作品
紡ぐは絆の藍衣
「これですね。
先月貴女の領に来たばかりの職人が仕上げたという織物は」
「はい。あまりに見事な出来だったので、殿のお召し物にいかがかと思いまして」
紫陽花がそう言うと、小姓が私の目の前に反物を積んだ台を置いた。
反物の山で一番上に乗っていた一本を選び、手にとって広げてみる。
一見、無地の藍色をしたその布は、艶やかな光沢があり、光の加減で色が様々に変化して見えるという代物だった。
感覚が衰えてしまった自分の指では、残念ながら布の繊細な感触までは伝わらなかったが、見るだけでも上質のものだと理解は出来る。
手にした以外の反物も良い品だろうと見受けられたが、最初に手にしたこれには、殊更に心を奪われた。
「確かに……これは素晴らしい出来映えですね」
「はい。これも以前、職人を招くよう助言して下さった殿のおかげです。
どうぞお納め下さい」
「有り難く頂戴しますよ。
そういえば、丁度今日、仕立て屋がこちらに――」
言いかけたところで、ふと案を思いついた。
しばし、反物の山と紫陽花の顔を見比べてみる。
「紫陽花。もう少し私の方に寄ってくれませんか?」
「あ、はい」
私の言葉に紫陽花は三歩ほどの距離を縮めただけ。
つい苦笑いし、それでは足りないと首を振って否定する。
「そうではありません。
もっと――私が貴方に触れられるくらい近くまで、という意味です。
そう、この反物の直ぐ側までおいでなさい」
「え……はい。失礼いたします」
私の意図を掴めていないのだろう。
紫陽花は怪訝な面持ちをしたまま、私の前に来て座った。
「ちょっと、失礼しますよ」
「え……?」
広げた反物を、ふわりと彼女の肩に乗せる。
うん、やはり紫陽花に良く似合う。
そういえば、昔から青系の色が映える子だった。
これで羽織を作らせれば、さぞ美しいものに仕上がるだろう。
常日頃、己の役目を頑張って果たしてくれている娘だ。
偶にささやかな贈り物をする位は構うまい。
「ああ、良いですね。紫陽花」
「はい?」
「これで貴方に羽織を仕立てて贈ろうと思います。
丁度、今日は城に仕立て屋が来ることになっているので、その者に採寸して貰うと良いでしょう。
出来次第、貴女の屋敷に届けさせます」
「え……ええっ!? で、ですが、この反物は殿に献上する為に……」
これは反物の中で、一番目のつきやすい所に置いてあった。
ということはおそらく、紫陽花にしても私に一番見せたかったものに違いない。
それ故に――私もこれを使った品を彼女にあげたかった。
この布で仕立てた羽織を彼女が纏うところが見たい。
「ええ、確かに反物は受け取りましたよ。
だから、私は私の好きなように使おうと思いまして」
「でも……私がこんな見事な織物を使うわけには……」
「貴女は領主なのですから、身につける物に良い品を選ぶことは贅沢にはあたりませんよ。
それとて仕事のうちです。
大体、偶に領を視察する程度の私が身につけるよりも、日頃、目をかけている領主の貴女本人が、職人自慢の品を身につけていた方が、織った者の士気も高まるというものでしょう」
「では、せめて仕立代は私が」
「紫陽花」
なおも素直に受け取ろうとしない彼女の肩から反物を巻き取り、代わりに手をぽんと置いて言い放った。
「貴女は私の贈り物など受け取る価値もない。
そうおっしゃいますか?」
その一言であからさまに紫陽花の顔が引き攣る。
彼女の真面目で中々融通のきかない面は美点でもあるが、時に自らを追い詰める欠点でもある。
今回はそれを利用させて貰った。
紫陽花が抱く私への忠義を隠れ蓑に、私は自分の要望を押し通す。
褒められた手段ではないのは百も承知だ。
紫陽花はしばらく言い返せる言葉を探していたようだが――ややあって、諦めたらしい。
困ったような顔で溜息を吐いた。
「そのおっしゃりようは狡いです。吉継様……」
「私は狡い男ですよ。よくご存知でしょう?」
短い付き合いではない。
紫陽花が生まれた頃から知っているのだ。
私が容易く紫陽花の反応を想像出来るように、紫陽花は私の言動を想像出来ているはずなのだから。
私が彼女の肩から手をよけると、紫陽花は少し後ろに下がり、改めて私に向かって頭を下げた。
「殿のお心遣い、有り難く承ります。羽織、大切にいたしますね」
ようやく紫陽花の顔に笑みが浮かぶ。
「最初から、そう言えばいいんですよ。まったく、貴女は昔から――」
「お話中失礼いたします。
殿、仕立て屋の宗右衛門が到着いたしました」
昔話に興じようと思った矢先に、丁度仕立て屋が着いた知らせを小姓が持ってきた。
話が中断された形になってしまったのが少し残念だが、楽しみは羽織が出来上がり、彼女が身に纏うところを見せに来てくれる時まで、取っておくとしよう。
「ご苦労様です。
先に紫陽花を仕立て屋のところに連れて行ってあげて下さい。
私や他の者たちの採寸はその後で。
宗右衛門にもその旨伝えて下さい」
「はっ。では、紫陽花様、こちらへ」
「はい。本日はこれにて、御前下がらせて頂きます」
小姓が反物を手に、紫陽花と共に退出し、部屋には私一人となった。
宗右衛門の仕事は丁寧で手早い。
きっと良い羽織が出来るだろう。
彼女がそれを着たところを想像するだけで、頬が緩むのを自覚する。
「…………あのな、こう言うのもなんだが」
呆れたような声が後ろから不意に聞えた。
「一人で笑ってるのって、端から見るとちょっと気味悪いぞ」
私が振り返ると、音一つ立てずに隠し扉から出てきた浅葱が顔をしかめていた。
そのまま、彼は壁に寄りかかり、大きく息を吐く。
