作品
懸想と葛藤に揺れる花
「ふむ……美しい色だな。肌触りも滑らかで良い。
確かに見事な出来映えと言えよう」
三成が私の帯を手に取って、質を確かめている。
彼が手にしているのは、先日、紫陽花の羽織を仕立てた残りの布で作らせた帯だ。
三成が来る少し前に仕立て屋に届けられたものだったので、私の傍に置いてあったこれに彼は興味を示したという訳だ。
三成はしばらく帯を畳んだり、光に当てて色の具合を確認したりしていたが、ややあって、上目遣いで私の様子を窺う。
…………やれやれ。
この男がこんな表情をするのは、何か頼み事がある時だ。
「吉継」
「何です?」
「これを私に譲ってはくれまいか。銭なら相場と思われる額の倍は出す」
案の定。
帯は三成の好みに合うものだろうとは思っていたが、こればかりは譲るわけには行かない。
正直、帯に触らせたのだって三成が相手だからだ。
他の者相手ならば、見せる以上の事はしない。
「駄目です」
「即答だな」
「ええ。似たような布を作らせ、それを反物ごと貴方に差し上げるというのは出来ますが、その帯は譲れません。
それは特別ですので」
「フン……特別、か。つい先ほども別の者から聞いた言葉だな」
「…………?」
首を傾げると、三成は手にしていた帯を畳んで、私の膝の上に置き、代わりに私の膝の上にあった采配を手にし、柄の部分で私の肩を軽く叩く。
「ここに訪れる途中、お前の昔馴染みの……紫陽花と言ったか。
彼女と偶然会ったが、実に見事な羽織を纏っていたな。
やはり、相場の倍の銭を出すから、譲って貰えぬかと尋ねたところ、あえなく断られてしまったが。
特別だからとな。あの羽織とこの帯。
実に色合い、風合いが良く似ているが、持ち主の言葉までそっくりときたか」
「……似ているのも当然でしょう。
その紫陽花の羽織は、恐らくこの帯に使っている布地と同じものなのですから」
どうせ、事情を薄々は察しているだろう相手に、誤魔化しても無駄というもの。
事実、羽織と帯の布が同じ物であることを告げても、三成は眉一つ動かさなかった。
「そうですか。
紫陽花はちゃんと羽織を身につけてくれているのですね。何よりです。
まだ、私は着ているところを見ていないのですが、きっと良く似合っているのでしょう」
「なるほど。互いに特別な品となれば、一緒に羽織と帯を仕立て屋に作らせたのか。
で、別々に持つが心は一つと。
フン、二人揃いの品を誂えるとは、お前も中々粋な事をやるな」
「ああ、紫陽花はまだ帯の事は知りませんよ」
「………………は?」
しばし、妙な間があったような気がするが、構わず話し続ける。
「これは紫陽花の羽織の残り布を使って、こっそり仕立てて貰ったものですから。
帯は私の元に届けられたばかりで、紫陽花はまだこれを見ていないので」
「…………娘には揃いの品を誂えた事は言ってないのか」
心なしか三成の声が低くなり、眉間に皺が寄った。
失言、だっただろうか。
何やら不穏な空気が漂い、気まずさに少し目をそらす。
「ええ、まぁ」
「……何故かと、問うても?」
「それは、その……少々気恥ずかしいので。
さりげなく身につけて、そのうちにひっそりと気付いて貰えれば、と――」
「吉継」
「はい?」
「聞いているこちらの方が余程恥ずかしいわ!」
「痛っ!」
間髪入れず、三成が手にした采配で私の頭を小突く。
運良くというか、悪くというか。
まだ、感覚の残っている部位に当たったらしく、痛みがあった。
「……酷いですね。いきなり何をするんです」
「酷いのはお前だ。
妻子もあるいい年の男が何をしている!
密かに想う娘とこっそり揃いの品を作った。そこまではいい。
しかし、それを娘に言わず、一人楽しむ神経が私には分からん!
相手に言わねば、意味がないだろう!!
