたことがあったでしょう?
吉継様の城で。
舞い終わった時に観衆に向けた微笑みと、桑染殿についてのやりとりを交わした後の微笑みが、よく似ていました」
恐らくは白が女に扮したときに作った微笑みという共通点が、私の古い記憶の引き出しを開けた。
初めて会った相手に思えなかったのは、その所為だ。
「へぇ……よく覚えておいでだ。
あれ、五年位前の話じゃありませんでしたっけ?」
「印象に強く残っていたからでしょうね。
私はかの信長公の幸若舞は拝見していませんし、舞自体、そう幾つも見たわけではないけれど、貴方の舞は素敵でした」
張りのある玲瓏たる美声が静まりかえった空間に良く響き、何とも言えぬ迫力を感じたことを思い出す。
当時、あえて女の声聞師に扮したが故に、舞が始まる前は、数人が所詮は女の舞よ、期待は出来ぬなどいった類の文句をこぼしていたが、
終わった後は一人残らず絶賛の声をあげていた。
もし、男性のままで扮していたとしても、同じように嘆じられていたことだろう。
「そいつは光栄です。
しかし、そういう所から正体が分かる可能性もあるということか……。
ふむ、俺も真朱の事は言えんな。今後気をつけねばなりますまい」
「あまり気になさらないで。
今回のは偶々思い出しただけですもの。
それよりも……本当によろしいのですか?」
「? 何が?」
「副頭領の地位にある貴方が、いくら現頭領の妹に当たるとはいえ、大谷家の一足軽でしかない私の屋敷に詰めるなんて。
もしや、兄が余計な気を回したのでは……」
副頭領といっても、白は頭領である兄よりもずっと古株の実力者だ。
黒が頭領の座にあった頃は、大谷忍軍始まって以来の最強の双璧とも謳われたこの人を動かすには、何か余計なことを言ったのではないかと気にかかったが、白は笑ってそれを否定した。
「いやいや。
俺なんぞ、引退間近の年寄りですから。
もう、各地をあちこち渡り歩くのがしんどい年になってきたんで、一箇所に腰を据えて警護の任にあたる方がいいんですよ。
あれこれ動くのは、若い連中に任せりゃいい。
前から、そう頭領に言ってあったんで、俺が来ただけの話です。
城には頭領や元頭領もいるし。問題ありませんって」
「まぁ、年などとご謙遜を。まだまだお若いのに」
「紫陽花様。そんなこと言うと、この人つけあがります。
白様は養父上より、ずっと年いってるんですから」
「………………え?」
一瞬、真朱の言ったことが理解できなかった。
白が、黒よりも年長?
若くは見える人だと知っているつもりだったが、
四十にはなっていないと勝手に思っていた。
黒よりもずっと、と言うからには四十は確実に超えて……いる?
変装しているとはいえ、今、目の前にいる白は三十にも届かない位にしか見えない。
そういえば、息子も一人いた、とは聞いた覚えがあったような……。
「あれ、紫陽花様知りませんでした?
黒と俺は、先々代頭領に拾われた時期は近いんですけど、俺が拾われたのはもう六つになるかならないか位で、あいつが拾われたのは生まれたての赤子の頃だったんです。
俺、黒のおしめも何度か替えました」
「そうだったんですか。……想像がつきませんね」
勿論、誰にでも赤子の頃や童の頃はある。
が、分かっていても黒や白の幼い時分というのが、上手く想像出来なかった。
「あはは。そんだけ年は離れてただけに、黒に背を抜かされた時は結構衝撃でしたねぇ。
あ、でも。
あいつ、皮が剥けたのは案外遅かったから、その点は溜飲を下げ……」
言い掛けた白の顔を盛大に叩く音がした。
「紫陽花様の前で、下品な話題は一切禁止!!」
「ちょ…………お前、今本気で叩きやがったな!?
痛かったじゃねぇか!」
「変装に差し障りが無い程度でしょう!
白様が悪いんじゃないですか!」
「ど……どうしたの、真朱。何の話??」
そういえば、皮がどうとか聞えたような……? 下品??
真朱は、さらに口を開こうとした白に肘鉄を食らわせながらも、私にはにっこりと笑いかけた。
「いいんです。紫陽花様のお耳を汚すような内容でしたから」
「でも……」
「い・い・ん・で・す! 紫陽花様はお気になさらず!!」
「はぁ…………」
ちらりと白を見ると、真朱に打たれた部分を軽く擦りながら苦笑いを返すだけだった。
そして、真朱はと言えば、これ以上白には話させるまいという空気を作り出している。
これ以上、今の話題には踏み込まない方が賢明かも知れない。
「分かりました。なら、この話はこれで。
白、いえ、白蓮と呼びましょうか。
どうぞ、よろしくお願いしますね」
「はい、改めまして。よろしくお願いいたします、紫陽花様」
「ええ。部屋は真朱と同じにしてあります。
侍女としての仕事や、屋敷内で分からないこと等あれば、真朱に尋ねてくださいな」
「心得ました。じゃ、真朱。早速だが、部屋に案内頼む」
「……はいはい。では、紫陽花様。私達はこれで」
「失礼いたします」
白は再び、『白蓮』としての振る舞いに戻し、真朱と連れだって部屋を去っていった。
あの二人の組み合わせなら、少なくとも、仕事の面で心配することはなさそうだ。
軽く安堵の息を吐いて、手入れを中断していた弓に再び手を伸ばす。
「それにしても……」
皮って何のことなのだろう。さっぱり訳が分からなかった。
2009/11/09 up
白は趣味キャラなので、筆は滑ったのですが、気づけば本筋から脱線しそうになる動き方をするので、纏めるのはちょっと面倒な人だなぁと、当時書いてて思いましたw
- 2013/10/24 (木) 00:57
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