銀朱が第三兵団の隊長職に就いた直後くらいの話。
本編は文官誕生日用に書いた話。後日談は灰文を本に纏めた時に書き下ろしたものです。
後日談部分はちょっと灰文前提文銀っぽいかも?
初出:2006/05/14 同人誌収録:2006/11/05(白銀の地に落ちるは柔らかな日差し)
文字数:3769文字
「さすがにびっくりしましたよ。貴方が供も連れずにお一人でこんなところにおいでになろうとは」
「びっくりした、という割には顔色一つ変えなかった気がするけどね。ああ、でもいつものことか」
「ええ、いつものことですよ」
カツン、とチェスの駒を動かす音が小気味よく空間に響く。
銀朱隊長以下第三兵団の大半が外交で燈に行ってらっしゃるのもあって、今日を含め3日ほどは完全にお休みを頂いている。
のんびりと本でも読んで過ごそうと思っていたところに予想外の来客だった。
数年、仕事場でのお付き合いをさせていただいていたとはいえ、まさか灰名様がお一人で自分の家に訪れることがあろうとは。
「相変わらずだな、君は。変わってなくて何よりだ。……銀朱は王宮で上手くやっているかい?」
「ははぁ、もしかしていらっしゃった目的はそれですか」
口は動かしながらも、手はチェスの駒を動かす。
幾度か休憩時間などに手合わせしたこともあって、この方の腕前は知っているから油断はしない。
灰名様のご長男である銀朱隊長が灰名様の跡を継いで、第三兵団の長の座についたのは先月のこと。
――私よりはずっとこの職に向いているとは思うのだけどね、あれは。
――……が、まだ若いから反感も買うのではと気になっているんだ。
灰名様が団長職を退かれる前にそんなことを呟いていたのを思い出す。
「そうですね、着任当初は少々大変そうでしたが。隊長は生真面目ではあるんですが、不器用でいらっしゃるので、何と言うか……」
「角が立つ言い方になってしまう、だろう?」
「そうなんですよね。おっしゃることは正論なんですが、どうにもひっかかる部分があるようで、そこが気にかかってしまう方もいらっしゃるようですね。特にご年配の方には」
「第三兵団自体が特殊な部隊でもあるからね。それに銀朱の場合は陛下が気に入ってくださってくださっている、というのが結構あからさまに出ている。それを表立って言えない分、本人はきつく当たられているんじゃないかと思って。……やはり、少し団長位を譲るのが早すぎたかな」
「あまりご心配なさらずとも大丈夫だと思いますよ」
「うん?」
駒を慎重に進めながらも、最近の第三兵団の様子を脳裏に思い浮かべる。
「確かに、当初は反感を買う方が多かったようですが。実際のところ、隊長は仕事を真面目に一生懸命やっていらっしゃいますから」
「それが銀朱のいいところだからね。私よりもずっと真摯に仕事をしているだろう?」
「貴方も十分真摯に仕事をしていらっしゃったじゃないですか。そうですね……灰名様もそうでしたが、銀朱隊長も私欲は伺えませんし、国の為に忠実にというのがありありとわかります」
「君に私欲がないと言われるのもなぁ……君ほどじゃないと思うけども」
……少々ゲームの雲行きが怪しくなってきた。
ちらりと灰名様を見ると涼しげな余裕のある風情で笑ってらっしゃる。
身分差があろうと勝負は勝負。
負けるつもりはない。
昔、最初に手合わせした時には私が勝ったのだが、その時に随分と喜ばれた。
――……本気で手合わせ出来る相手がようやく見つかった。
実際に灰名様の腕前が強いというのもあるとは思うのだが、
どうやら、かなりの割合の方が灰名様に対して勝ってしまうと申し訳ない、という意識を持ってしまっているらしく、あまり本気で対峙してくれないとぼやいてらしたのだ。
以来、この方と手合わせする際に私も本気でやることにしている。
勝率は五分五分。
手を抜いたら負けるのは見えている。
「まぁ、私は楽しく仕事さえ出来れば、何も言うことはありませんから。その点、銀朱隊長は理想ですね。そういえば。若年層の団員を中心にこんな意見も聞きましたね。あの不器用なところがかえって好ましい、とか。きっとご本人には可愛いと申し上げたら、怒られるのでしょうけれども」
「それはそれは。……楽しくない上に可愛くない相手ですまなかったね」
「何です。やけに今日はつっかかる物言いでいらっしゃいますね。誰がそんなことを申し上げまし…………あっ、ああっ!」
「チェックメイト、だ。逃げ道はないよ」
盤上の様子がちょっと意識を逸らした隙に一変していた。
言われたとおり、もう攻められる道は無い。
溜息を吐いて、降参の意味で手をあげた。
「……参りました。私の負けですよ」
「ふふ、これで少しは溜飲が下がったかな」
「何を拗ねておいでですか。どうせ、銀朱隊長を悪くいったところで不機嫌になられるくせに。理不尽ですよ」
「それは失敬。では、理不尽さを被った君にこれをあげよう。出来上がったのが今朝なので、剥き出しで済まないが」
「は?」
手首を取られ、上に向ける形になった手のひらの上にチャリ、と小さな金属音と共に乗ったのは細工のされた鎖。