幼子とて、もう少しマシな計らいをするぞ。
…………なのに、お前ときたら。
そんな行為で満足だとばかりに頬を緩ませて!」
「え? あ、緩んでましたか?」
先ほどの衝撃の所為かと、自分に巻いている白布に手を伸ばしたが。
「話を聞け。緩んでいるのはそれではない。
お前の顔だ、顔。
ああ、確かにあの羽織は娘に良く似合っていたし、大事そうに纏っていた。
なればこそ! 娘にお前を大切に思うからこそ、揃いの帯まで作らせ、自分が身につけるのだと言わんでどうする。
何の為の揃いの品か、分からんではないか」
「特別扱いされるのを嫌うんですよ、あの子は。
羽織を仕立てて贈るのだって、少々強引な手を使ったんですから。
これで揃いの品を余り布で作ったとなれば、呆れられます。
忘れた頃に揃いの品だと気付けば、今更言及することはないと流してくれるでしょう?」
あからさまに好意を表に出せば、きっと困ってしまう。
紫陽花はそんな子なのだ。曇った顔は見たくない。
下手に羽織が傷んでいない状態では、揃いの品ならば奥方にどうぞ、と言われてしまう事だって考えられる。
だから、羽織が新品とは言えなくなったぐらいに、彼女が実は羽織と揃いの品がある事、その品を作らせた私の意図にこっそりと気付いてくれればいい。
そう思っているのだが。
「……既に私は十分呆れている」
三成には理解出来なかったらしい。
手にしていた私の采配を、遠慮もなく部屋の隅に放り投げる。
室内だからと脱いで置いてあった兜も、采配と同じ方向に蹴って追いやってしまった。
「行儀の悪い事を」
「五月蠅い」
そして、しかめ面のまま大きな溜息を吐いて、私の肩に頭を寄りかからせる。
まったく。これこそ幼子がするような八つ当たりに思えるのだが。
日頃は領内の者達に対し、だらしない格好は許さぬなどと言っている癖に。
「……分からんな」
「何がです?」
貴方がそこまで苛立つ理由こそ分からない、とは心の中でのみ呟く。
「そこまで思い入れのある娘を側室に迎えもせず、ただ仕えさせているという事がだ。
それこそ側室にしてしまえば、多少の特別扱いなど問題にならぬはず。
文字通り、側室であるということはそれだけで特別なのだからな。
何故そうしない?」
「三成……」
「娘の方とて、満更でもないのだろう?
正室や子らへの配慮? もしくは娘への配慮か?
くだらん。
武家の子女ならばそういった覚悟はとうに出来ているだろうに。
大体、妻が未だ正室一人きりというお前が珍しい。
ここらで側室を置いてはどうだ。
戦の時には、夫の留守を預かり城を守る正室と、共に戦い夫を守れる側室がいるとなれば、実に理想ではないか」
矢継ぎ早に紡がれる言葉に、ぎりと胸の奥が締め付けられる。
配慮はあるかも知れない。
だが、それは三成の考えているような、複数の妻を娶るということについての配慮ではない。
後ろめたさがないとは言わないが、問題は其処ではないのだ。
「…………残された時間の多くない男に添わせるのは、酷というものでしょう」
若い盛りである彼女の時間を、病に冒された自分が奪ってしまってもいいとは、私には思えなかったのだ。
卑屈な考えかも知れないが、私が病の身でさえ無かったら、ここまで躊躇うことはなかったのかも知れない。
加えて、ついに戦も本格的に始まってしまった。
先日は我が西軍の勝利に終わったものの、これで全てが終わった訳ではない。
今後、いつ命を落とす事になるかも分からないのだ。
「吉つ……」
頭を上げようとした三成の後頭部に手を置いて、軽く押さえ付けた。
今の顔を見られたくはない。
意図は悟ってくれたらしく、三成はそれ以上無理に頭を上げようとはしなかった。
「確かに……私が本気で側室にと望むなら、紫陽花は拒まないと思います。
私が触れても厭うような事も無いでしょう。
ですが、それで万が一にもあの子にまでこの病に感染させてしまったら?
それを思うと、恐ろしくて仕方がない」
激しく痛むような事はないが、緩やかに容貌や自由を奪っていく。
それは若く美しい盛りの娘にとって、どれ程酷な事になるか、想像するに余りある。
「お前の周囲で感染した者は誰一人居なかったように思うが。
私とて、お前との付き合いは長いが何ともなっていない。
お前の奥方や子等にしてもだ」
「そうですね、今のところは確かに居ません。
だからといって、今後も大丈夫だとは限りませんよ。
言葉を交わしたり、傍にいる位ならまだしも、肌を重ねるとなれば、なおさらでしょう」
「吉継。……私や奥方と情を交わさなくなったのも、それが原因か」
「単純に年を重ねた所為もありますけどね。
これ以上、子をもうける必要も無いし、若い時ほどの衝動もありません。
……それでも、ずっと渇望していた花を手に入れたとしたら、触れずにただ眺めるだけでいられる自信は……流石にないんですよ。
そこまで出来た人間ではない」
紫陽花に病の苦しみを与えるような真似は絶対にしたくない。
それは心の底から思っている。
だが、同時に堂々と妻の一人として、契りを交わせる側室という立場に置いてしまったのなら、自制など出来ないだろうとも思っている。
日々失われていく感覚の、せめてもの残った部分全てで彼女を感じたいと願う。
それさえ許されるのならば、迷う事など無かった。
確実に病がうつらない保障さえあったのなら!
