作品
領主と盗賊・一
「え? 吉勝様のお屋敷に?」
「はい。そう言伝を頂いております」
その日、お仕えでいつもの様に城に上がった私を待っていたのは、吉継様の嫡子である吉勝様の屋敷まで訪れるように、との指示だった。
「……どういう事かしら」
「申し訳ありません。私にも事情は……」
黒も珍しく表情に微かな困惑の色を浮かべている。
こういった指示を受けるのは、初めてだからだろう。
私としても、黒が伝令役になる前でもこういう事は無かったような気がする。
「とにかく行ってみましょうか。
もしかしたら、吉勝様絡みで何かご依頼があるのかも知れないわね」
「はい」
事情は分からないが、吉勝様とも知らぬ仲ではない。
年が比較的近いので、幼い時分は良く遊び相手を務めさせても頂いた。
吉勝様の方で何かあったのだとしても、放っておけはしない。
訝りながらも言伝どおりに、黒と一緒に吉勝様のところを訪ねた。
吉勝様のお屋敷は城からそう離れていない場所にある。
城下町に近いということと、使用人の数がそれなりに多い点、加えて、快活な気質でいらっしゃる吉勝様のお人柄が影響して、常日頃なら、もっと賑やかな雰囲気があるのだけど……。
「……何かあったのかしら。妙に静かね」
「………………」
「黒? どうか?」
「あ、いえ。失礼いたしました。人の気配が随分と少ないと思いまして」
「少ない?」
元大谷家忍軍頭領の彼が少ない、と言うのならば、気配を消している者が居るというのではなく、本当に人が居ないのだろう。
そういった感覚的な部分では黒は全く衰えてはいない。
余程の手練れ以外の気配なら察知出来るはず。
「一体、どうして……」
「紫陽花様でいらっしゃいますね?」
「あ……はい」
理由を考え始めた所に、いきなり声を掛けられて少し驚く。
声を掛けて来たのは若い男。
下男の格好をしてはいるが、初めて見る相手だった。
吉勝様のところの使用人は知っている者も多いのだけど――何か違和感を覚えた。
「お待ちしておりました。どうぞお入り下さい。黒様もご一緒に」
一礼をして、直ぐに屋敷内へと向かう相手の背を追うと、廊下に踏み込んだ辺りで、黒が声を潜めて言葉を零す。
「忍軍の者です。私が頭領だった時分から居る」
「! まぁ……」
違和感を感じたのは、その辺りが理由のようだ。
忍軍の者であれば、過剰な警戒は不要。
少しだけ気が楽になった。
「……大した功績も挙げていなかった自分を覚えて頂いていたとは光栄です、先代様」
「確か、櫨染と言ったか。随分と耳が良かったな。気配を探るのも上手かった」
「恐れ入ります」
振り向いた男……櫨染が少しだけ笑う。何処か寂しそうに。
ああ――だから黒『様』か。
現在は伝令役となっているが、彼が元々忍軍を束ねる立場にあった事を知っている人間は限られている。
「吉勝様や屋敷の使用人達は誰も居ないようだな」
「はい。吉継様のご指示で皆留守にしております」
「静かなはずですね。……一体、何があったのです」
「それはどうぞ吉継様からお聞きを。……お連れいたしました」
本来は吉勝様の私室であるはずの部屋の前で、櫨染が中に向かって声を掛けた。
「お入りなさい」
聞き慣れた柔らかい声が障子の向こうから聞こえる。
櫨染が戸を開けると、そこには吉継様と現忍軍頭領である浅葱兄上が座っていた。
「よく来て下さいました。二人とも其処に座って下さい」
「櫨染、ご苦労だった。引き続き、屋敷周辺の見張りを頼む」
「はっ」
櫨染の姿が消えてから、黒と二人、指し示された場所に座る。
すると、吉継様がいきなり頭を下げた。
「こんなところまで、足を運んで貰って申し訳ありません」
「いえ、あの、頭を上げて下さい!
吉継様のお言葉とあらば、従うのは当然ですので!!