「それはすみませんでした。そんなに気味が悪かったですか」
「おう。何考えてたんだよ、この助平。と問いたくなるぐらいには」
「心外な。助平と言われるようなことは考えてませんでしたよ」
今はまだ、と言う言葉はあえて飲み込む。
大谷家忍軍の現頭領である浅葱は紫陽花の異母兄で、彼女同様に昔からの馴染みだ。
今は影から私を警護するのを主としている。
主従には違いないが昔馴染みの気安さで、二人きりだと遠慮のない口を叩いてくれるのは有り難い。
あの子は――紫陽花は決して、二人きりで居る時も主従の間柄を崩そうとはしないから。
「何だ。そうなのか。ちったぁ、進展したかと思ったのに」
「何の話です」
「や、こっちの話。
――質の良い反物が揃ってるな。そんなに腕の良い職人が入ったのか」
紫陽花の羽織を仕立てる為の反物以外はこの場にあるままだ。
それらを眺めながら浅葱が問う。
「ええ、噂を聞いて紫陽花に招いて貰ったんです。
彼女の領は最近活気づいていて、職人にも居心地が良い環境だろうと思いましたから。
上手く量産さえ出来れば、かの地の特産品にすることも可能でしょう。
随分と頑張ってくれていますよ、あの子は」
「だから、言ったろ。俺よりもあいつの方が絶対領主に向いてると」
「そうですね。
昔、私達が共に学んでいた折に、領地を栄えさせるには、どうしたら良いかと意見を出し合っていた時も、浅葱はろくに聞いてはいませんでしたよね」
「…………悪かったな。眠くなるんだよ、あの手の話は。
そんな奴が当主にならなくて正解だろ」
――俺は家督を継がない。
武芸はともかく、領民を纏めていくような力を俺は持っていないからな。
かつて、言ったことがあった。
いずれ領主になるのなら、もう少し領地を治めることについて学んだらどうかと。
その時の浅葱の答えがそれだ。
当時はろくに学びもせずに何を言うのかと思ったが、後に彼は己の才について、的確に把握していただけだと気がついた。
最初から紫陽花を領主に据えて、浅葱は自分の力を存分に発揮出来る立場になることを目指していたのだ。
今を思えば、確かにそれは選択として正解だったと言える。
だけど――。
「変わらないですね、貴方は」
その選択を少しだけ恨めしく思うことがある。
浅葱は確かに変わらない。だが。
「…………貴方は、か。含みのある言い方に聞こえるな。
紫陽花は変わってしまった。そう言いたいのか」
内心考えていたことをずばりと言われて、言葉に詰まる。
紫陽花と浅葱の父親が亡くなり、紫陽花が跡を継いで領主となってから、少し距離を置かれたような気がしてしまっているからだ。
今、浅葱とこうしているように、二人きりの時でも気安さを滲ませてくれることが無くなった。
紫陽花なりに領主として頑張ってくれているのは分かる。
が、頑張りすぎて甘えようとしてくれない。
一領主である立場を考えて、他の者達と差を作ってはならないという考えもあるのだろう。
理解は出来るが、時折、それを寂しく思ってしまう。
もう少し甘えてくれてもいいのに。
幼い頃はもっと懐いてくれていたのだから。
二の句が告げられずにいると、浅葱が小さく笑った。
「変わっていないとは言えないかも知れんが、
多分、吉継が思っているほど変わったわけでもない。
特に本質的なところはな。
あの妙に生真面目なのも今に始まった事じゃないし、
変なところで鈍いのも昔から。……似たもの主従もいいとこだ」
「私もそうだと?」
正直、少し意外だった。
妙に生真面目という部分は心当たりが無くもないが、変なところで鈍い……?
そうだろうか。
それには言葉を返さず、浅葱は私の方に近づくと、ぽんと私の頭を軽く叩いた。
「人は自分にないものを相手に求めるって聞いたことがあるが、そりゃ、似たもの同士で惹かれあっても、気付かない点が出てくるからなんだろうなぁ。
そうは思わないか、紀之介」
「浅葱」
困った奴だと言わんばかりだ。
幼子を相手に宥めるかのような態度だが、不快ではない。
長い付き合いだ。
単にからかっているわけでないのくらいは伝わる。
「…………貴方には私達の気付かない点が読めているのでしょうね」
「どうかな。ま、当人達よりはってとこだろうけど」
教えてやる気はない、と彼の表情が物語っていた。
こちらとしても、問うつもりもない。
自分で気付かねばならないものなのだろうから。
「あいつの兄貴として一言、泣かすようなことだけはしてくれるなと言っておくよ」
言い終わるか、言い終わらないかのうちに浅葱の姿と気配が消えた。
入れ替わるように、幾人かの話し声が微かに聞え始める。
恐らく、紫陽花の羽織の採寸が終わって、私を呼びに来たのだろう。
「泣かすつもりはありませんよ、浅葱」
相手に聞えるか聞えないかくらいの声で、囁くように告げた。
とりあえずは、紫陽花の羽織を仕立てる際に余った布で、私も何かを仕立てて貰うことにしよう。
彼女が私にとって特別であるということが、いつかほんの少しでも伝わるように。
2009/10/31 up
オチはペアルック。
……と一言で済ませると身も蓋もありませんw
それまで書いていた分だけだと吉継の影が薄いので、それもどうなのかと書いてみた話。
お仕え・商業での「腕の良い職人がいるという噂~」や
「我が国でも特産品を作り出しましょう~」というのが元。
あと、この時期に確かアバターに羽織買ったので話に絡めた覚えが。
- 2013/10/24 (木) 00:59
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