「ならば、いっそ遠ざけたらどうだ?
眺める花が無ければ、惑わされずに済むのではないか?
必要なら、私が貰い受けるぞ」
「出来るものなら、とっくにそうしています。
……あの子が、私の目の届かない所に行くと思うだけで気が狂いそうになるのに、どうして遠ざける事など出来ましょう」
あの子が生まれた頃から知っている。
今更、関わらずに日々過ごしていくという想像など出来ない。
他の誰にも渡してたまるものか。
「矛盾しているな」
「……そうですね」
「相手を想うからこそ、抱けぬ、か。殊勝なことだ」
吐き捨てるように言われたのは痛烈な皮肉。
物事の白黒を明確に付けたがる彼には、きっと理解しがたいのだろう。
自分でも、卑怯だとは思う。
自分で奪う覚悟も無い代わりに、振り払う覚悟も無い。
直ぐに触れられる場所に居て欲しい癖に、傍に置くのは怖い。
先をどうするか決めかねているから、曖昧な位置を選択する。
これで、私が紫陽花の元に舞い込みそうな縁談を、密かに片っ端から握りつぶしていると知られたら、それこそ三成からは罵倒の声が上がりそうだ。
「が、そんなどっちつかずな状態がいつまで続けられるかな」
「……どういう事ですか」
「今が太平の世ならば、構わんだろう。
だが、戦が始まった以上、今までのようにはいかぬぞ」
「何が言いたいのです、三成」
奥歯に物の挟まったような言い方が、無性に勘に障る。
この男が険を含んだような物言いをするのは常ではあるが、もっと、こう何か――。
三成は私の手を除けて、顔を上げると、目を細め、鼻を鳴らした。
「フン。ここまで言っても、お前ほどの男が悟れぬとはな。
なるほど、恋は盲目と言ったが……刑部少輔も例外ではないようだ。
左目の視界だけでなく、まともな思考も失ったか?」
左側の髪が引っ張られるような感覚に視線を投げかけると、三成が下方から腕を伸ばして、自分の指に髪を絡め取っていた。
見えぬ部分で、私が何かを見落としている。
それも見ようと思えば見える部分で。
そう、言いたいのだろうか。
「だから、どういう意味かと問うているのです。
回りくどい言葉も真似もよしなさい」
「ならば言おう。
お前は自分が病身故に、娘よりも早く逝くと考えているのだろう?」
「それはそうでしょう。紫陽花はまだ若い上に健康な娘ですから」
「娘の方が先に逝く可能性もあるとは思わぬか?
足軽としてお前に仕えていると言う事は、主君であるお前を護ろうとする為、いつ戦場で盾となってもおかしくないということだぞ?」
その刹那、耳鳴りがし、三成の声が遠くに聞こえた。
代わりに鬨の声が耳元で響く。
いや、これは唯の幻聴だ。
此処は戦場ではなく、敦賀の城。
鬨の声など聞こえる筈が無い。
粉塵の中、弓を携え、佇む紫陽花の姿は幻だというのに。
「あの子を死なせるつもりなど、ありませんよ。私は」
どうしてか、応じる声が勝手に震えた。
「お前はそうでも、向こうはどうかな。
随分と忠義に厚い、生真面目な質と聞く。
二人で居て眼前に敵が現れたのであれば、その娘は身を挺してお前を庇うのではないか?」
「それ、は――」
予想するのは容易かった。
きっと紫陽花ならそうするだろう。
私でも同じ行動に出るだろうから。
ただ、日々身体の自由が利かなくなりつつある私と、武人として鍛えており、俊敏に動ける紫陽花。
ならば、いざという時はどうなるか――。
背筋が凍る思いがした。
戦とはそういったものだというのは、十分に理解していたつもりで、
私は彼女をその枠の中に嵌めて考えて居なかったのだ。
あの子が私を置いて逝くなど有り得ない、と。
かつては忍軍最強と謳われた黒が伝令としてついている。
白も先日からあの子の傍近くにつき、黒と白、二人がかりで鍛え上げられたくのいちの真朱もいる。
何より、妹を溺愛していると言っても良い現忍軍頭領浅葱。
大谷家中でも手練れの者が周囲に揃ってはいるが、もし、その誰もが居合わせなかった時にそんな事が起こったとしたのなら……。
「心当たりがあるとみえる。
相手を想うばかりに時期を読み違え、その腕に抱いた時は物言わぬ骸と成り果てていた――何てことにならねばよいがな」
「っ……三成!