「これは、グラスコード……ですか?」
「そう。数年楽しくも可愛くもない元上官に付き合ってくれた礼と、楽しくて可愛い不肖の息子に付き合ってくれる礼と、ついでに君の誕生日祝いも兼ねて」
「誕生日? ああ! そういえば」
すっかり忘れていた。今日がそうだったか。
「さては忘れていたね?」
「貴方こそよく覚えておいでで」
「記憶力にはそれなりに自信があるから」
「有り難く受け取ります。……と言いたいところですが、これ、実は物凄く良い品物じゃないですか?」
シンプルな作りではあるけれど、細工が繊細で美しい。
しかも、金細工。
並の職人では中々こんな品は作れないだろう。
さらに言うなら、今朝出来上がったということは、間違いなく特注品。……金額を考えるのが少々恐ろしい。
「では、元上官に今後も付き合ってもらう礼の先払いも含めよう。せっかくのチェスの対戦相手を私は逃したくないのでね。さらに言うなら、我が家にはグラスコードを使うものは一人もいない。返されたところで用途に困るんだよ」
「……灰名様」
それは、この先も今日のように過ごせる機会が出来るということ。
職を退かれた時点でそれは叶わなくなるだろうと残念に思っていたのに。
「それでも、受け取れないかい?」
「そうおっしゃると、いいえなんて申し上げられませんよ。有り難うございます。付けてみても?」
「ああ」
「では、失礼して……」
眼鏡を外し、ついていたグラスコードを外し、頂いた方をつけようとする。
が、ぼやけた視界では上手く金具が入らない。
指先で確認しながらやろうとしたら、眼鏡とグラスコードが不意に奪われた。
「よく見えないのだろう? 私がつけよう」
「……お手数おかけします」
「いや。……ああ、入った。かけてみなさい」
「有り難うございます」
新しいグラスコードのついた眼鏡を受け取り、再びかけるとくっきりとした視界には穏やかな笑みの灰名様。
「うん、やはり君には金がよく似合う」
「有り難うございます。灰名様なら銀ですね。ああ、そうだ。もしも将来、灰名様の視力が落ちて眼鏡をかけるようになられたら、その時は銀のグラスコードを差し上げます。きっとお似合いになるでしょうから。今回頂いたものに負けず劣らずの品を探しますよ」
「ほう、それは楽しみにしておこう。……さて、もう一回手合わせ願えるかい」
「ええ。今度は負けませんよ」
再び盤上に駒を並べながら、二人で笑いあった。
共に仕事をすることはもうなくても過ごすことが出来る、穏やかな時間に。
[後日談]
「すみません、隊長。この書類に至急判をお願いできますか?」
「ん? ああ。……もしかして、それ取り換えたのか?」
書類を隊長に渡したら、私の顔を訝しげに見てそんなことをおっしゃったから、直ぐに何を指しているのかは解った。
「グラスコードですか。ええ。良い物でしょう? 大切な方に頂いた物なんですよ」
大切な方、というところをわざと強調すると、銀朱隊長が戸惑うような表情になられた。
「む、そうか」
「……気になりますか? 誰からのものか」
「……別に。俺には関係ないことだろう」
「あの、隊長?」
「あ?」
「……書類が逆さまなんですが」
「………………」
沈黙に吹き出しそうになるのを必死で堪える。
銀朱隊長が真っ赤になって、勢いよく書類を正しい位置に戻し、素早くそれに判を押して、私につき返した。
「ほら! とっとと持って行け!」
「はいはい。隊長」
「何だ」
こちらがまだ笑いを堪えているのが伝わるのか、憮然とした声で返される。
ふふ、解りやすくてよいですね、この方は。
「お父上によろしくお伝え下さい。……有り難うございます、お蔭で楽しめました、と」
「? 何のことだ?」
「隊長はお解りにならなくてもいいですよ。灰名様はきっとそれだけで解ってくださいますから」
「む……」
あの方の涼やかな顔色を変える事は中々出来ませんが、銀朱隊長はその点、貴方と違いすぎていて面白いですよ、灰名様。
貴方に振り回された分、少し銀朱隊長にお返しするくらいは反則ではないと思っていますが、いかがでしょうか。
日々楽しく仕事が出来る私は幸せものですよ。
私を引き抜いて、この仕事に抜擢して下さったこと、本当に感謝しています。
ねぇ、灰名様。
揃ってお歳を召されても、春のうららかな陽気の中でまったりのんびり過ごしつつ、お漬物バリボリ食べたり、お茶を飲んだりして、にこやかにチェス勝負をしているといい……!
灰文二人はそんな風に老後を過ごして頂きたい。
銀朱は何となくのイメージですが、あんまりチェスは強くなさそうな気がするので、きっと灰名様は銀朱相手では物足りないんじゃないかなー。
それで、強さの面でも遠慮なく対戦できる文官のところにこっそり行ってるといいなぁとかそんな妄想から。
文官誕生日祝いに書いた話でした。
灰文は書こうとしても、灰名様視点って難しいので、文官視点ばっかりです。
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