……一体、何があったというのですか。このような……」
いつもと違う事ばかりで、どうにも調子が狂う。
他に人が居ないからなのか、普段は人目につかないようにしている兄上が場に居るのも珍しい。
「ちょっとばかり、内緒で貴女に頼み事をしたかったので。
吉勝にも協力して貰ったんです」
――面倒事で本当に申し訳ないのですが。
そう仰った吉継様はあくまでも穏やかな口調だったが、目が笑っていなかった。
内密での頼み事に一抹の緊張感を抱きながら、吉継様のお言葉を待つ。
「盗賊をね、一人退治して貰いたいのです」
「盗賊……ですか?」
「ええ。最近、我が領内のあちこちで出没しているというのは、貴女も聞き及んでいるでしょう。
こちらを見て貰えますか?」
吉継様が畳の上に広げられたのは一枚の地図。
描かれているのは大谷家が所有している土地全てで、勿論、私の預かる領地も含まれている。
数ヶ所に渡り、朱で印が付けられていた場所は、恐らく盗賊が現れた地なのだろう。
東西南北問わずあちこちにある印には、盗賊の現れた日付も共に記載されていた。
一番新しい日付は二日前。
比較的親しくしている松乃殿の領地だ。
彼女のところもやられたのか。
数日前に、かの地の特産物であるお酒を越後屋が量産したいと申し出が有り、それが成功した上に味もさらに良くなったと、喜んでいたのを知っているだけに胸が痛い。
今頃、さぞがっくりと来ているに違いない。
「こうして見ると、随分と出没箇所が点在していますね。
日にちにもまるで法則がない。一体、どういう基準で――」
と、そこまで言い掛けてふと気がついた。
確かに盗賊の出没先は、ばらばらで統一性がないようにも見受けられる。
一人の盗賊が此処まで場所を変えて盗みを働くには広範囲過ぎるのだ。
最北端の領地に現れたかと思えば、次は敦賀城にも近い我が国の中心地。
さらには東、南、また北の方……と出没先は移動しているのだが、そこにはある件との共通点を感じた。
自分の中での仮定に見落としがないか、記憶の隅々を探る。
一通り探って十中八九間違いないと思った所で――その可能性を口に出した。
「これは……最近越後屋と提携し、特産物で品を作って成功を収めた領主の所ばかり、ですね」
「やはり、貴女もそう思いますか」
『やはり』と言うことは、この方も私と同じ意見。
予想は確信に変わった。
とっくに盗賊の狙いには気付いておいでだったのだ。
「ええ。だからこそ、私を此処に呼ばれたのでしょう? 吉継様」
「貴女は話が早くて助かります。余分な説明をしなくて済みますね」
私の所も、先日自領で作られた織物を使って、陣羽織を生産したいという越後屋の申し出を受け、まずまずの成功を収めたばかり。
仮定どおりなら、近いうちに狙われる可能性はかなり高い。
わざわざ、この屋敷を話をする場にしたのも、万が一の情報漏れを防ぐ為だ。
越後屋、万屋に連なる商売人達は、ほぼ常時、誰かが城を訪れていると言っても過言ではない。
その点、吉勝様の屋敷ではそんな事はないし、吉勝様とはかつて一緒に兵法を学んだり、剣の稽古も共にしたこともある、昔馴染みの仲だ。
私が屋敷を訪ねる事も、勿論、親である吉継様がここにいらっしゃる事も不自然ではない。
勿論、越後屋と提携して成功した噂を盗賊が聞きつけて狙いを定めている事も考えられるが、
それにしては、噂が広まったと思しき前に盗賊にやられているような地も幾つかある。
警戒はしておくべきだろう。
「……比較的豊かな所を狙っているとはいえ、盗賊は盗賊。
これ以上、民を苦しめる真似は許す訳にはいきません。そこで――」
一旦、言葉を区切ると吉継様は一通の封書を私に差し出した。
「盗賊を捕らえるまでの間、大谷家忍軍の統括権を貴女に与えます」
「………………!?」
一瞬、耳を疑った。
差し出された封書と吉継様の顔を交互に見比べる。
恐らく、封書の中身は統括権についての委任状だ。
忍び数人や小隊の一つ二つの指揮については、過去に預かった経験がある。
今回もそれまでと同じく、数人の忍びを使って賊を捕らえろということかと思っていた。
だけど、忍軍そのものの統括権とは――。
「……私などに良いのですか。そのような…………」
目の前の封書にはまだ触らずに問いかける。
「貴女だから任せるのです。
浅葱にという手も考えましたが、彼は貴女に大元の指揮を任せた方が確実だ、と。
正直、私もそう思います」
「……兄上」
ずっと傍らで黙って私達のやりとりに耳を傾けていた兄をみる。
軽く溜息を吐いた後、兄は口を開いた。
「少々情けないが……恥を覚悟で言おう。
二日前の松乃殿のところで賊の襲撃があった際、既に吉継から盗賊討伐の命は受けていたのだ。
が、失態を犯した。
たかが盗賊一人と侮り、小隊三つを分散させて向かわせたが、見事に裏を掻かれた。
それでも数人は盗賊と対峙したが…………返り討ちにされてな。
惨敗、としか言いようがない」
「誠……ですか」
曲がりなりにも、頭領の地位にある兄の策を見破るのは容易ではないはずだ。
頭領としては若いが、飾りでその座についているわけじゃない。
さらに忍び数人を返り討ちとは――盗賊がそれだけ手練れの者と言う事か。
「情報収集には自信がある。
だが、その情報を上手く扱い事を運ぶという点において、俺はお前に大きく劣る。昔からな。
吉継本人が詳細な策を立てるなら話は別だが、一人の盗賊相手に主君自ら動くのは外聞も良くない。
まして、万が一にも捕らえ損ねたとなれば、それこそ他国のいい笑いものとなろう。お前が最適だ」
「私だったら失敗しても、まだ他国に対しての言い訳は出来ますしね。
勿論勢力内においても」
「言い方は悪いがそうなるな。
所詮は小娘の為した浅はかな策、と取られるぐらいか」
「浅葱」
「事実だ。お前だって分かっているはずだろう」
とは言え、もしここで私までもが盗賊を逃してしまえば、自分自身だけでなく、統括権を私に委ねた吉継様の顔も潰してしまうことになる。
忍軍を束ねる立場にあり、私に統括権を与えるよう進言した兄上の顔も。
背に冷や汗が伝った。責任重大だ。
忍軍全員を使ってでも、絶対に捕らえる必要がある。
吉継様の評判を落としてしまう事だけは、何としても避けなければ。
意志は固まった。
目の前の封書に手を伸ばし、中身を拝見する。
やはり、忍軍統括権についての委任状だった。
一通り読み終え、顔を上げると吉継様が頷いた。
「紫陽花。――必ずや貴女のところで捕らえて下さい。出来ますね?」
「はい。民の為、そして吉継様の御為に。
必ずや賊を捕らえ、目前に引きずり出してみせましょう」
「良い子ですね、紫陽花。期待していますよ」
2010/1~3の間くらい?
キャラクター設定での蒼登場についての話ですが、続く可能性は気が向いたらということで結構低め。
すみません。
- 2013/11/01 (金) 07:05
- 本編
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