いかな貴方といえど、今の言葉は聞き捨てなりません!」
冗談でも骸などとはたまらない。
言って良いことと悪いことがある。
三成の胸ぐらを掴んで、締め上げると、彼は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、直ぐに口元を歪め…………嘲笑するような声を零した。
「く……くくくっ」
「何が可笑しい」
「は! 太閤殿下に百万の兵を与え、思うがままに采配を取らせてみたいとまで言わせた男が、たった一人の小娘相手に我を失い、陳腐な煽りの言葉に激昂する。
滅多に激しい感情を露わにしない、沈着冷静な稀代の軍師とまで謳われた大谷吉継が!
これを愉快と言わずして何と言うのだ」
一頻り、笑っていたかと思うと、三成は不意に表情を緩め、彼の胸元を締め上げていた私の手に己の手を重ねて、手を引きはがした。
「フン。だが、安心もしたぞ。
ついに左目が見えなくなったと聞いて、気落ちしているのではないかと思ったが……まだ、気概は衰えてはおらぬようだ」
「……要は試したんですか。人が悪い」
気分を損ねて、重ねられていた手を振り払おうとしたが、三成は離さない。
「試しただけでもないぞ。
お前は聡い癖に、妙なところで鈍い男だからな。
見ていて歯がゆかったので、少し梃入れしてやろうと思ったまでだ。
もっとも、お前と娘のやりとりを常日頃傍で見ている者が、一番歯がゆい思いをしているのだろうが。
何しろ、身内同然の者と身内のやりとりだからな」
最後の一言は、裏で潜んで居るであろう浅葱に向けてのものだった。
流石に分かっておいでだ、という声が何処からか聞こえたような気がしたのは、気のせいだと思いたい。
「……私としては、貴方に言われるのは少々心外なのですが。
人付き合いについては貴方よりは長けているつもりです」
「は、言ってくれる。
まぁ、良い。今日はこれで帰る。
だがな、紀之介。
花はいつまでも美しいままではないし、水をやらねば何れは枯れる。
どれほど愛でていようとな。
お前のやっている事は、水差しを花の傍近くに唯置いているだけなのだ。
それ位は自覚しておけ」
言い終えると、三成はさっさと立ち上がって部屋を出て行ってしまう。
そして、足音が遠くなりかけた所で一旦止まったかと思えば。
「……余計な世話なのは、百も承知だがな」
そんな呟きが耳に届き、再び足音が遠くなって、やがて聞こえなくなった。
「…………心配なら、そうと分かりやすく言ってくれれば、ああも敵を作らずに済む人なのに」
私も立ち上がり、部屋の隅に転がったままの三成の兜を手にした。
彼の気質を好ましく思う一方、疎まれる理由も分かってしまう。
そんな部分に自分自身が救われた事もあるというのに。
「全く……酷い人ですね」
「お前がな」
背後から聞こえた容赦の無い反応に、流石に苦笑いする。
「分かっていますよ。三成じゃありません。
今のは自分に対してです。
浅葱、これを届けてあげて下さい。
まだ、貴方の足なら追いつける所にいるでしょうから」
「……御意」
多分、言いたかった事は色々あるのだろう。
それでも浅葱は、直ぐさま手渡した兜を抱え、三成の後を追っていった。
「……酷い男だ」
誰も聞く者がいない場で、もう一度口にする。
分かっていても、花を手中に収められない。
それでも、あの子に会わずにはいられない自分に情けなく思いながらも。
「誰か。詰所にいるはずの伝令の黒をここへ呼んで下さい」
今日も私は紫陽花に命を下す。あの子の顔が見たいから――。
2009/12/03 up
吉継が紫陽花を思いつつも、中々手を出さない(……)理由と、それについての迷いや葛藤を書きたかったけど、ちょっとくどくなってしまった感が。
作中で「ついに左目が見えなくなったと聞いて~」と三成が言ってますが、ここでは、吉継の左目はごく最近光を失った設定になってます。
(右目はまだ見えるけど、視力が弱くなっている)
……上でくどくなったとか書きながら、さらに説明重ねる辺りがダメすぎるw
- 2013/10/24 (木) 01:00
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